ファン(2024.04.21〜04.27)

「コウチさん、これお願いします」
議題が何だったかもすでに思い出せなくなっている会議を終え、ミーティングルームから出たコウチを呼び止めたアンドウはメモパッドから1枚紙を剥いでそれを裏返しにして差し出してくる。
「議事録をとってました、みたいな感じで来られてもなぁ」
アンドウの真面目な所作が取り繕ったものだと解り切っているコウチはその紙を受け取り、表を向ける。
「やっぱりな」
そこには東京本社からオンラインで会議に参加し、高説を奮っていた執行役員がスクリーンから落ちないようにしがみ付いているのを映画泥棒が違法に撮影してネットにアップロードしている様子が描かれていた。
この超大作をさも要点をメモしています、という顔で描くアンドウの姿を想像してコウチはため息をついた。
しかし、芝居がかった喋り方をする執行役員の特徴を投影されていたスクリーンと関連付けて映画という方向に持っていったのはしっくり来る表現で思わず笑ってしまう。
「画伯の新作、素晴らしいと思います。確かに頂戴しました」
「今回もちゃんとサイン入れといたんで、コウチさんがお金に困ったら売ってくださいね」
平社員のアンドウが課長という立場の自分にかけて良い言葉なのか、それこそ執行役員が聞いたら注意されそうなラフさではあるものの、コウチとしてはこれくらい舐められている方が仕事が進めやすいのもあって受け流す様にしていた。
美大を卒業したアンドウが全くの畑違いの当社に新卒として入社した2年前から今日に至るまで、コウチは研修担当を経て直属の上司として彼の世話をしてきた。
真っ白な肌でクリクリとした大きな目のアンドウは小柄さもあってマスコットキャラの様な扱いで皆にチヤホヤされるが、実のところ人付き合いが苦手な様でコウチにのみ懐いている様な状況だった。
彼が自身に向けられる人気を持て余しているのが妬ましく思うこともあったが、飲みの誘いなどを断る度に自己嫌悪を2、3日引きずっている姿を見ると、その繊細さを可哀想に思えて妬みも消えてしまう。
「アンドウくんの作品、結構なペースで増えるから引き出しに溜まってきてるんだよ」
会議だけでなく、取引先の長電話に付き合わされたり、移動中だったりとアンドウにとって退屈な時間が生じる度に大小様々な落書きが増え、彼はそれを毎度律儀にコウチに提出してくるのだった。
「落書きとは言え、人から貰った絵は捨てられないんだよな」
困っている訳ではなく、ただの形式的なぼやきであることがアンドウにも正しく伝わっている様で彼は満足げに微笑んで応える。
「コウチさんがそういう人だから、あげてるんです」
階段と廊下を通過し、話しながらオフィスに戻ってきた二人は話を切り上げ、隣り合ったそれぞれの席に腰を下ろす。
貰った絵をデスクの引き出しに仕舞っていると、アンドウが「コウチさん」と名前を呼ぶ。
「今日、昼一緒に行きませんか」
アンドウがランチに自分を誘う時は何か話したい事がある場合が多かった。
それは職場の対人関係の事であったり、単純に観た映画の感想だったりと様々だったけども、それを話す対象として見初められたのがコウチだけであるという自覚がコウチを頷かせる。
「いいよ」
コンビニで朝調達したおにぎりは晩ごはんに回せばいいと考えつつ、どうして自分はこんなにアンドウに甘いのだろうと思いながら午前中のタスクに目を通し、コウチは仕事に取り掛かった。

昼休みのチャイムが鳴ると同時に急かすアンドウについて辿り着いたのはカウンター席が4席ほどしかないたこ焼き屋だった。
「ここ?」
尋ねるコウチに頷いて、持ち帰り用のカウンターに肘をついてアンドウが店内に向けて声をかける。
「テイクアウトの連絡してたアンドウです」
「あ、アンちゃんいつもありがとうね!」
あだ名で呼ばれるほどに通っているらしいアンドウは慣れたやり取りでビニール袋に入ったたこ焼きのパックを受け取り「こっちです」と先を歩いていく。
アンドウの向かう先には河川敷がある。
そこで食べようということなのだろう。
「今日みたいに天気がいいと、外で食べたら気持ち良いですよ。あ、でもコウチさん日焼け大丈夫ですか?」
「僕は別に大丈夫だけど、どっちかと言うとアンドウくんの方が」
日差しは強くはないが夏日と予報されているだけあって気温は高く、少し蒸し暑い。
「日焼け止め塗ってるんで大丈夫です。あ、ここで飲み物を買いましょう」
80円から、という売り文句の見慣れない銘柄の飲み物ばかり売っている格安の自販機でお茶を購入し、河川敷の土手の階段を登る。
登り切ると景色が開け、河川と、電車の鉄橋が縦断しているのが見えた。
遮るものがないためか風が吹いており、先ほどまでよりも涼しく感じられた。
川の方へ降る階段に腰を下ろしてアンドウがたこ焼きを広げ始めるので横に座る。
「ここ、人があんまり来ないので真夏と真冬以外はよく来るんですよ」
「確かに会社も近いのに一度も来たことなかったな」
たこ焼きが入ったパックを受け取って、入れ違いでお茶のペットボトルを渡す。
いただきます、と並んで食べ始める。
普段のコンビニ食と比べて温かいだけでなく、ソースの香ばしさが解放感も相まってとても美味しく感じる。
「俺、会社辞めることに決めました」
驚いた拍子にたこ焼きを丸々一つ口に放り込んでしまい、コウチは慌ててお茶で口内を冷まし、涙目になりながらアンドウを見る。
「学生の頃、周りの人とか先輩を見てて、芸術とか美術で生計立てていく様な覚悟が持てないなって思って何の関係もない仕事を選んだんです」
「それは聞いたことがある」
コウチは部署の歓迎会で二人して飲まされた帰り道に二駅くらい歩いて酔いを覚ましている時に聞かされたのを思い出した。
「でも、最近は知り合いのZINEの挿絵とか、お店のキャラクターとかロゴとか、趣味でちょいちょい描いてるんです」
「それを仕事にしていきたいって事?」
「そうです」
「凄いな。凄いと思う」
今の慣れた生活を手放してでもやりたい仕事が思いつかない自分と比べて湧いてきた言葉を素直に口に出していた。
「反対しないんですか?」
「いや、寂しいけどさ」
コウチは川を眺めながら、思い出す様に言葉を続ける。
「アンドウくんは、僕が話したことを落書きに描いてくれたでしょ。折りたたみ傘の袋を失くした時は、色んな人が落とした傘袋が集まったバケモノ。アイロン掛けが下手だって話をしたら必死にアイロン掛けしてる僕の絵だったり」
「よく覚えてますね」
感心するアンドウの方を向いてコウチは頷く。
「まぁファンだから」
「ファン」
「人を面白がらせたり、人の気持ちを汲んで絵が描けるんだから凄いじゃん。ファンとして見るのが楽しみだったから、やっていけるんじゃないかなとしか思えないな」
ただ落書きが全てサボりの結果なのはなぁ、と後付けで苦言を呈しながら箸を進めるコウチにアンドウも釣られてたこ焼きを食べ進める。
「俺、描くことでリフレッシュしてたんだと思うんですよ。それをコウチさんが喜んでキレるからよりやれるかもって思い始めて、さっき言った色んなことをやり始めて。だからコウチさんに最初に報告しなきゃって思いました」
「うまくいくといいなぁ」
まるで自分が何かをするかの様なコウチの物言いにアンドウは笑ってしまう。
「ただ、あんまりにもお金がないので今年はお世話になりますけど」
「先立つものがないと、とは言え締まりがないな」
呆れた顔でぼやきながらコウチも笑ってしまった。

定時も過ぎ、アンドウだけでなく部署の半分が帰宅した頃、コウチはアンドウがくれる落書きを保管している引き出しを開け、パラパラと作品を見返していた。
遠慮がちだった最初の小さな落書きは徐々に大胆なサイズになり、また凝った構成になっていく。何より画風もどんどん伸び伸びしていく様で、画力も向上しているのではと感じるものだった。
彼の才能に感心してただけなのに、背中を押していたということについニヤけてしまう。
「本当に売れる日が来たらいいな」
売らないけど、と付け加えながらコウチは絵を戻して引き出しをゆっくり閉めた。

この短編はこの日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/04/28/214159

またー。

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