卜部(2023.11.5〜11.11)

「それにしても昨日は台風みたいな天気だったな・・・雷も鳴ってたし」
季節外れの暑さが引き起こした強風と雷雨の組み合わせで昨夜の天気は大荒れだった。
夜中に何度も目が覚めてしまったせいか寝不足気味で普段よりも身体が重い。
過去の台風ではベランダに大量の落ち葉が吹き込んでいた事もあり、何事もないか確認する為に俺はカーテンを開け、窓を開けてベランダに出た。
「え?」
落ち葉やゴミは飛んできていないが、見知らぬ男がベランダに倒れている。
マンションの3階のベランダに、雨にグッショリと濡れたスーツ姿の男がうつ伏せに倒れている。ビジネスリュックを背負っており、リュックの凹みに小さな水溜りが出来ていた。
「どういう事?誰?」
空き巣、強盗、変質者など自分に危害を加えんとする呼び名が頭に浮かぶが、砂浜に打ち上げられた海亀の様な状態にそれより先に生きているのかどうかが気にかかる。
自宅のベランダで人が亡くなれば、警察にあらぬ疑いを掛けられることになってしまう。
一度サンダル履きの足先で男の腿をつついてみるが反応が無い。
「大丈夫ですかー?」
横にしゃがみ、肩のあたりを揺すりながら呼び掛けるも返事は無い。
「救急車と警察どっちを呼ぶべきなんだろう」
そもそもどう説明したら良いのか解らないが、とにかくこの状況から自分と見ず知らずの男を助けてくれる存在を呼ばなければとスマホを取りに男に背を向けた時、背後から呻き声がした。
「うぅ・・・」
振り返ると男がのろのろとした動きで起き上がろうとしている。
「ここはどこ・・・寝落ちしてたのか?」
独り言を呟きながら座り姿勢となった男がこちらに気付いて固まっている。
パジャマ姿の男がこちらを怪訝そうに見ていることから自分が人の家のベランダにいるのだと状況を把握している様子だった。
「ご迷惑をおかけしており大変申し訳ございません。決して怪しいものではないので・・・いや無理があるとは思うのですが、本当に怪しいものではありませんので弁解を聞いていただけませんでしょうか・・・」
心底申し訳なさそうな表情で男が言うので、念の為に一歩距離を取って頷いて返す。
そろそろ通勤や通学の時間帯なのもあり、眼下の道路には人通りがある。危害を加えられそうになったら叫べば何とかなるだろう。
「私、こういう者です」
男は立ち上がり、スーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、こちらに名刺を差し出す。
片手を伸ばして名刺を受け取る。雨の影響なのか少し湿気を帯びている。
テレビCMで見たことのある銀行の名刺だった。
男の名前は卜部というらしい。役職は主任であるらしい。
「トベさん、ですか?」
「ウラベと読みます」
読みを訂正され彼の方に視線を向けると、さっきまで顔があった高さにネクタイが見える。
驚いて顔を見上げると卜部は苦笑いを浮かべ、自身の身体も宙に浮かせながら言葉を続ける。
「この様にですね、名前をトベと呼ばれると飛んでしまうんです」
卜部の足元を見ると確かに浮いている。少しずつバルコニーの床に向かって高度を下げており、数秒で地に足がついた。
「超能力か何か?」
「個人的には体質という方がしっくり来ますね。声の大きさによって高度が変わるので、自分で呼ぶ分にはコントロール出来るのですが、人に呼ばれる時はそうはいかないので超能力というには使いこなせていないと自負しております」
そもそも飛ぶ能力自体が異常なのに、呑気に人から呼ばれるだけでなく自分で誤読しても飛べるのかと発動条件に感心している自分がいる。説明よりも先に実演を見てしまって突拍子が無いとしても現実を飲み込まざるを得ないと自覚してしまったのだろう。
「それで、あなたはその能力を使ってどうしてウチへ来たんですか」
名前を呼ぶとまた飛んでしまうのであなた呼びをして尋ねる。
ルールを理解して呼び方を工夫している事を察したのか、卜部はどこかホッとした表情で答えた。
「決してここが目的地という訳ではなかったんです。そもそも目的も無かった、と言うべきでしょうか」
ここに至るまでの過程を思い出そうとベランダの外、空を見上げながら卜部は続ける。
「昨夜は会社の飲み会があったんですね。そこで随分なアルハラとパワハラを受けましてかなり酔っていたのです」
誰もが知っている大手の銀行に勤めていてもそういうことがあるのかと社会の面倒さを自分の出勤前から思い知らされて暗い気持ちになってしまう。
卜部も似たような表情のまま、話し続ける。
「酔って自暴自棄になっている中、強風に押されたら勢いよく飛べるんじゃないかと思いまして、自分の名前を叫びながら飛び続けていたんです」
酔っ払うとコンビニで普段買わないものをやたら買い込んだり、ネットショッピングで衝動的に買い物をしてしまうことがあるが、そういうことなのだろうと理解した。
「なんだか映画みたいですね」
僕は能力を使えることに気付いて街の上空を飛びながら喜ぶ主人公を思い浮かべてそう言った。
実際に目の前にいるのは湿ったスーツを着たサラリーマンなのだけれど。
「そんなドラマチックなものではないですが、想定通り凄い速さが出てテンションが上がって調子に乗ってしまいました。油断したところに強風に煽られてコントロールが効かず、ここに墜落してしまったんだと思います」
怪我をしていない様子なのが不幸中の幸いということだろうか。
こちらも怪我をされていたら非はないとは言え、そのまま帰ってもらうのに気が引ける。
そろそろ出社のための身支度をしなければならない。
「あの、今回はもう通報とかそういうのしないので、そろそろ帰ってもらってもいいでしょうか」
卜部にも仕事があるのだろう、慌てて頭を下げる。
「あぁ、すいません!勝手に入ってご迷惑をかけておきながら長々と!もし何か壊したりしておりましたら名刺の連絡先に連絡いただけますでしょうか」
言いながらベランダの手すりに足をかけ、外へ飛び出そうとするのをリュックを引っ張って慌てて止める。
「朝なので!人目についてしまうので!玄関から帰って貰っていいですか!」
「そ、そうでした・・・申し訳ありません」
恥ずかしそうに、また落ち込んで見える卜部を従えてバルコニーから玄関まで移動しながら思いつきで尋ねる。
「人を抱えても飛べるんですか?」
「試したことはないですね。もしご興味あればご連絡いただければ」
思いの外ライトに要望に応えてくれそうではあるものの、成人男性が成人男性を抱えて空を飛んでいる様はかなり滑稽に思える。
「いや、結構です。聞いてみただけなので」
ベランダで一度脱いだ革靴を履き終わり、卜部は立ち上がってこちらに向き直った。
「名前の読み違いでそんな特殊な能力が発揮出来るのは何だか羨ましいですね。僕も読み間違いされがちなので、そういうのがあれば良かったなと思いました」
「それは奇遇ですね。ちなみにお名前は?」
「小さな林と書いてオバヤシと読みます」
珍しい、と呟いてから卜部はこちらに向かってもう一度頭を下げて言った。
「オバヤシさん、この度はありがとうございました」
「捕まらないように気をつけてくださいね」
頷いて玄関から出ていく卜部が最後に思いついた様に言う。
「もしかしたらオバヤシさんにも気付いていないだけで何か能力があるかも知れませんね。調べられる場所を知っていますので、ご興味あればご連絡ください」
失礼します、という言葉と共に玄関の扉が閉まる。
鍵をかけながら卜部の言ったことを反芻する。
卜部の様に誤読に意味がなくとも発動する能力があるのだろうか、それを調べられる場所というのは病院の様なものなのだろうか、ただの誤読だけよりもいくらかマシなのか面倒が増えるのかも解らないが、妙に浪漫を感じてしまうのは実際にベランダまで飛んできて目の前で浮いた卜部を見てしまったからかも知れない。
靴箱の上に置かれた時計が7時半を指している。普段ならそろそろ家を出る時間である。
「やばい、遅刻する」
卜部は遅刻せずに出勤出来るのだろうか。
人目につくからと止めたものの、卜部ならこんな時も飛んで間に合ったりするのだろうか。
自分にない能力のことを考えても仕方がない。
興味も人の心配も一先ず棚上げして、僕は急いで準備を始めた。

この短編は以下の日記から連想して書きました。

またー。

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