2020/01/30/Thu.

おはよう。

四時起き。
お誘い頂き、宝塚歌劇の当日券をゲットしに始発で宝塚へ。
前売りで敗れても早起きで何とかなるというのは救いかも知れないと思えるのは、前売りで売り切れてしまうとそうそう入れないライブハウス文化の名残りなんだろうかと思いながら電車に揺られる。

2019年に放送された「さらざんまい」と「星合いの空」についてボンヤリ考えながら当日券の販売開始を待った。
「生きるって何でこんなに面倒でしんどくてどうにもならないんだろう、と思いながらも凄く生きることに執着している」という事を、身分により更に窮屈さを強いられる思春期の子供を通して描かれた両作品は、その困難さに対するアプローチがそれぞれの特色となっていて印象的だったなぁ、と今更考えていた。
「さらざんまい」は隠喩や直喩がふんだんに盛り込まれていると思うのだけれど、その濁流の様なスピード感からキチンと受け取れたかどうかと言われると自信がないけれど、尻子玉を抜かれて河童になった世界を死後、パラレルワールド、ファンタジーと考えた時、別のステージで現実に叶わなかった欲望を手繰り寄せる為になりふり構わず奮闘することで現実を乗り越えていく力=生きていくという希望を手放さない強さを得る物語だったと思う。
一方、「星合いの空」は傷ついた子供たちが身を寄せあい、不器用ではあるもののお互いを必要とし、支え合うことで慰めるものの、どこまでいってもついてくる現実の残酷なまでの重たさに傷付き、向き合おうとしてまた傷付き、理想的な世界なんて都合の良いものはなくても、生きていく為にどうしようかと問い続ける物語だった。
どちらも現実の不自由さからは逃れられない、不幸は存在するとしながらも、「生きていかなければいけない」ではなく「生きていきたい」と思う為に必死に抗う子供たちの姿が息苦しいほど描かれており、特に「星合いの空」に関してはあまりにリアリティーがある上に問題の重たさが多様に提示され過ぎていて観るのが怖かったけれど、これだけ悶々と考え続けていると言う事は観て良かったなのだなと思う。
随分と歳を取って、両作品の主人公たちにとって絶望的な足枷となり得る家庭環境や未成年という問題からはとっくに自由になれているのだけれど、それでもこんなに嫌なことだらけで、不幸に感じる事もあって、何故なんだろうとか思ってしまうんだけれど、それはそれとしてやっぱり普通に毎日生きていようとする自分に「まあそうだよね、何だかんだやってくしかないよね」という肯定をくれた様な気がしている。
考察なんかはしていなくて、ただボンヤリそんなことを考えながらポツポツと思い出した様にお喋りをしながら当日券の販売を待った。
宝塚歌劇のチケットを待っているのに何を考えているんだろうなと我ながら思った。

無事に当日券を手に入れて観劇した「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」は、これまた随分と重たいテーマを投げかけてくるどっしりとした作品で、これまで割と派手なエンタメ性のある作品や純愛ものを観劇してきた自分にとっては衝撃的な作品だった。
ユダヤ人移民である主人公たちがアメリカで成り上がる為にギャングになり悪事に手を染め、色々なものを失っていくという物語で、原作映画を観ていないのでその重たさにビックリしてしまった。
裏社会で悪事を働きながらもいつか表で愛するヒロインと生きていきたいと願い、あらゆるものを失ってようやく、形は違えど光の中に立つことが出来た主人公。
それに対して、自分の信じた正しい道を貫こうとして裏社会で生きる主人公を選べなかったヒロインが挫折を経てそちら側に立ってしまっており、長い年月を経て2人がすれ違っていく様がゾッとする程に美しく描かれていた。
主人公の親友も、主人公への裏切りを経た事により贖罪の気持ちから「友情」歪みが生じており、結局最後にまた主人公を裏切ってしまったという気持ちが伝わってきて(最後の最後、主人公の「諦めるな」というセリフに対して親友が選んだ行動について僕はそう受け取ったんだけど実際どうなんだろう)、滅茶苦茶辛かった。
主人公だけが最後の最後まで愛も友情も信じていたとも取れるし、誰より先にそれを手放してしまった過去があるからこそ1人だけ救われてしまったという取り方も出来るのかなぁ、と思って凄い愛憎劇だなという感想に落ち着いた。原作映画も観てみたい。

お茶をしながらあれやこれや感想を話して解散した。
たまたまが重なってではあるけれど、結果的に一日同じようなことを考えていた気がしてどっと疲れたのでさっさと寝る。

おやすみ。

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