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4.「殺し合いは始まっていないのか?」

 聖母教会の「難民キャンプ」ともいうべきものは、他の市民たちのキャンプから多少離れた小高い丘の上におかれていた。野外神殿、というのは帝国ではもはや見られることはなくなったものなのだが、こういう事態になれば仕方がない。とにかくこの聖母教会の臨時寺院は天蓋一つない開けっぴろげの場所だった。
 寺院を訪ねたクレイたちは、そこで数名の女祭たちの出迎えを受けた。女祭たちはクレイの無事を噂で聞きつけていたらしい。あまりびっくりした顔もせず彼らをにこやかに迎え入れる。そしてある大きなテントの傍まで彼らを連れてゆくと、中にいる誰かに声をかけた。声に導かれるように貴婦人が外に出てくる。聖母教会の大女祭である。

「ようこそお越しくださいました。エピックヒーロー・クレイ様。」

 何気ないようだが、この独特の称号で名を呼ばれたクレイはさすがに多少ショックを受けたような表情をする。「エピックヒーロー」という称号で呼ばれても、クレイには(そして他の誰も、だが)その実態が判っていないのである。だから余計困惑してしまうのも無理もない。

「大女祭様、お目にかかれて光栄です。」

 クレイは静かに頭を下げる。それに応ずるように大女祭は彼らを天幕の中に案内した。

 クレイたちが案内された天幕はかなり広く、そしてきちんと整理されていた。大女祭がこの天幕の主らしく、一番奥まったところに彼女の机などが置かれている。
 良く考えてみれば判ることだが、聖母教会という組織でもっとも地位が高いのは大女祭ではない。最高位の女祭である「海の最高神官」が彼女の上にいて、聖母教会を取りまとめている。そしてその司教座が帝都の大神殿のはずなのである。ところが大女祭である彼女が現在この神殿の主のようだった。

「海の最高神官様は?」

 クレイは疑問を素直にぶつけてみた。クレイにしてみれば … この神殿を訪れるだけで苦痛だというのに、肝心の海の最高神官に会うことができないというのではあまりにもひどいというわけである。
 ところがクレイの質問に対して返ってきた返事は意外な、そして大変なものだった。

「前任の海の最高神官様は … 亡くなられました。」

*    *    *

 海の最高神官が亡くなったというのは、さすがにクレイにとっても驚くべきことだった。帝国の宗教面での支柱である彼女が亡くなったということ、それも大きなニュースにもならずにひっそりと死んでいるということがどれほど大変なことか、想像しただけでクレイは蒼白になる。普段なら国葬になっても当たり前なほどの重要人物がいつのまにか死に、難民キャンプですらそれが噂になっていないというのである。クレイは流石に顔色を変えて大女祭に聞いた。

「いったい … なぜ … 」
「ギルファーですわ。あの恐ろしい男に殺されたのです。」
「そうですか … 」

 相手がギルファーというのなら、海の最高神官がかなわなかったというのも無理はない。相手はクレイですらかなわない半神である。それはそれとしても … クレイはまだ釈然としていなかった。
 ギルファーに殺されたというのは仕方ないとしても、それではなぜその事実が一切伏せられているのだろう。こうなった以上は大至急後任の最高神官を決めなければならないはずなのである。
 クレイはその疑問を素直に口に出した。聞きにくいことかもしれないが、今のクレイにはそれ以外に手段はない。

「他ならぬクレイ様のお尋ねですから … 」

 大女祭はわずかに困ったような表情で答えた。正直言って教団の内幕をぺらぺらしゃべるというのも彼女にとっても本意ではない。ただ、相手は帝国女神と深く関わりのある勇者である。

「実は、その後任が問題なんですわ … 」
「?」
「最高神官は普通、私たち大女祭から互選で決まります。まあ、私自身も候補にあがっておりますが … 」

 大女祭の表情にはわずかに憤りのようなものが見える。その剣幕にクレイは少し驚いた。彼女のような貴婦人らしからぬ様子にびっくりしてしまったのだ。

「今回は違う、というわけなのですか … 」
「そのとおりです。いくらギルファーの攻撃で私たち聖母教会も被害が甚大だからといっても、最高神官一人選び出せない訳ではありませんのに … イサリオス皇帝陛下は得体の知れない奴を … 」

 クレイは納得がいった。聖母教会の最高司祭に皇帝は自分の腹心を送り込もうというわけなのだ。ギルファーの攻撃で大きな被害を受けた今の聖母教会なら、皇帝の意向に逆らうだけの力も無いだろうと考えているのである。大女祭が怒るのも無理はない。

「 … では、一体誰が次の最高神官に?」

 クレイは何の気無しに聞いてみた。皇帝の側だって被害は大きいはずである。どんな人材を投じてくるのか興味があった。すると … 大女祭は身震いして答えた。

「『顔無き女』ですわ。」
「顔無き … 女 … ??」

 名前を聞いただけでクレイはぞっとした。匿名希望といえばそれまでだが、とにかく嫌な予感のする名前である。そう、人間の名前ではない … 明らかに半神の名前だった。

「それは … そいつは半神ですか?」
「判りません。判ったら苦労はしていません。」

 大女祭はそう答えたが、表情は明らかに「私もそう思う」という信号を発していた。

*    *    *

 大女祭との会談は意外と実りのあるものだった。大女祭はしっかりした協力者がほしいところでもあるし、積極的にクレイに協力するということを確約してくれた。代わりにクレイは … この聖母教会の危機、「皇帝の回し者」が聖母教会の指導者になることに反対する彼女たちの支援をするということを約束させられたのであるが … 少なくとも悪い話ではない取り引きだった。

「『顔無き女』か … 」
「しっているか?ジーク。」
「わからん。だが、名前から聞くだけでも半神らしいな。」
「ああ。俺もそう思う。」

 クレイはジークの返事 … 「わからん」という一言にがっかりした。あまり期待していなかったとはいえ、ジークも一応「聖職者」(スレイブマスターといえば隷属の鎖教団の司祭でもある)である。半神のことだったら何かクレイが知らない情報を持っているのではないかと … 一寸は考えていたのだ。
 ところがジークは全く別の視点で物を考えていた。だから次にジークが言い出したことは、クレイにとってはびっくりするようなものだった。

「それで、最高司祭の対抗馬はいるのか?」
「えっ?あ、ああ。俺があってきた大女祭がその一人だ。」
「まだ殺し合いは始まっていないのか?」
「殺し合い?」

 クレイのびっくりした表情を見て、逆にジークは意外そうな表情をした。

「最高司祭といえば、一国の王よりも権力が集まる。隷属の鎖では毎回必ず死人が出ていたが … 」
「前最高神官マヌエルといまのルードウィヒのことか … 」

 確かにクレイも知っている。クレイの敵である(そして一緒にこの時代に潜り込んだ)前隷属の鎖最高神官のマヌエルと後任のルードウィヒ … この間でも継承に関しては殺し合い騒ぎになっている。普通の … 一地方程度しか勢力範囲が無い教団と違って、世界的に巨大な勢力を誇る隷属の鎖ならば一国の王よりも重い地位だというのもうなずける。
 そして、その点は聖母教会も同じなのである。

「すこし心配になってきた … 俺、いまからもう一度大女祭のところにいってくることにする。何か手を打っているのかくらいは確認したほうがいいかもしれない。」
「ああ。」

 ジークが無表情に(こいつはいつもそうである)うなずくと、クレイは剣を片手に慌てて聖母教会への道を戻っていったのである。


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