順番(2024.01.07〜01.13)

九郎、と名前を呼ばれた気がして俺は目を覚ました。
俺の本名は北田 孝太郎なので普段そんな名前で呼ばれる事はない。
九郎というのは地元での自分の呼び名だ。あたらめて自分が今、帰省の最中であることを認識させられる。
10時頃に乗った高速バスは何度かの停留所で途中乗車客を迎え、サービスエリアでの休憩を経て、その後の記憶がない。
バスの乗車口付近についているデジタル表示の時計を見ると14時を過ぎていた。30分ほど眠っていたことを自覚する。
地元の停留所には15時に到着する予定なのであと1時間程度で到着するだろう。
閑散としたバスは特に渋滞に捕まりもせずに進んでいる。
正月休みには帰らなかったが、親から「今年の儀式は九郎の番だから帰省するように」と連絡があり、あぁそうかと高速バスのチケットを買った。
電車だと乗り換えが面倒な為、時間はかかるが地元まで行く高速バスを選んだ。
専門学校への進学の時も同じ理由でバスに乗って地元を出た。
過去を思い返しながら体を預けている左手の窓から外を眺めていると、近付いてくる非常停車場に人影が見える。
その横を通り過ぎる時に見えたのは小学校の高学年くらいの女の子が二人、こちらに手を振っている姿だった。車は停まっておらず、ただ二人の女の子がそこに立っていた。
前に座る乗客も、運転手も気付いた様子はない。
俺は運転手に伝えるべきか考えながらも、その二人に見覚えがある為に戸惑ってタイミングを逃してしまった。
一美と二葉だ。
一美は俺が小学5年生、二葉は小学6年生の儀式の日から会っていない。
自分が儀式に参加するために帰省していることから視えた幻なのかも知れない。
外して立ちあがろうとしていたシートベルトから手を離し、俺は息を細く吐いて窓の外を眺めてそう思うことにした。
俺の地元には定期的に行われる儀式がある。50年に一度、10人の若者を選び、毎年一人ずつ土地の神へ嫁がせるというもので、それにより神の加護を受けられるというものだ。
その50年に一度のタイミングにたまたま俺たちの小学校の在校生は10人だったことでその役割を担う事になったと聞いた気がする。本当はもっと色々な理由があったのかも知れないが覚えていない。
神様に嫁ぐというと女子だけのイメージがあるが、10人のうち7人は男子であり、性別が関係ない神様の方がこの国より余程ジェンダーレスだな、と去年の儀式の前に八郎と話した。
八郎は模試で国立大でもA判定をもらえるほど勉強が出来たが19歳で自身の順番が来ると知っていた為、町の役場に就職して働いていた。八郎からは「九郎は成人式に出ろよ」と言われていたが、興味が湧かないまま正月も成人の日も実家に帰らずに過ごしてしまった。
窓から路肩を走る3台の自転車が見える。
高速道路にいるはずのない自転車に対しても誰も反応を見せないことから、やはり自分にだけ視えている光景なのだと思う。
自転車に乗っていたのはいつも中学のジャージを着ていた野球部の三郎と四郎、一人だけ学校指定のヘルメットを被っているのはアニメばかり観ていた五郎だった。三人ともこちらを見て笑っている。三人をバスはあっという間に追い抜き、その姿はぐんぐん小さくなり、すぐに見えなくなった。
しばらくそのまま後ろを見ていたが、背後の座席に座っている中年の女性と目が合い、怪訝な表情をされた為、慌てて前を向く。
三郎と四郎はさして野球が上手い訳ではないが常に好きなポジションと打順でプレーさせてもらっていたし、五郎は授業に出たくないと図書室への通学が認められていた。
俺は本を読むのも苦手だったけど、レポート課題の題材を五郎に話すと図書室で調べておいてくれたりして助かったのをよく覚えている。
四郎が儀式に参加してからの1年間、五郎が世界中の宗教について調べていたのが印象に残っている。ろくに町の外にすら出なかった五郎がインターネットでは飽き足らず県立の図書館までバスと電車で出かけていた。儀式に反発しているというよりは、何か諦めたような雰囲気で、自分が参加する儀式の前日に八郎にびっしりと文字が書かれたノートを渡していた。俺は小難しい事に興味が持てずに八郎に内容を尋ねたりしなかったが、ノートを熱心に読んでいる八郎を時々見かけた。
どうやら儀式に参加した彼らが当時の背格好で、当時の順番で俺にだけ視えている様だった。少しずつ近付く地元への思いがそうさせるのか、神から迎えに寄越されたのか解らないが、困惑もしたが懐かしさが勝っていた。
窓の外のガードレールに六郎と七子が腰掛けて微笑んでいる。
地元の高校に無受験で進学した六郎は成長期が来ることを期待して大きめの制服を買ったが結局袖が余ったまま儀式に呼ばれて行った。町に一軒しかない薬局で無理やりブリーチ剤を入荷させて毎月の様に髪の色を変えていた。六郎と俺は一番気が合ったからいつも遊んでいたし、夏休みだけ六郎に髪を染めてもらったりしていた。
そこから興味を持ったことで、高校卒業後は美容師を目指す専門学校に通う事になって地元を離れていた。そういえばバイトは辞めてきたが、学校と就職先には何の連絡もしていない事に気付く。親が何とかするだろう、と割り切るしかない。
七子は八郎と付き合っていた。バレー部に所属していた七子は身長が170cmあって八郎より大きかったが、八郎は何も気にしていないのにいつも背中を丸めて自分を小さく見せようとしていたのが印象的だった。七子が儀式に参加した夜、八郎は泣いていた。
俺と十郎は恋人がいたことも無かったので恋の終わりというものに想像が至らず、どう慰めるべきか困った思い出がある。
八郎は七子がいない寂しさでしばらく塞ぎ込んでいたが、高校を卒業して役場に勤め始めてからは朝から夜まで熱心に働いていた。調べる事が沢山あると言っていた。
バスが料金所を通過して下道におりた。
最初の停留所を過ぎれば、次は地元の町だった。
温泉街のある最初の停留所では4人組のご婦人たちが降りる様で、完全に停車してからシートベルトを外してくださいとアナウンスされているのに荷物棚からカバンを下ろしたりと忙しない。
バス停に目をやると八郎が立っていた。
これまでの7人と違って、八郎だけは笑っていなかった。
真剣な顔でこちらを見つめ、何かをこちらに伝えようと口を動かしているが声は聞こえない。
俺は八郎の口元を読もうと目を凝らした。
「ノート・・・くろう?」
何度か繰り返したところで八郎の口の動きがピタッと止んだ。
八郎は苦しそうに、ぎこちなく笑みを浮かべてこちらに手を振っていた。
無理やりにそうさせられている様に見え、俺は思わず窓ガラスに手をついて呼びかけた。
「八郎!」
婦人たちが降車したのかバスはゆっくりと停留所から離れていく。
八郎が何を伝えたかったのか解らないが、彼は確かにノート、と言っていた気がする。
俺は横の空席に置いていたバックパックからノートを引っ張り出す。
去年の儀式の後に差出人が八郎名義の封筒が部屋に届いていた。中には六郎が書いたノートが入っていた。俺はそれを読むことはなく、今回持って帰ろうと荷物に加えていた。
俺の弟の十郎は六郎と八郎を慕っていたから、二人からだと言って渡してやれば喜ぶだろうと思ったのだ。
くろう、と口が動いていた様な気がするが実際には解らない。
俺を指すページがあるのかと思ったが、ページ数が多過ぎて検討がつかない。
もしかしてと思い9ページを開いた。
そこには六郎の字でびっしりと何か書かれていたが、その上から八郎の字でこう書かれていた。
『帰るな、逃げろ お前は洗脳されている』
それを読んで俺は八郎が盆休みに会った時に俺に漏らした言葉を思い出した。
「七子に間に合わなかったから俺は責任を取るよ。お前は来なくていいよ」
お前は来なくていいよ、というのを八郎の儀式の前に会いに来なくていいという意味だと俺は思っていたが、もしかしたら八郎は俺の儀式に俺が出なくていいと言いたかったのかも知れない。
もう一度、お前は洗脳されている、という一文をなぞる。
小学生の頃、俺たち10人は儀式で神に嫁ぐ役割を担う事になった。
神に嫁ぐという事がどういう事なのか、当時はよく分からなくて怖かった。
それがどう聞いても自分たちが順番に死ぬことになるとしか思えなかったからだ。
町の集会所に集められた俺たちは、何日も誉れだの何だと説かれ続けた。
その結果徐々に恐怖心もなくなり、地元でも特別扱いを受けられた事で皆そいういうものかと思う様になったことが思い出される。
どんな儀式なのかも知らずに、順番にいなくなるのが当たり前だと思って悲しむ八郎を理解出来なかったのは何故だろう。
どうして今まで全てを忘れていたんだろう。
俺が県外の専門学校に行くというのを反対する大人たちを説得してくれたのは八郎だった。八郎は俺を儀式に参加させない為に大人たちを説得して地元から離れられる様に仕向けてくれていたのかも知れない。
七子の儀式に対して間に合わなかったから責任を取ると言っていたのは、この流れから七子を解放してやれなかった後悔から漏れた言葉だったのだろう。
そして俺が儀式を終えてしまうと次は十郎の番になる。
弟の十郎は足が不自由に生まれており、自分では儀式の役割から逃げることは出来ないだろう。
全ては俺の妄想で、何かが解った訳ではないが、どうしても帰ってはいけない気がする。
その思いに動かされて震える手でノートをバックパックに仕舞い、シートベルトを外そうとする。
その時、バスがトンネルに入った。ここを抜けるともう地元の停留所だ。
慌てて立ち上がり、暗くなった窓をふと見ると、窓の向こうに8人が微笑んで立っている。
暗がりの中でもはっきりと、8人がこちらに手を振っているのが解る。
八郎も自然な微笑みを浮かべてこちらに手を振っている。
九郎、九郎、と皆が呼びかける声が聞こえてくる。
それを聞いて俺は力が抜けてしまい、落ちるように椅子に座り込んだ。
暗闇で反射した窓に映る車内の俺は知らないうちに涙を流していた。
そして泣いているのに口元は外の8人と同じように微笑んでいる。
九郎、九郎、とくり返し呼びかけられる声にそれでも俺は抗いたかった。
「九郎じゃない、俺の名前は、俺の・・・俺の名前は?」
俺は自分の本当の名前が思い出せなくなっていた。
そして、俺はもう自分が間に合わないのだと悟った。

この短編はこの日記から連想して書きました。

https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/01/14/191726

またー。


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