見出し画像

12.「我々の知らない他の力が」

 ギルドというのは帝国の東方にある大洋に浮かぶ島国の貿易連合で、二十数個の島から構成されている。住民はカナン系の民族で…言ってしまえば帝国の兄弟国といってもいい。言葉やファッションは同じカナン人といってもかなり違っているのだが、それでも完全に言語系が違う中原やゴンドとは異なり、単語などにはかなり共通項がある。
 ギルドという国がこのカナン世界で占めている地位は非常に興味深い。一番簡単な説明をすると、要するにカナンの貿易大国、というのがわかりやすいだろう。中原と帝国の中間にあって、島国…ということになれば、自然航海術なども発達し、世界の海をまたにかける商人の国、ということになったのである。
 
 彼らの独特な魔法技術はいくつもあるが、その中でもっとも特筆すべきものは、さっきも出てきた「飛空船」というものである。サクロニアにゆけばもっと速く飛べる鋼鉄精霊族などがいるのだが、カナンではこういう空を飛ぶ旅客輸送手段というのはこの飛空船しかない。それに、この飛空船という奴は…あくまで「船」なので、サクロニアの鋼鉄精霊に比べても圧倒的な大量の物品を運ぶことができる。(もちろん速度でいえば全く問題にならないほど遅いし、帆船と比べてもそれほど速くはないのだが…)
 あいにく普通の帆船と違って建造費用も運行コストもかなり高いので、(運航コストが高いということで、海上では普通の船と同じように海に浮かんで走っているくらいである)軍用を含めそれほど多数の船が就役しているわけではないのだが…それでも大量の物品を地形に関わりなく運ぶことが出来る、というのは魅力だった。
 
 ヴィド・カスカードという若き商人は、小さいながらも…この飛空船のオーナーだった。実はこの船は元々は「海賊」飛空船で、父親であるエリク・カスカードというのは海賊の船長だった。息子の代になって一応海賊は辞めにして、代わりに香水や毛皮などの贅沢品や魔法の物品などを扱う貿易業を始めたのである。
 
 と、いっても彼はそれほど「蓄財したい」とか、そういう訳で商売をやっているわけではない。暮らすだけなら…今でも十分に暮らしてゆける程度の財はあるし、何も危険な外洋航海などをする必要はない。それではなぜ…こんな危険な商売をやっているのか、といわれると…これは謎である。ただ、どうもなにか父親エリクと関係があるらしいのだが …
 
 こういうわけで珍しい贅沢品を買い集めるということで、彼は世界中…上方世界も含めていろいろなところに船と共に出かけることが多い。小型で…重武装で快速である彼の飛空船は、こういうきわどい商売には打ってつけだった。それから商売柄いろいろな国の高官などとも顔見知りだった。こういう訳で彼は…特に鎖の都の最高神官ルードウィヒ様から依頼を受けて、今回の話にいちまいかむということになったのである。
 人好きのする…ある意味ではすっとぼけた表情でクレイたちを楽しませるヴィドは…こういう奴だった。

*     *     *

 さて、とりあえず空腹のナギやヴィドに食事を振る舞ったクレイだったが、肝心の話をとにかく済ませなければならなかった。つまり…せっかくの「鎖の都」調査旅行の結果報告である。わざわざ…これだけクレイをはらはらさせた危険な調査を敢行したのだから、結果くらいは聞かなければならないだろう。
 
「ところで…調査の方はどうだったんだ?ナギ…」
「ああ。かなり…詳しいことが判ったよ。えっと…」
 
 ナギは少しばかり得意げにクレイに笑う。この笑顔を見れば…予想外に良い情報が集まったということがクレイにもすぐに判った。
 
「まず、スレイブマスター・ジークなんだが…あいつ、隷属の鎖の連中も行方を捜しているらしいんだ。」
「ほんとうか?」
「まあ、ちょっと話はややこしくなるんだが…少なくともルードヴィヒ派は間違い無いみたいだ。」
「???」
 
 クレイはさすがに話が良く飲み込めず、かなり混乱したような表情を示す。ナギはちょっと説明するのが難しいというような顔をしたが、取り合えず説明を始めた。
 要するに…隷属の鎖教団というのは、実は現在2つの派閥から成り立っているのである。表の支配者である「ルードヴィヒ派」と陰の支配者である「マヌエル派」というのがそれである。前最高神官マヌエルは、地上での政策の失敗が原因で現在の最高神官ルードヴィヒに暗殺されたのだが、いまだに霊魂は健在で、上方世界を拠点に影響力を行使している。ルードヴィヒはルードヴィヒでマヌエルのこういう活動に対抗して自分のグループをまとめ、地上の信者たちを支配下に置いている、という事らしい。要するに、内部で派閥抗争をしているというわけである。普通の派閥抗争と違うのは、片方が死人で…幽霊である、ということなのだが、それにたいして一歩も引けを取らないルードヴィヒもたいした奴なのかもしれない。
 
「何と無く…判ったけど…なんかとんでもないな…」
「ああ。で、ジークはマヌエル派らしい。何でもマヌエルの育てた剣闘士ってことだぜ。」
「そうなのか…」
 
 最高神官ルードヴィヒとしても、有力なスレイブマスターで、ライバルのマヌエルの手先である、ジークの行方などははっきりと把握しておきたい、というところではある。
 ところが…ジークはここ数年行方が判らない、ということらしい。いくらマヌエル派のスレイブマスターといっても、居場所がまったく判らないというのは気になるのだろう。とにかく…協力は惜しまない、ということだった。
 ただ、明らかなのは…ルードヴィヒのこのような好意は特に…派閥抗争の結果である、ということである。そもそもどう考えても他の勢力…帝国最高神官のクレイや風来坊のナギなどの助けを借りるなど望んでいないはずである。それでもルードヴィヒが援助を申し出てきたということは…かなり苦しい計算が働いているのであろう。つまり先日の帝国女神大神殿への乱入劇は、「われわれは関係無い。マヌエル派のジークが勝手にやったことだ」ということにして、トカゲのしっぽきりを図りたいというのだ。
 
「そうなのか…」
「…?」
 
 クレイはどこか引っかかったような表情を隠すことも出来ず、少しばかりうつむいてナギに答える。クレイの心の中に疑念がよどんでいるのである。そう、「はたして剣闘士ジークが…自由意志で勝手な作戦をするものなのだろうか…」というところが、どうしても納得できなかったのだ。
 ただクレイは…その疑問をどうしても口にすることができなかった。確かにジークは剣闘士である。ジークの心も体も…リンクスと同じように魔法で縛られている。それがどういう事なのか、身を持ってその地獄を体験したクレイには良く判っている。だからこそ…もしそれが本当なら…ジークは無意識のうちに自由を得たのだ…と、信じたい…そういう感情がクレイの中に湧きあがってくるからだった。だからこそ…クレイは何も言わなかった。

*     *     *

 実際のところを言うと、ナギやタルトはもう少し深い事情をルードウィッヒから聞き出していた。
 スレイブマスター・ジークにマヌエルの息がかかっているのは事実だろうが、それ以上にルードウィッヒはジークやマヌエルの動きに警戒感を抱いているのである。前任のマヌエルがルードウィッヒに追われた理由は、マヌエルがある魔道実験に手を染め、隷属の鎖教団を危険な状態に曝したからだった。なんと帝国の神将に匹敵する強力な神官戦士を魔道で生み出す…そして隷属の鎖の帝国を打ち立てることを目指していたのである。
 スレイブマスター・ジークはその被験者の一人なのは明らかだった。最高神官のルードウィッヒすら危機感を抱く強い魔力と戦闘力を持ち、マヌエルの呪縛によって絶対に逆らわない奴隷戦士…万一こんなものを作っていることがバレてしまえば、間違いなく帝国は彼ら隷属の鎖を脅威とみなして粛清する。
 極めて現実的な価値観を持つルードウィッヒから見れば、この計画は夢想を飛び越えて狂気と言っても良かった。だからこそ彼は同様の考えを持つ他の司祭たちの協力を得て、マヌエルを地上から追い払ったのである。しかし怪人マヌエルは地上での体を失ったものの、上方世界に逃れて今尚野望を捨てていない。
 この前提条件を知れば、ジークの動きがルードウィッヒ達にとって、とても気になるというのは当然のことになる。できる事ならばジークを捉えて処分してしまいたい…そのためにルードウィッヒは罠を用意した。それがなんとリンクスだったのである。

 イックス戦役で倒れたリンクスを、ルードウィッヒはどういう手段でか手に入れた。おそらくは帝国神将との闘いで半死半生のダメージを受けていた彼を、デーモンを使って連れ去ったのであろう。ルードウィッヒの強力な鎖の呪縛により、リンクスは再び剣闘士奴隷にされてしまった。
 そして帝都の闘技場で、リンクスはジークが彼を奪いに来るのを待っていた。リンクスの体にはジークを倒すようにプログラムが組み込まれていたのである。無論、タルト達の行動はルードウィッヒの計算に入っていなかったのだが、ジークがリンクスを連れ去り二人きりになれば、その時点でプログラムは起動し、剣闘士の少年はジークに襲いかかるはずだったのである。ところが…

(呪縛は全く動かなかったのですよ…仮にも最高神官のこの私が施した呪縛が、ですよ!)

 ルードウィッヒの組み込んだ命令は、全くリンクスを支配できなかったのである。リンクスの体はスレイブマスター・ジークの命令によって、ルードウィッヒのコマンドを拒否した。つまりこのことは、スレイブマスター・ジークの力は最高神官ルードウィッヒを上回るということを意味していた。ただの神官戦士のジークが、最高神官の力を破るなど考えられることではない。あり得るとすれば…
 マヌエル自身、もしくはそれに匹敵する誰かがジークを補助しているときだけである。しかしマヌエルにしても、ジークが殺されないように助けるならともかく、リンクスの呪縛に介入するとなると考えにくい。リンクスに執着しているのはジークであって、マヌエル自身ではないからである。となると…

(我々の知らない他の力が、マヌエルとジークの協力をしているとなると…)

 ルードウィッヒはその力を探り出すため、タルト達に援助をすると言ったである。敵の敵は味方という論を地で行く話だった。
 とはいえタルトにせよナギにせよ、この話をクレイにすることはできない。教団の内紛の手駒として、リンクスは再び呪縛され剣闘士奴隷に変えられたのである。クレイに話そうものなら、話は今以上に厄介になる。今は我慢するしかない。
 そういう複雑な思いが、タルト達の胸を去来していたのだった。

*     *     *

 さて、深夜になって…疲れきったナギたちを客間に寝かせたクレイだったが、その日に限って彼自身はどうも眠ることができなかった。さっきの…ジークの一件が心の中に何度も何度も蘇り、落ち着かないからなのである。
 
「ジーク…か…」
 
 クレイはジークの、物狂おしいような瞳を思い出していた。ドラン、リンクス …クレイがかつて知り合った元剣闘士の仲間とジークはそっくりだった。泣けてくるくらいそっくりなのである。切ないような…悲しい目…救いを求める、飢えたような瞳…ジークはクレイ自身と言ってもいい。かつて…彼女と知り合う前の… クレイだった。

「リンクスは…俺のものだ。」

 ジークが、その燃える瞳でつぶやいたあの一言…クレイははっきりと確信した。ジークはリンクスを「愛している」のだ。身も心も、少年剣闘士リンクスのすべてを奪い尽くしたい…それだけがジークの失われた心を癒してくれる …そう信じているのだ。それがいかに歪んでいるとか…そういう事はクレイにはとても言えなかった。なぜならジークはもう一人のクレイだったからなのである。
 
 そんなことを考えながらじっと天井をにらんでいるクレイは…その時気配を感じた。獣が…部屋に入ってくるような…しなやかな気配。
 
「?」
 
 クレイは手元にあるガイアードの剣を手にすると寝床から身を起こした。レスラーらしく大きな体躯を持つクレイであるから、ベッドから身を起こすだけでぎしりと音がする。もちろんそもそも…自らの存在を隠そうとか、そう言うつもりは毛頭無いのだが …
 気配の方を覗いてみたクレイは…そこに大きな犬がいることに気がついた。
 
「マグが…びっくりしたぞ。」
 
 マグ…つまり例の巨狼である。クレイの屋敷の居候の喋る大きな犬…大体この「御犬様」は自分勝手で生活のリズムも適当なので、夜中だろうがうろうろするし、昼間は昼間で台所や応接間で寝転んでいる。別にこの時刻にこいつがクレイの部屋をうろついたところで、仕方が無いといえば仕方が無いのだが…クレイを暖房代わりにベッドに潜り込んでくる気なのだろうか?
 ところが…狼はそんなつもりはないらしく、クレイに頭を近づけて言った。
 
「クレイ、もうすぐ客が来るぞ。」
「客?こんな夜更けに?」
「夜更けが好きなんだろう。ニンジャだからな。」
「ニンジャ?」
 
 クレイは狼の言う言葉の意味がはっきりと判らなかった。もう少し詳しいことを聞きたいと思ったのだが…狼はそれだけ言うとクレイのベッドの下に潜り込み、さっさと眠ってしまう。自分勝手の極みのようなマグには、さしものクレイも手も出ないようである。
 本当だろうかと首をかしげたクレイは、それでも一応ベッドから起き上がり、裸では困るので…軽く服などを着込んで客人の出迎えをした。大体服を着おわったころになって …
 本当に窓のあたりで…ノックの音がしたのである。クレイはやれやれというように首を振ると、窓の格子戸を開けて、客人とやらを出迎えたのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?