いつか、この街を出ても

中森とは小学3年生のクラス替えで出会ってから高2の今までの付き合いになる。
小森という自分の苗字のサイズ違いだと周りに言われてお互い気まずい状態で初対面を果たしたものの、その後何だかんだ気があって一緒にいる。
何となくだけれど、俺が小森で相手が中森で良かった気がしている。
自分の方が名前の規模が大きいと申し訳なくなる、という意味不明な理由だけど、中森も「中くらいって中途半端だからなぁ」と意味不明なことを言っていたので、根拠はないけど一緒にいるべくして出会ったのだと思っている。
だから今日も、イオンシネマで19時半スタートのレイトショーを観た俺と中森は駅で帰りの電車を待っていた。
何も無かった田舎にイオンがオープンしたのは俺たちがまだ小学生になった頃で、イオンの開業に併せて建設された駅の影響もあって、畑と山に囲まれた土地は徐々に住宅街を形成していった。
それでもマンションは4階建が良いところで、大半は戸建と2階建てのアパートみたいなものばかりだったし、自転車で5分も行けばこれまでと変わらないよく言えば長閑な風景が広がっている。
車がないと不便、と大人は口をそろえる。
イオンは、開業時には映画館の他にもボーリング場だったりゲームセンターなんかが入っていて、休みに行けば自転車で40分かけてやってきていたクラスメイトの一団と遭遇するなんてことも茶飯事だったけれど、ボーリング場は流行らずにスポーツジムに入れ替わり高齢者の健康年齢に一役買う様になり、ゲームセンターは子供連れの時間潰しに特化した機体と老人御用達のメダルのスロットで埋め尽くされてからはクラスメイトを見かける事も減った。
もの珍しく通っていたスロットも老人も慣れると刺激が薄いのか、元々通っていたであろうパチンコへ帰って行っているのか過疎化しており、きっと何年かのうちに子供用のゲーム機に全スペースが埋め尽くされるだろう。
更に服もネットで安く、出歩かずに帰る様になり、わざわざ来る必要がなくなったお陰で誰にもほぼ出会わない上に地域で唯一の映画館がある今のイオンの方が自分は好きだったし、足繁く通っている。
とは言え、地域で唯一のスタバが入っているエリアにだけは近寄れないでいるし、来るのは平日だけと決めている。

「19時半の映画がレイトショーなんて、都会じゃないんだろうね」
中森が眺めたところで早く電車が来る訳でもないのに中腰で電光掲示板を確認してベンチに座り直しながら言った。
「終わったら11時半とか普通って言うよな。そんな時間に終わったら帰れないし、田舎の夜って本当に早いんだな」
そう言いながら、お腹が冷えない様に教科書などでパンパンになったリュックを腹の前で抱えて暖を取る。中に入った重たい教科書が、先ほどまで背負って暖まったナイロンの熱を逃さない様に機能してくれている気がする。
ゴールデンウィークが終わって暫く経った今、日中は汗ばむほどの気温なのに夜になると冷える。制服の移行期間なのをいいことに半袖を選んでしまった事を少し後悔していた。
中森も同じなのだろう、しきりに腕をさすりながら言う。
「まぁ映画なんて11時半まで放映しても田舎じゃ観る人ほとんどいないもんね」
映画が好きな俺と中森は、イオンシネマがチョイスする大作から謎の低予算映画や思想が強めなドキュメンタリーまで、二人で月間の放映作品が発表になる度にポイントを割り振り、合計点の高い順から月に2〜4本を鑑賞する仲間だ。
俺たちの共通点は映画が好きなところ、友達が少ないところ、それから田舎を出て行きたいと願っているところだ。その脱出方法も進学という一致っぷりで、塾も通わずに一緒に勉強している。
都会に出て何がしたいとかじゃなく、田舎は人が少な過ぎて埋もれると言うことが許されない、目立たないことが許されないのがずっと苦手で、中森も同じだと言っていた。
外付けハードディスクとお互いを呼んでいるくらいに価値観が一致するおかげで何とか学生生活が成り立っている。
この街において二人は繊細過ぎるのかも知れない。
「ていうか平日の時点で全然だったな。カップルすらいないし、ほぼ貸切だった」
俺と中森の他にはたまに見かけるお爺さんが一人で映画を鑑賞していたのを思い出して言った。
そのお爺さんも俺たちみたいに映画なら何でも興味が持てるタイプなんだろうか、全く毛色の違う作品でも時折見かける。もしかしたら、イオンの周辺に住んでいるのかも知れない。
学割とシルバー料金という割引仲間としてほんの少し親近感を抱いている。
「それにしてもハリウッドのヒーローは派手で良いよね。馬鹿馬鹿しいというか、妙にポリコレ配慮してて、それがシュールさを引き立ててるのは皮肉だなと思うけど」
中森が感想を述べるので俺も思い出し笑いしてしまう。
中森は基本的に口数が少ないのだけれど、映画の話になると饒舌で、それを見ると俺も気を抜いて良いんだなと安心する。
「セリフも本来もっと無遠慮な方が合いそうなキャラが多かった分だけ目立ったよな」
中森がうんうんと二度頷いて、何かを思い出した様に尋ねる。
「映画が始まる前に何か言いかけてなかった?ほら、予告で村が焼かれてるシーンの時」
公開予定作品の予告に、侵略者に中世ヨーロッパ風の村が焼かれるシーンがあり、それを観た時に、抱え込んできた話を聞いて欲しいと思ったものの、馬鹿馬鹿しさから言い淀んで誤魔化してしまったのを中森は忘れてくれなかったのだ。
「ねぇ、何だったの?」
中森がバツの悪そうな顔をしているであろう俺の方をキョトンとした顔で見ている。
折角尋ねてくれたのだ、言うまいか悩んでいた話を切り出すには良い流れなんじゃないかと思いつつ、先ほど観ていた映画を追い越すほどに馬鹿馬鹿しい話に思えて気が引けた。
俺の話を忘れず、今もこうして待ってくれている彼になら笑われてもいいか、と思い直して口を開いた。

「俺の母親って『ジャンボ・メロン』で働いてただろ?」
中森がジャンボ・メロンという奇怪な名前を聞いて、その響きに反して真面目な顔になった。中森は俺にとってそれがセンシティブな名前であると知っているのだ。
ジャンボ・メロンとは、ここから数駅先にある俺たちの生まれ育った住宅街のど真ん中に建っているラブホテルの名前だった。
白を基調にしたギリシャ建築の宮殿風の建物は、一軒家が並んだ地区のど真ん中にあり、色味が控え目でもその異質さは地域住民の中でかなり目を引いた。
集団登校が義務付けられている小学生で、通学路の最短距離にジャンボ・メロンがある者は迂回を余儀なくされるルールが制定されている。
それほどに生活圏のど真ん中にあるよく解らない名前の建物がラブホだという事に俺が気付いたのは小学5年生の頃で、俺はそれまでメロンを使った何かを生産している会社に母が勤めているのだと思っていた。
ただ実際のところはラブホの清掃員として働いて姉と俺を養ってくれていたのだった。
今は恥ずかしいとは思わないし、当時も母親に文句を言ったりしなかったけれど、思春期からするとどうしても快く思うのは難しかった。
「あぁ、最近火事になってたよね。何かあったの?」
中森が言う様に、ジャンボ・メロンは先月、老朽化した配線から出た火が積もった埃に引火して火事になった。
全焼なんて噂も流れているけれど、実際には客室が1室燃えただけだったし怪我人もいなかったが、全体の設備の確認もあり営業がストップしていた。
外観的にもその一室の窓の周りに煤けてしまっているだけで他は何も変わらない程度だった。それでもそんな噂が立ってしまうくらい、一部の地域住民からすると目に入れない様な暮らし方をしている存在ということなのかも知れない。
初期消火をしたのは母で、経営者から本当に感謝され、家まで菓子折りを持ってお礼に言いに来てくれた。思ったより若かった経営者は2代目とのことで、「お母さんの方が僕より長く勤めてくれているんだよ」と自分のことのように誇らしく話してくれたのが印象的だった。
「それなんだけど、俺、小学生の頃に『お前の母ちゃんラブホに出入りしてんぞ』って揶揄われた時にさ、何で俺の母親はそんなとこで働いてんだよと思っちゃって、その頃書いていた小説に書いちゃったんだよね・・・ジャンボ・メロンが火事になるって」
そこまで話したところで、何を言いたいか察したのか、中森が呆れた表情で言う。
「まさか、それで自分のせいかもって思い詰めていたの?」
来年には大学受験を迎えるという高校生が何を子供じみた事を、とは自分でも思っているが、ジャンボ・メロンの2代目の母への信頼が真っ直ぐで、母もやり甲斐を感じながら勤めているのを知っていたのでどうしても心にわだかまっていたのだ。
「まぁ、僕も『叶え!地元壊滅』のコアな読者だったし、火事を知った時には思い出したけどね」
同級生の揶揄いにより、ジャンボ・メロンの本来の用途を知った俺は、そのショックから地元を徹底的に壊滅させるという内容の小説を1年ほどかけて書いた。
物語の幕開けは、ジャンボ・メロンが火事になり、中で地元の有力者が愛人と焼け死に、地元警察が事件性を捜査し始めるところから始まっていた。
それが中森の言う『叶え!地元壊滅』というタイトルの作品だったのだけれど、後にも先にも書き終えた小説がそれしかなイノで、負のエネルギーとはつくづく恐ろしいものだなと思う。その唯一の読者が中森だった。
父が家を出て行ってしまって、何でも良いから働かなければと奮闘してくれた母に申し訳ないと今では反省している。
それだけに、火事で仕事がストップしてしまった事が母よりもショックだったので、書いた内容に似た事件が起こったことで度々思い出してしまって後悔してしまうのだった。
「呆れるのも解るけどさ、あれの舞台、俺らが高2の今年なんだよ。しかも第一話でさ、ジャンボ・メロンが火事になる所から始まるんだ。小説では全焼だけど現実は大した事なかったし、当たるわけないって思ってるけど、何か嫌だろ」
「まぁ偶然にしたって良い気はしないけどさ、じゃあ次は何が起こるんだっけ・・・イオンの倒産だっけ?」
自分でも読み返すまでほぼ忘れていた続きを覚えている中森の記憶力に驚かされる。
「じゃあ大丈夫だよ。国を代表する様な大企業だし、最悪あそこのイオンが撤退するくらいだよ。まぁ次にジュマンジみたいに現実になったらさ、それはそれで映画みたいだなってネタに出来るよ」
こんなにしょうもない事でも中森は汲んで励ましてくれるのだな、と思うと穏やかな気持ちになる。
圧倒的な黒歴史の集大成をこれ以上は掘り返したくないので、もう当たって欲しくないと心から願うし、母の慣れ親しんだジャンボ・メロンへの勤務復帰が叶えば良いと祈っている。そこまで経営が上手くいっている訳ではないらしいので、このまま廃業とならないかの方が心配であるが。
「分かってはいるんだけどな、聞いてもらうと納得がいくというか、助かったわ」
正直な気持ちで感謝を述べた俺に、中森は穏やかに微笑んで頷いて、思い出した様にまた腕をさすって電光掲示板を確認した。
風が出てきて、肌寒さが増した気がする。

「小森が折角悩みを吐露してくれた訳だし、僕も一つ、これまで秘密にしてた事を聞いて貰ってもいいかな」
電車到着予告のアナウンスが響き、ヘッドライトが近付いてくる中、ベンチから立ち上がりながら中森はどこか勿体ぶった表情で言った。
ホームに電車が到着するよりも先に吹いてきた風に前髪を流されながら、目で先を促すと、中森は頷いて続けた。
「僕の家、コロナで失業して父親がもう1年以上も無職なんだよね」
元々自分の家の話をあまりしない中森から、ここ最近は家の話を全く聞いていない様な気がしていた。違和感を抱くほどでは無かったけれど、それを打ち明ける事を悩んだであろうと思うと気付け無かった事を悔やんでしまう。
「大変なんだな・・・」
もしそれが原因で中森の進学が絶たれるなんて言い出したらどうしよう。
そう思って暗い顔をしている俺を到着した電車に乗るように促しながら中森は続けた。
「でも母親が猫の動画で稼いでて、我が家は今、猫に飯を食わせて貰っています」
「は?」
突拍子も無い展開に思わず大きな声が出てしまう。
ガラガラの車内で横並びに座り、その声のボリュームが恥ずかしくて、今度は小声でボソボソと話す。
「リアルねこまんまかよ・・・っていうか、そんなに稼げるもんなの?」
「僕も疑っていたんだけど困ってないみたいなんだ。家に銀色の盾あるよ」
「マジで凄いな」
動画配信サイトの登録者が何万人かに達したら貰えるらしい記念の盾が、自分の地元の、数少ない友達の家にあるという驚きは凄まじく、何も返せる言葉が思いつかずにそう言うのが精一杯だった。
「僕は世話していたはずの猫に世話されて大学に行かせてもらうの。自分で奨学金も借りるけど、何か皮肉だよね」
住宅街を呆気なく抜けて夜の真っ暗な畑を窓から眺めながら、自分の立場でもそう思うんだろうかと考える。単純に母親に動画作成の才能があったのだ、と思えなくもないけれど大黒柱がペットというのは確かに多様性を報道で見かける流行語程度にしか思っていないこの地域ではおいそれと人に話せる事ではないのかも知れない。
恐らく、中森家でも外で言わない様にしているのだろう。そう思うととんでもない告白を聞かされているように感じる。自分は責任と信頼に足る人間なのだろうか。
大袈裟だけれど、そんなことを考えてしばらく変わり映えしない景色を眺めていた。
「中森もその動画観たりするのか?」
「軌道に乗るまでは再生数を稼いでとか、意見くれって言われて見てはいたんだけどね。今は全然観てないよ。チャンネル登録者がたくさんいてくれるから、生配信して要望とか聞いてるみたい。投げ銭も貰えたりしてるみたい」
「もう事業じゃん」
「普通に可愛がってたし、それなりに懐いてくれていたんだけどね、お母さんの前で遊んだりしているとすぐ動画撮ろうとするからあんまり触れ合わなくなっちゃった。猫は悪くないんだけどさ」
家の中に有名人もとい猫がいて、その姿が全て商材にされると言うのは気が休まらないかも知れない。俺が黙って話を聞いているので、中森はスマホでチャンネルを検索し、サムネイルをこちらに見せながら続ける。
「母親が猫に自分が可愛いとか面白いとか思ってる字幕つけて喋らせてるの、地味にキツイんだよね。僕も知らないお笑い芸人のネタ使ったりして。僕は昔から家であんまり喋らないから、最近は僕にも勝手に何か字幕つけてるんじゃないの?って思っちゃってますます喋れない」
疎いので何という種類の猫なのか解らないけれど、まん丸した顔の可愛らしい猫が目を見開いているサムネイルには「ニャンとも衝撃!!」と見出しが踊っている。
それを見て、中森に字幕をつけるとしたらと考えてしまって申し訳ない気持ちになる。
確かにいい気はしない。
「さっきの今で俺が言う立場じゃないけど、考え過ぎだと思うわ。中森もそう思うから今まで言わなかったんだろうし」
「そうだね。ただ僕もやっぱり、誰かに聞いて欲しかったんだと思う」
電車がほとんど人のいないホームに停車し、上下作業着姿の男性が同じ車両に乗り込んできた。車が大人の主な交通手段のこの地域では少し珍しいので、何となく目で追いながら中森が言う。
「こんなに当たり前に一緒にいるのに、意外とお互い知らないことってあるんだね」
「そうだな」
中森の雰囲気が穏やかになったのに気がついて、応えられたのだと感じる。
口には出さないけれど、共有することでまた少し仲良くなった気がするし、中森もそう思っくれているだろう。
視界の隅で、先ほど電車に乗って来た男性が早くもうたた寝を始めているのが見える。そんなにすぐ眠れるの器用過ぎるだろう、疲れているのかなと思いながらも、ほのかな達成感かも手伝って、座ったまま伸びをすると自然と欠伸が出てしまう。
中森もつられているのか欠伸を噛み殺しながらスマホを弄んでいたが、画面に目を向けたまま言う。
「ねぇ、今からリアルねこまんま食べに来る?」
「どうした?」
映画を見る前にフードコートで一番安いわかめうどんを啜ったのでお腹は空いていない。
中森も同じものを頼んで食べていた。
「夕飯いらないって連絡するの忘れてて、準備してくれてるみたい。何が出てくるか解らないけど、半分こしようよ」
これまでお互いの家に行った事は不思議と無く、いつも学校や図書館、映画館、公園などで行動を共にしていた。親がラブホテルで働いているという事情があって人を家へ呼びたく無かったけれど、それも中森側の事情を聞いたことでお互い何かあるものなのだなと分かり合えてしまった。
また一歩、中森に気持ちを許された故の提案だと思うと嬉しいし、一緒に過ごす時間もそう長くないのだなと思うと、変化を伴うのも悪くないかなと思った。
行動圏の狭い俺たちにも、思い出作りが必要なのだ。
「銀の盾も見てみたいし行こうかな」
「あ、猫じゃないの?」
中森が被せ気味に言ってくるので笑ってしまった。
自分でも思いがけず現金な面が出ていておかしい。
ほんの少しの恥ずかしさを誤魔化したい為に「名前は?」と尋ねると、中森は笑顔のまま答える。
「ミョウガ」
「そんな名前で人気って出るんだな」
思わず正直に失礼な感想を述べた俺を見て中森は声を出して笑った。
離れたところに座ったまま眠りこけていた作業着姿の男性がビクリと目覚めるのが見えてしまい、申し訳ないんだけど俺も笑ってしまった。

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