アマノコウスケの日記①(2024.02.11〜02.17)

202B年12月20日
戦争が続いている。
半年前に開戦となった直後に内定をもらっていた会社から、先行き不透明な為に内定の取り消しの連絡があった。社屋が爆撃を受けたこと、商材もシステムも復旧出来ず休業状態である事の説明を受けている途中で電波が遮断され、通信が途切れてしまう。恐らく説明は果たしたものとして二度とかかってこないだろう。
都市部の被害状況は人伝にしか聞く事が出来ないが、テレビの報道の穏やかさとはかけ離れており、どちらが本当かは解らない。
就職に関しては特に悔しさもないと思っていたものの、何となくスッキリしないのでどこかに書き残しておきたくて使いかけのノートに日記をつけ始めた。
夢や目標もないけれど、こうなるのだろうと思っていた未来がこんなに呆気なく消えたことに動揺はしている。
都心部から電車でも30分かかり、小高い山の中腹にあり、工場などがないただの住宅街であるこの街には侵攻を受けたことがない。
非効率な攻撃はしない時代なのかも知れないが、実感に乏しい。
悲惨な状況にある方々を思えば、恵まれている。
大学も再開の目処が立たず、準備を進めていた論文も中断したままだ。
完成させたい、とも思えない日々がいつまで続くのだろう。

202B年12月21日
団地の自治会メンバーで農業課が発足する。
種や苗、器具や職員(参加メンバーの意)のシフトの管理及び夜警を祖父から言い渡される。
実家よりも大学に通いやすいという理由で団地に住む祖父の部屋に居候していたが、突然与えられた役割の影響で空いていた202号室を事務所兼住居として提供された。
家財道具は都市部で戦死した入居者のものから選ばれており、罰当たりな気がしてしまうが、何もしないでいるよりは気が紛れるのに加え、祖父と顔を合わせる時間が減るのであればと思い引き受ける事にした。
祖父は僕が居候としてやってくるまで20年もこの団地で一人暮らしをしており、団地内の植え込みを畑として無断使用していた。
市役所から問題視され、度々衝突していたそうであるが、自治会メンバーを長く勤め、自分の発言力を高めることで当然の様に畑を拡大していた。
皮肉にも戦争で物流が不安定になり食糧難になったことで祖父の不法行為は必要な事として受け入れられる様になった。
協力者も増え、団地の外にまで技術を伝達する様になった祖父はこの地区の顔役になりつつある。横柄な態度と言う訳ではないが、自分がいなかったらという陶酔が酷く、生活を共にしているとエネルギーを吸われる様な感覚になっていたので有り難く衣類と生活用品だけを持って202号室へ移った。
役所は所詮一市民の祖父に構っていられないのだろう、戦争が始まってからは姿を見せていない。

202B年12月23日
202号室の前に黒板を設置し、農作業のシフトを割り当てていく。
団地と、周囲の住宅からの有志からなる30人ほどの職員は、収穫された野菜を優先的に手に入れると共に市場で販売した売り上げを分け与えられる。
職員の新規受入の要望もあるが、農地が拡大出来次第と保留にさせてもらっている。
その参加希望者の対応や、職員の体調・都合によるシフト調整、物品の管理などであっという間に時間が過ぎ、畑作業自体を手伝う時間はほぼなかった。
今は収穫出来る野菜も少なく、一人で回れている夜警も、団地の植え込みを全て農地へ変えた為に徐々に力を入れなければならないだろうと祖父は言っていた。
職員に武術の心得がある若者がおらず、数人スカウトする予定だと言う。

202B年12月25日
祖父たちが開戦以降営業していないホームセンターから種や農機具、肥料を盗んできた。
「こんな時だから」と言っていたが、それで許されるのならば深夜に人目を避けてやっているのは何故なのか、衝突するのも億劫で黙って受け入れた。
団地の敷地内に落ち葉堆肥を作る作業を手伝う。
夜、コズエさんが訪ねてくる。
「念願の一人暮らしだね」と茶化される。
コズエさんが勤める図書館は閉館を指示されており、ボランティア扱いで開館していると言う。サークルでお世話になった恩もあるので、休日には手伝いに行くと伝えると「そんなにすることないけどね」と言いながらも喜んでくれた。

202B年12月30日
年内最後の配給。
米2kg、レトルト食品、加工肉、ビタミン剤など。
電波や電気は不安定な時間が多いが、上下水道とガスは生きている。
どこの地域もそうらしく、配給用のトラックを運転していた方が祖父とそう話していた。
聞いた情報は記録する様にと指示を受け、渡された「会談議事録」なる仰々しい名前のノートに会話を書き留めた。
午後からは非番だったので図書館に顔を出す。
コズエさん達は自己啓発本やビジネス書やファッション誌を1箇所に集めていた。
どうするのか尋ねると、暖房が使えなくなった場合の燃料として提供するとの事だった。
本が大した燃料になるとは思えないし、図書館の人たちもそう思ってはいるが、地域住民の要望で優先順位を決めたとの事だった。
「緩やかな焚書」とコズエさんが悲しそうに笑っていたのが印象的だった。
衣食住に関係のない本から順番に、場合によっては処分されていくらしい。
これまで本屋や図書館で見向きもしなかった種類の本ではあるが、これが必要な世の中がきっと来るのではと思った。

202C年1月4日
祝うことも物もないが、見回りと水やり以外は正月休みという名目で免除された3日間を経ていた作業が再開された。
冬は一部の野菜を除いて大きく育つ時期ではないと祖父が言っていたが、団地の中だけではなく個人の住宅の庭や道路の中央分離帯、植え込みまで畑を広げているので春からは大忙しだろうと思う。
夜、電気が使える日にはコズエさんの図書館から借りてきた本を読んでいる。
これまで全く興味のなかった啓発本で、読み進めどもやはり興味が湧かない。
それでもこの本が失われる可能性がある事を思うと、何も知らないままで消えてしまうのは惜しいと感じてしまう。
つい最近まではこのギラギラとした自己研鑽が必要とされる社会だったのだという懐かしさもあると同時に、呆気なく失ってしまったその日常が、戦争が終わることでまた当然のように復活するのではないだろうかと思っている。
その社会に積極的に参加して来なかった癖にと思うものの、自分で選択して失っているのとは訳が違う。この日常が続くよりも、元の社会を取り戻して欲しいと願う。
祖父は恐らく、僕とは違うだろう。
自分が必要とされる今がずっと続けばいいと願っているに違いない。
比較的読みやすい本を数冊、コズエさんにお願いして貰い受けようと思っている。

202C年1月15日
配給が減っていく可能性を考慮し、2km先にある田んぼを借り受ける事が閣議決定される。
大袈裟な表現に辟易するが、祖父を中心とする主要メンバーは大真面目であるし、実際に可能性を見越して準備しておくことは大切であると僕も思うので粛々と記録をとる。
しかし、食肉用の家畜がいない住宅街で肉の問題を解決することは難しく、犬を食用に育てるべきかという議題は大荒れとなり、二度の休憩を挟んだのちに次回へ持ち越しとなった。
愛犬家の人たちの気持ちを考えるまでもなく、僕も反対ではあるが、それは加工肉となって支給される動物たちと違い目の前にいるからという卑怯なものである。記録係としてどうなるかを記すことに徹したいと思う。

202C年1月19日
農作業とそれに関わる事務作業に従事していると学生であった頃よりも人から頼りにされることが多く、働く喜びというものを感じられている気がする。
眠る前に、内定が取り消しになった企業で働いていたらどんな喜びがあったのだろうと考えることが増えた。
特に思い入れもなく、待遇とぼんやりした興味で選んだ会社だった。業務内容も今となっては詳しく思い出せない。
それでも戦争さえなければ、責任を負うことで農作物でなく金銭を得られ、その金銭をどう使おうが自由な暮らしがあったはずなのだ。
沢山の義務や決まり事を時間をかけて積み重ね、生活上では関係することもない人たちと共同で成り立たせたそんな社会はあっという間に崩れ去ってしまった。
また、親や少ない友人とすら連絡もロクに取れない日々ももどかしい。
誰かが犠牲になっていたらと考えると暗い気持ちになると同時に、こんな状況でも自分が生き残ることが出来ると疑いもしない平和ボケした自分を呪う。

202C年1月21日
都市部の方角から花火の様な音が聞こえ、訪ねてきていたコズエさんと点検ハッチから屋上へ上がる。
攻撃を受けたのか炎と煙が立ち上る景色を見て、僕もコズエさんも何も言えなかった。
祖父がいよいよ都市部から人が避難して来るだろう、団地周りだけでもバリケードを準備するべきかも知れないと言っていた。
僕はそれを聞いて祖父の無慈悲さに腹立たしくなるも、自身が守れて初めて人を助けられるという彼の主張も一理ある気がして反論が出来なかった。
自分に経験があれば何か言えたのか、それすら解らずに本を読むことしか出来ないでいる。
こんな日

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