悪口が届くまで(2024.01.29〜02.03)

帰宅早々、私はソファに座り込んだ。
年度末の駆け込み仕事で連日残業が続いており、疲れが蓄積されているのを感じる。
ソファは二人掛けの大きさではあるが、半分を取り込んだまま、ハンガーもついたままの洗濯物が積まれ、使えるのは実質一人分だった。
腕に掛けたままだった通勤用のバッグをフローリングに下ろし、夕飯が入ったコンビニ袋とポストから取り出した郵便物をカフェテーブルに置く。
こちらが用のある郵便物などそう届く訳もなく、殆どは用もないのに届く広告の類だと判っているが、マンションのメールコーナーに設置されたゴミ箱が溢れんばかりでそこに捨てるのも億劫になり持ち帰って来てしまった。
似たり寄ったりのいらない情報がはみ出すほど詰め込まれたゴミ箱がまるで自分の様だと感じてしまい、そこに無理矢理捨てるなんて出来ず、疲れていることを自覚した。
スマホを触ってしまうとそのまま30分を消し飛ばしてしまう事は過去の失敗から明らかであり、時計は23時が迫っている事を示している。
帰宅即スマホが許される余裕がない時間であると言い聞かせて横の洗濯物の山から部屋着を発掘し、クローゼットに掛ける仕事用のブラウスやカットソーと一緒に寝室に向かう。
部屋着に着替え、電気ケトルでお湯を沸かす。
カップの味噌汁と梅と昆布の混ぜご飯のおにぎりが本日の夕飯で、一緒に買ったピザまんは帰り道で食べてしまった。
お湯が沸くまでの間に郵便物にざっと目を通す。
賃貸、新築、中古の住宅、ハウスクリーニング、水回りのトラブル対応業者、どれも住む場所に関するものばかりで目を通した順にゴミ袋に放り込んでいく。
住む場所を選んだ基準もゴミの分別が緩く、駅からあまり遠くなければどこでも良かった自分には縁遠い意欲だった。
「もうこの時期か」
最後の一通は白い封筒にWARUGUCHI TEIKIBINとプリントされている。
これは去年の自分が書き記した悪口が一年後に届くという不思議なサービスだ。
紫式部が清少納言を日記で辛辣に批評したものが現在にも記録として残っている、という所から着想を得たサービスで、一年前に自分が誰に、何に怒っていたのかを知ることで自分を見つめ直す時間を提供するという狙いがあるらしい。
私は何か怒りを覚える度にそれを専用の用紙に書き留め、来年の自分に知らせる為に送るという行為を4年も繰り返していた。
おにぎりをさっさと食べてしまい、インスタントの味噌汁をお茶代わりに啜りながら、封を切って用紙を開く。
「うわぁ」
毎年の事ながら、1枚の用紙にビッシリと悪口が横書きの箇条書きにされていて我ながら引く。
書き始めとなる4月は「今年はそんなに悪口を書かないだろう」と根拠のない自信があって文字も大きめであるが、6月を迎える頃には文字が小さくなり始め、3月には空いたスペースや欄外に縦書きで綴られていて、自分が書いたものなのに怨念の様なものを感じてしまう。呪物コレクターの人が値をつけてくれそうだなと呆れてしまう。
上司のセクハラ発言、取引先からの理不尽な要求、レジで横入りされたこと、車に水溜りをはねられてビショ濡れにされたことなどが書かれている。
また自分への怒りも度々記されていて、大半は自分なんて役に立たない、目標が持てないのがダサい、貯金しか楽しみがないのはどうかと思うなど、怒りというよりは自虐ばかりだった。
他人に向けたものと自分に向けたもの、どちらも1年を経ても怒っていられる事はそう多くない。現に読んで懐かしんでいる自分がいる。耐え抜いた自分を褒めたくなるし、こんなの事で怒っていたのかと去年の自分を幼く感じるとそれだけ成長出来ている様な気持ちになるし、やり過ごした事を乗り越えてきたことのように感じられ、不思議とエネルギーが補給される感覚がある。
ネットに書いてしまうと消さない限り残ってしまうし、場合によってはどこかに広まってしまうリスクを考えるとこのサービスがとても有意義なものに思え、程良いガス抜きにもなるので続いているのだろう。
こんなサービスが継続出来ているという事は、それなりの人たちが自分と同じ様に暮らしているんだなと思えてホッとする向きもある。同志たちよ。
リストの中に『フミヤと別れた。意味がわからない。』と書いてあるのを目にして少し暗い気持ちになる。5年付き合ったフミヤと別れたのは去年の2月だった。
1LDKのこの部屋で大半を同棲して過ごしてぼんやりと結婚するものだと思っていたが、随分呆気なく出て行った彼を私は思い出し、その薄情にも思える態度を押し流す様に冷めた味噌汁の残りを一息で飲み干し、続きに目を通す。
『理由が全然わからなくて腹が立つ』『駅で似た人を見つけてフミヤの代わりに呪った。早く忘れたい』
これで1年が締めくくられている。
未だにフミヤが自分と別れるという選択を下した理由が思い当たらない。彼を裏切った自覚もなければ、彼に裏切られたと感じることも別れを切り出されるまで無かった。
自分が悪いのかも教えてくれず、彼はごめんというサラッとした謝罪を残して出張に行ってくるくらいのテンションでこの部屋から引っ越してしまった。
「何だったんだよマジで」
読み終えた用紙をテーブルに投げ出し、私はソファに背を預けたまま天井を見上げて別れ話から出て行くまでを何度か思い返し、そこに発見がないかを辿った。
あまりにも何も見つからないせいか、何度目かの反芻の途中で私は寝落ちしてしまった。

翌日、昨日の再現ではという時間に帰宅した私はポストにまた不動産関係の広告と共にWARUGUCHI TEIKIBINの封筒が届いていることに気付いた。
宛名は私のものではなく、フミヤになっている。彼がこのサービスを利用したという話は聞いた事がない。むしろ、自分が吐いた悪口を翌年に見せられることの恥ずかしさが向いていないと敬遠していたというのに、去年の彼はそれを差し引いても書きたい事があったのだろうか。
昨日と打って変わって管理会社によって清掃され余裕のあるゴミ箱にそのまま捨てても良かったのだが、何を書いたのか気になってしまった私は不動産の広告だけを破棄して部屋へ帰った。
好奇心はあるものの、本人がどこかで生きている以上勝手に読むのもどうなのだろう、と躊躇う一方、これを機に連絡を取るのも気持ちが悪い気がする。
最終的には誰の目にも触れずに終わるのも供養にならないだろう、と自分が責任を持って読んで捨てようと封を切った。どこに責任を果たすことになるのか見当もつかない自己満足ではあるが、住所変更をしなかったフミヤが悪いと開き直った。
用紙には私と違って数行しか記入されていなかった。
言いたいことをまとめて一度に書いたのだろう、行間もインクの色味も統一されていた。
これを書く、と決めた上で記されている事が伝わる。
『取り込んだ洗濯物をソファに置かないで欲しい』
『トイレットペーパーの芯は放置しないで捨てて欲しい』
『ゴミ箱を溢れるまで放置しないで欲しい』
『立て替えたお金はすぐに返して欲しい』
全てこれまで言われた事がないものの、私がよくやってしまう行為ばかりで、全てが自分に宛てられたものだと解る。
つまり、これは私への手紙で、それも私への悪口、要するに不満だけで構成されていることになる。一年越しに別れ話の追撃を喰らわせようとするなんて、何て奴だと思いながらも最後の一文を読む。
『家族の良くあるべきだと思わないで欲しい』
これかが別れた原因か、と私は思った。
勿論これ以外の悪口が積もりに積もって別れに傾かせたのだろうと思うものの、食事でも最後にメインを持ってくる癖のある彼を思うと、この一文が決定打で間違いないだろう。
フミヤは実家と折り合いが悪く、私も一度もお目に掛かった事がない。
通話の着信を無視しているのを見かけた事もあるし、メッセージも既読無視していると聞いた事がある。
私は自身の親と決して仲が悪いこともなく、年末年始やお盆には顔を出す程度の付き合いはしているのでフミヤの頑なさがいまいちピンと来ないというか、そこまで距離を取らなくてもいいのではないかと常々感じていた。
別れを告げられる前の月に彼の父親が入院したと聞かされた。
命に別状がある症状では無かったものの、これを機に顔を出してみてはどうか、関係が改善出来るのではと思いつきで進言したのを思い出した。
その時、彼は何と言ったろうか。
あまり重要に捉えていなかったのでハッキリとは思い出せないが、それは俺が決める事だと思わないかと言われた気がする。
私がそれを重く受け止めて同意していれば別れなかったのだろうと思うが、彼にとっての最大の地雷を踏み抜いて尚そう出来なかったのならば、どの道どこかで別れていただろうと私は感じた。
「なるほどね、これを知らせる為に遠回りな事を」
元々そんなに引きずっていたつもりもなかったが、ストンと納得がいってスッキリした。
同時にフミヤと自分に対する怒りのようなものも湧いてきて、同封されていた新しい用紙の一行目に仕事用のボールペンで書き付ける。
『言えないお前はダサいし、聞けない私もダサい』
擦り合わせても続けたいと思わなかった節が両者にある。
何となくこれで次に向かえるという気持ちになったのをお裾分けしてやろうという寛大な心か、単なる嫌味なのか私はその文面を写真に撮ってフミヤに送りつけた。
スマホの画面を伏せて横に積まれた洗濯物を見る。いつまで続くか判らないけれど、書かれた癖を治してやろうと片付ける為、手に取った。
「まぁお前も次は頑張れよ」
思ったことは言わないと何も変わらないんだから。

この短編はこの日記から連想して書きました。

またー。

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