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5.「来たか」

 もう夜だというのに舞い戻ってきたクレイに、聖母教会の女祭達は … 狂喜乱舞した。非常に困ったことなのだが、クレイの子供っぽさがのこる甘いマスクとレスラーそのものの逞しい体躯はこの聖母教会の女祭「ども」のあこがれの的である。(まあ聖母教会の支配は上は貴族の貴婦人から、下は娼婦まで幅広いので仕方が無いのかも知れないのだが … )それにクレイは折り紙付きの「半神」である。御利益狙いとかいうのも含め、これ以上好条件の相手はもうめったにいるものではないというのだろう。
 クレイも身に迫る危機にうすうす気が付いていたのか、今回はわざと危機感を表情に丸出しにして大女祭への面会を求めた。残念そうな女祭達は … しぶしぶ … 大女祭のテントへと彼を案内する。
 迎え出た大女祭はさすがにびっくりした表情だった。

「どうしたのですか?クレイ様。」
「気になることがありまして、夜分と知りつつ押し掛けました。お許しを … 」
「気になること?」
「このたびの最高神官選出の件 … えっと、大女祭様ははっきりとした対立候補と目されているんでしょうか?」
「 … そう見ているものも多いでしょう。他にも候補と目される方はおりますが、帝都の大神殿をあずかる私も有力候補ですわ。」

 クレイはここで珍しく嘘をついてしまった。いや、嘘というのはちょっと酷い言い方だろう。「~かもしれない」という推量を「~です」という確信にすり替えただけなのである。

「大女祭様の身に危険が及ぶという情報があるんです。」
「!!!」

 大女祭は面食らったようだった。やはり彼女は全くそう言うことを想定していなかったのである。「隷属の鎖」教団と違って「文化的な」(ということにしておくが)聖母教会では、最高女祭の選出に関して殺し合いになるということはあまり無いようだった。
 しかし、彼女はクレイの警告を一笑に伏すほど自信家ではなかった。クレイの言葉は彼女の危機感を煽り立てるのには非常にうまくいったのだろう。彼女は不安そうにクレイに数日間 … 聖母教会が自前で集めるボディーガードの準備が出来るまで、彼女を警護してくれるように頼んできたのである。

*    *    *

 というわけで、クレイはその晩はこの苦手極まり無い聖母教会の「野外式大神殿」で泊りということになってしまった。ただ、事情が事情であるだけに、大女祭の厳命で不埒な女どもは一切彼の回りに近づくことは出来なかった。

 実際のところ、クレイは聖母教会が大の苦手である。聖母教会は昔から人造エピックヒーローを生み出すための交配計画に深く関わっている。クレイ自身もその一人だったのだから、聖母教会に対して穏やかな気持ちではいられないところがある。
 それに…クレイだって男性である。こんな女の園のようなところでは、落ち着けと言う方が無理難題だろう。ましてや彼の場合は制御困難なルーン力という、コンプレックスとも言える要因もあって、めったなことでは女性に手を出すわけにはいかないというのもある。
 とにかく、クレイはそういう身体的なコンプレックスや心の傷で、この任務はかなり拷問に近い苦痛だったのである。せめて話し相手でもいれば良いのだが、まさかジークやレムスをここに連れてくるわけには行かない。本来聖母教会は男子禁制で、帝国とゆかりの深いクレイという特別なヒーローだからこそ、今回の任務がこなせるのである。

 しかし冷静に考えると、この任務はかなり厄介である。
 当初の予定通り「何も起きなければ」ラッキーなのであって、これで万一本当に暗殺騒ぎになって、クレイが出し抜かれたりしようものならば「クレイが守っていたのに全く役に立たなかった」という悲惨なことになってしまう。せっかく聖母教会が協力してくれそうな雲行きなのに、元の木阿弥 … いや、それ以下だった。とはいえこればかりは今更引っ込みがつくわけではない。あとは時が過ぎて、何事もないのを祈るだけである。
 ところが … 面倒なことは必ず起きてしまうというのが、このクレイの困った運命だったのである。

*    *    *

「!」

 クレイは突然の気配で目を開ける。クレイの野獣のルーン力が危険を察知したのだ。普通の人間なら絶対に気が付かないような気配である。

「来たか。」

 クレイは無言で剣をとり、足音も立てないように静かに大女祭のテントのほうに向かった。
 と … そのときクレイに何か黒いものが、一瞬動くのが見えた。まるで黒猫のような素早い動きだったが、確実にそれは人間である。それも、熟練した敵の …
 それはなんとかテントに潜り込む隙を狙っているようだった。クレイは息を殺して敵が動き出すのを待った。幸い、敵は彼らには気が付いていないようである。こうなると完全に我慢比べの世界なのかも知れない。

 待つことしばし … ついに敵は動いた。わずかなテントのすき間から中に潜り込もうとしたのだ。そのチャンスをクレイは逃さなかった。小技だが必中のルーン力、氷の刃が暗殺者に向けて放たれた。
 その瞬間、その瞬間である。敵はクレイに気が付いた。そして彼らのほうを振り向いた。そして、驚くべき体術で氷の刃をかわしたのである。いや、かわしたのではない … 氷の刃は男を避けるようにそれてしまったのだ。ルーン力を弾く強い力…それは間違いなく同じルーン力の発動だった。相手は、神将か半神だったのである。
 クレイはそれに対応するように剣を握り締めた。クレイの肉体にルーン力がみなぎり始める。相手が神将や半神なら、彼も手加減をするわけにはいかなかった。ところが … クレイは次の瞬間剣を取り落とすほど驚く羽目になったのである。

*    *    *

 さっきの攻撃で、男のつけていた覆面が外れ、そのすき間から顔が見えていた。その顔はまぎれもなく烈だった。

「烈!」

 烈は無言だった。まるでクレイのことを無視しているように見える。しかしクレイはそれが烈であることを疑うことは出来なかった。ミトラ人がこの帝国にいること自体まれだし、そしてあの素晴らしい体術は間違いなくミトラの忍術だった。
 クレイは頭が一瞬混乱した。姿を消した烈がなぜこんなところにいるのか、そして聖母教会の女祭を狙わねばならないのか?なぜ烈が彼らを無視するのか?
 烈に何があったのか …

 クレイはその疑問を口に出そうとした。しかし … しかし、烈はクレイに問い掛ける暇さえ与えずに … 姿を消した。見つかったと判った以上、これ以上はとどまるつもりはないのだった。
 クレイは烈が消えたその後を、無言のまま見つめていることしか出来なかったのである。


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