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序章「な…まさか…あんなものが…」

 帝都は燃えていた。赤々と天を焦がす炎に待ち全体が照らし出され、それは幻想的な光景だった。その中を逃げ惑う人々、そして無抵抗の彼らに襲いかかる戦士達 …
 帝都の中には今や2種類の人間しか存在していなかった。ただうろたえ、無抵抗に殺され、略奪されるだけの市民と、略奪する側の奴等である。彼らは帝国の高度な文化や芸術品など興味も理解も示さず、ただ欲望の赴くまま金と宝石と、酒と乙女だけを求めて街中を荒らし続けていた。至る所で死と悲鳴と泣き叫ぶ声と荒々しい怒鳴り声が充満していた。

 昨日までは文明都市だったこの帝都に突然降り掛かったこの恐れるべき災厄を誰が予想したことだろう。いや、予想していなかったわけではなかった。蛮族 … 無論この呼び方は帝国側の高慢な呼び方なのだろうが … 帝国の辺境に住む異民族の集団が南下して帝国を襲うということは、昔からなんどもあった危機だった。そのために北方辺境には帝国軍の大軍団が常駐しているのであるし、過去には何度か戦火を交えたこともある。しかし、その度ごとに帝国軍と神将達は蛮族軍を撃破し、帝都の危機を救ってきたはずだった。そう、帝国軍と神将が破れない限り、帝都は安全なはずだったのである。

 しかし、それは昨日までのことだ。もはや帝都を守るべき帝国軍は存在しない。帝国軍は彼らに敗れたのだ。神将も、武器をとった市民達も彼らにかなわなかった。もはや帝国は身を守る剣と盾を失ったのである。
 兵力が問題なのではない。帝国軍の兵力は、数だけでいえばいつも蛮族の半分くらいだった。しかしいつもそれでも勝利を収めていた。戦術が、武装が、そして何より神将を擁する帝国側の魔力が蛮族側を圧倒してきたからである。そして今回もそのはずだった … あの男、ギルファーがあらわれるまでは …

    *    *    *

 蛮族は帝国国境を越えたあと、いたるところを略奪しながら帝都に向かって進撃してきた。帝国辺境を守る辺境軍6個軍団は彼らを阻止するために蛮族の手前に急行し、会戦を挑んだ。普段ならそこで … 勝てないとしても、進撃能力を奪うことくらいは出来るはずである。痛み分けで十分帝都は守られる。
 しかし、今回は最悪の結果だった。帝国軍はほとんど壊滅したのである。

 蛮族の首領はギルファーという男だった。数少ない生き残りの兵士が目撃した情報を総合すると、このギルファーという男は身の丈2m、長く伸ばした髪を結いもせず、黒い板金鎧を着込んだたくましい戦士だった。蛮族の首領として君臨しているにもかかわらず、髭を蓄えてはいない。しかし髭がないからといって、その精悍な顔付きを「子供のようだ」とあざけるものはいなかった。彼の戦いの技を見れば誰もがギルファーのことを最強の戦士だと思うだろう。
 それに加えて、このギルファーの手にしている魔力は帝国神将すら足元にも及ばない恐ろしいものだった。手にした剣は天から稲妻を呼び、それだけで並みの神将なら生き残ることすら出来なかったのである。実際、帝国側の数々の魔法攻撃はすべてギルファーに、あたかもかよわい網など巨大な鮫にはあっさりと咬み破られてしまうように打ち砕かれてしまったのである。
 はっきりいってしまうと、北方から蛮族が帝都を攻撃したのではない。帝都を攻撃したのはギルファー一人だったのだ。

    *    *    *

 帝国軍の予想外の大敗に驚愕した皇帝イサリオスは、当然のごとくこの北からの嵐を食い止めるために、帝国全土の兵を掻き集めた。そして帝都に残る神将団とともに自らギルファーと戦うために帝都の北、「ランゴバルド平原」へと出兵した。兵力はおよそ23万、今まで帝国が建国されて最大規模の出兵だった。この兵力、そして帝国が誇る神将達と超兵器の数々 … これでギルファーの軍勢を打ち破れないはずはなかった。市民達は当然やってくるはずの勝利の知らせを今か今かと待ち望んだ。
 ところが、ところがである。やってくるはずの勝利の知らせはいつになっても届かなかった。そして代わりにやってきたのは … 敗戦の悲報と、それ以上に恐ろしい蛮族の大軍だった。皇帝イサリオス率いる帝国軍が敗北した以上、帝都を守る戦力は既に存在しない。もはや … 市民達は襲い来る野獣の前にさらされた餌のごとき存在だった。
 かくして … 帝都は陥落し、この千年の都は業火に包まれたのである。

    *    *    *

 蛮族(これは帝国から見た言い方なのだが) … ランサー族の戦士の一人、ガイセリックはこの略奪に酔いしれていた。既に両手にはいっぱいの金と宝石を持っている。作戦中は我慢していた欲求も、泣き叫ぶ街の娘を手込めにしたことでようやく落ち着いた。あとはこの燃え盛る街の中で空腹とのどの渇きをいやしてくれる食い物と酒を手に入れればいい。
 彼らの首領であるギルファーは、おかしらとしては非常にいい相手だった。細かいことには口を出さないし、剛毅だし、何しろ … 非のうち所がないくらい強かった。剣も、格闘も、そして魔法も、あの戦士に勝てるものは誰もいなかった。彼らランサー族を含め、どの蛮族の中でもそうだったし、この戦争の結果を見れば帝国の連中だって(あの神将どもですら)そうだったのである。
 それに、何よりすごいのはちゃんとこうして約束どおり「帝都を占領した」ということだった。今まで何人もの族長達が目指したことをこうしてやってのけたではないか!

 ガイセリックはそんなことを考えながらあたかもほうけたように街を歩く。赤々と光る炎に彼の心も焼けてマヒしてしまったかのようだった。
 ところが …

    *    *    *

 血相を変えた大男が彼の目の前にあらわれて、何か興奮して叫び初めても、最初はガイセリックにはそれが誰だか判らなかった。しかし、その様子がただ事ではないと気が付いたとき、ようやくガイセリックには目の前の男が族長の一人であることに知覚できた。
 ほうけたような表情でガイセリックが返事をしたのを見て、族長はいらだったように叫んだ。

「え?あ … なにかあったのかよ?ぼうっとしていたんだ。」
「ガイ!?聞いてなかったのか!まあいい、ギルファー様はどこだ?」
「ギルファー様?ああ、いや、俺は知らない。」
「お前も探してくれ!ただ事じゃないんだ!」
「?」
「何か変なものが空を飛んでこっちにくるんだ!ドラゴンかも知れん!ギルファー様に知らせなければ大変なことになりかねん!」

 「ドラゴン」ときいてさすがにガイセリックも目が覚めたように飛び上がった。帝国を含むカナン世界では、怪物が住んでいる秘境の地は少なくはない。しかし
 … ドラゴンのような巨大怪獣が今更出てくることはまれになった。ほとんどは帝国神将やそのたぐいの連中が倒してしまったからである。事実ガイセリックも(まだ若いせいもあってだが)本物のドラゴンを見たことがない。
 しかし、つまりは言い換えるとドラゴンは帝国が大騒ぎして倒さねばならないほど強大な敵であり、万が一こんなところにあらわれたとなると冗談ごとではない。いくら見たことがないといってもそれくらいはガイセリックにも判った。とにかく大至急ギルファーを探さねばならないということも …
 ガイセリックは族長と一緒になって街中を駆け回り、彼らの王であるギルファーを探すという骨の折れる仕事をするはめになったのである。

    *    *    *

 こまったことに街のどこを探してもギルファーの姿は見つからなかった。最初のうちは族長とガイセリックは一緒に行動していたのだが、それではらちが開かないということで手分けして探すことにせざるを得なかった。
 ガイセリックは手当たり次第、めぼしいところを探し、その場にいる人にギルファーを見たか聞いて回った。最初のうちは同じ蛮族の戦士に聞くことにしていたのだが、しばらくしないうちにそこらで逃げ惑ったりしている市民もとっ捕まえて聞く羽目になった。
 こうして手当たり次第に探しているうちに、ガイセリックはだんだんギルファーの足取りが見えてきた。ギルファーは … 驚いたことにだが … この帝都が陥落し、街が炎に包まれた時点で、あとの略奪は兵達に任せて、個人的な仲間と共にある建物に向かったのである。普通ならば蛮族のリーダーは兵達の先頭に立って … 一番重要な宝物があるところである宮殿に向かうものなのだが、ギルファーはそんなことすらしなかったのである。
 それではギルファーとその個人的な仲間(ギルファーが彼らの部族の元に姿を現したときに連れてきていた2、3人の仲間だが)はどこに行ったのかというと … よりによって「帝国女神神殿」に向かったらしいのである。

 帝国女神神殿と聞いてさすがのガイセリックもぞっとした。例え帝国の連中が崇める邪神(ガイセリックは混沌神だと聞いているくらいである)とはいっても神は神である。怪物とか敵とかは怖いとは思わないガイセリックだが、超自然の相手となると … はっきりいって怖かった。いや、普通の神殿じゃなく、「邪神」だからこそ本当に恐ろしいのである。他の蛮族の連中もみんな同じだろう。おそらくはこの都市で唯一略奪を免れるとしたら帝国女神神殿以外有り得ない
 そんなところにギルファーは向かったというのである。

(まいったな … )

 ガイセリックは本心からそう思った。得体の知れない相手に挑むというのはすごい勇気だとは思うし、ギルファー王の偉大さならば可能かもしれないと思う。とにかく彼は … 今までの言動と行動を見ている限りは帝国に本当に勝つ気でいるのである。帝国の支柱である帝国女神に挑むというのも判る気はする。しかし、しかしである …
 ギルファーが単身帝国女神神殿を荒らしに行ったというのはいいとして、そのギルファーを探しに彼自身が帝国女神神殿に乗り込むというのはどうであろう。考えただけでぞっとする。しかし、確かに西の空を見上げると、何か黒い巨大な物体が(まだ小さくしか見えないのだが)近づいてきているのである。あれが族長のいう通り万一ドラゴンだったら … 少なくともギルファー抜きで対処できないのは間違いなかった。

「しかたねぇ!なんで俺がこんな外れクジをひくんだ!」

 ガイセリックはそう叫ぶと、そのまま帝国女神神殿 … この都では(大きさはともかく)宮殿の次に美しい建物に向かって走り始めた。

    *    *    *

 ガイセリックが帝国女神神殿に飛び込むと、いたる所で倒れた兵士や神官と、それから魔法の結果であろうか焼け焦げのあとがあった。おそらくはギルファー達が倒した神殿守備兵だろう。ギルファー達の戦闘能力がどれほどすさまじいものなのか、ほとんど抵抗する余裕もなくやられている兵士の様子を見れば一目瞭然である。
 ガイセリックはしかし、そんな兵士のことを詳しく見ている暇はなかった。急いでギルファーを探さないといけないのである。まだ生き残っている守備兵がいるかもしれないが、その危険すら無視して前に進むことにせざるをえない。

 ガイセリックが神殿の奥へとすすんでゆくと、だんだん恐ろしい威圧感がはっきりと感じとれるようになってきた。あまり霊感のほうは優れてはいない … と思うガイセリックだったが、それでもここが「神域」であることだけはぴりぴりと感じるほどである。歩くほどに全身から汗が噴き出し、危険というか緊張感というべきものが感じられる。
 しかしガイセリックは持ち前の若さと勇気で先に進んでいった。恐らく間違いなくこの先にギルファーがいるはずだ … そういう不思議な、動物的とも言える確信が彼を勇気づけた。そして … その勘は正しかった。帝国女神大神殿の心臓部、女神の玉座の部屋ともおもえる場所の手前で、彼はようやくギルファーを見つけることが出来たのである。

    *    *    *

「ギルファー様!」

 ガイセリックは大声でその男 … ギルファーに呼び掛けた。盗賊のようにこっそりと忍び込んでいるわけではない。彼にせよ、ギルファーにせよこれ以上は無いくらい派手にこの神殿を暴れ回って(ガイセリックは暴れてはいないかもしれないが)きたのである。今更こっそり近づくというのもばかばかしい。
 呼び掛けられたギルファーはこっちを向いた。黒い鎧と抜き身の剣をもっている姿は蛮族の王にふさわしく勇ましい。わずかに驚いたような表情をしているところをみると、どうもまさか蛮族の部下である彼が、この得体の知れない神殿にギルファーを追って乗り込んでくる勇気があるとは思わなかったのかも知れない。まあガイセリックとしてもこんなところに乗り込みたいとは(今この瞬間すら)全く思わないのだが …

「族長達が大騒ぎです。空から変なものがやってきてます。ドラゴンみたいなやつです。」
「 … 」

 ギルファーはガイセリックの言葉をほとんど聞いていないような表情をしている。しかしガイセリックにはすぐに判った。ギルファーはガイセリックがいった言葉の意味を理解している … 理解しているにもかかわらずほとんど興味を示していないのである。

「ギルファー王!ドラゴンが来ているっていっているんです!」
「それがどうした?」
「?!」
「俺は今から帝国女神を倒す。ドラゴンはおまえたちで何とかしろ」

 「帝国女神を倒す」という、とてつも無い言葉を聞いて、ガイセリックは一瞬目を丸くした。「女神」である。女神を倒すということが人間に出来ることなのか … 少なくともガイセリックにはギルファーが正気であるとは信じられなかった。いや、それはそれでもいい。(ギルファーなら出来るのかも知れない。)それ以上に問題は … やってくるドラゴンである。ギルファーが女神とやり合っている間に、彼らランサー部族はドラゴンに壊滅させられてしまうかもしれない。それでは何の意味もないのである。女神を倒すのはドラゴンをなんとかしたあとでもいいはないか。

「女神をやっつけるのは後にしてください!その前に街ごと吹っ飛ばされてしまいます!」
「それがどうしたのだ?」

 ギルファーは静かに、そして冷酷にガイセリックにそう答えた。周囲に立っている彼の仲間が促すようにガイセリックとギルファーの間に割って入る。これ以上ギルファー達はガイセリックとはなすつもりはない、そういう意思表示だった。
 あくまで冷静なギルファーの答えに、ガイセリックはその瞬間、彼を含めた北の蛮族達が捨てられたということを悟った。ギルファーにとって、もはや北の蛮族達の力は不要なのだ。この帝国女神神殿にやってくる、ただそれだけのために彼らの力を使ったにすぎない。そして … あたかも不要になった古いおもちゃを捨てるように、たった今彼らはこの男に捨てられたのだ。「それがどうした」という冷たい言葉がすべてを語っていた。
 ガイセリックは無言で剣を握り締め、その場を立ち去った。それならそれでいい。すべては終わったのだ。ギルファーという男の強さに惹かれた彼らが愚かだったのだ。
 ガイセリックは虚脱感と暗い怒りに満たされて、帝国女神神殿の出口へ向かって歩いていった。しかしその足取りは不思議なことに力強かった。

    *    *    *

 外へ出たガイセリックは、ついさっきまでまだ明るかった街がいつのまにか暗くなっていることにわずかに驚いた。まだ日が沈むには早いのだが … ちょうどまるで嵐がやってくるかのような暗さなのである。

「いったい … 」

 彼は思わず空を見上げた。天気が急に悪くなったのではないかという自然な反応であった。しかし、彼はそこに意外過ぎる物体を見た。そこにあったのは … 厚い雲ではなかったのである。

「な … まさか … あんなものが … 」

 ガイセリックはいろいろありすぎて、自分の頭が狂ったのではないかと一瞬思った。しかし、何度見上げてみてもそこには雲など存在しなかった。代わりにあるのは … 巨大な城だった。大空いっぱいに広がる巨大な城が帝都の真上に浮かんでいたのである。あれが、さっきから族長達が騒いでいた「ドラゴン」の正体だったのだ。
 ガイセリックはあまりのことにただ力なくその場にへたりこんだ。そして彼らの前にやってくる運命の予感に、彼の両目から涙がこぼれ出た。


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