帰り道(2023.12.24〜12.30)

「あーあ、年越しちゃったよ」
社用車のラジオから新年を祝う盛大なBGMとハイテンションなDJの声が聞こえてきて、津久田は助手席でため息混じりにボヤいた。
大晦日の出社当番に当たった時から嫌な予感はしていた津久田だったが、まさか出先から帰る車の中で新年を迎えることになるとは思っていなかった。
一人暮らしで地元に帰るつもりもなく、何の用事も無かったから当番を受け入れたものの、日付が変わっても家にすらいないという現状に落胆してしまう。
「課長も俺もどうせ暇なんだし良いじゃないですか」
ハンドルを握る佐藤が抑揚のない声で気怠けに諭してくる。
青柳は昨年まで施工部門に新卒入社していたが、向いていないと言う自らの申し出でたった2ヶ月で営業部へ異動し、津久田の下について働いていた。
自社が納品したシャッターの部品に不具合があり、施工現場から連絡を受けたのはその案件の営業担当である青柳だった。
休暇中の当番に彼は含まれておらず、連絡を受けた津久田が対応する旨を伝えたが「もうそっちに向かってるんで10分待っててください、倉庫にも部品用意するようにお願いしときましたんで」と出社してきて、当番が行かない訳にもいかず2人で納品し、施工から試運転まで立ち会ってこの時間になってしまっていた。
「今日終わらなかったら明日も職人さん行かなきゃでしょ、終わってよかったですよ」
今回の相手先は自動車メーカーの工場だった。冬季休暇のラインが止まっている間に工事を終えなければならない上、自社としても次の現場まで余裕もない状況だったのもあり、青柳の言うことは正しい。
「まぁそうだけどな、当番でも無い君が出たと言っても手当は出ないんじゃないか」
事前に決まった当番の担当者には休日対応手当が支給されるが、今日の事例では人手が足りない訳もなく、ケチな会社は青柳に手当を支給しないだろう。
「別にいらないですよ、大晦日も正月も興味なくて退屈だったんで。あと飲み会とかで課長に何回かご馳走してもらってるでしょ。その恩返しですよ」
そうは言われたものの、津久田からするとまた次の機会に奢る口実が出来てしまったとしか思えず微妙な表情になる。
バックミラー越しに目が合い、それに気付いたのだろう青柳がニヤニヤと笑う。
「片道2時間のロングドライブが1人じゃなくて良かったなぁ、運転しなくて済んだし、くらいに思ってくださいよ」
「そうさせてもらうよ」
行きこそ急ぐ為に高速道路を使ったものの、帰りはのんびり下道で会社へ向かっていた。
道路は空いており、スムーズにいけば30分もすれば帰り着くだろう。
対応の報告を取りまとめようと膝上に開きっぱなしだったノートパソコンに視線を戻して津久田は入力に再び取り掛かった。
「課長って真面目ですよね。何でもすぐ自分で対応しようとするし、それだって俺が担当なんだから戻ってから書きますよ」
横目でちらっと画面を見やって青柳が尋ねる。
「当番は俺だからな。もうやり方を教え終わったものを休みまで書かせるのは違う。運転もしてもらってるから、これくらいはやる」
「部下にまで気遣いしてて疲れないですか」
「部下の方が何考えてるかわからなくて気を遣うわ」
えー失礼な、と笑う青柳をよそにデータ入力を続ける。
10年目で課長になるまでに一度も先輩社員の考えていることが解らなかった事は無かったが、ここ数年で若手社員の考えている事が津久田には想像がつかなくなっていた。
自分よりも物事を冷静に考えられる20代前半の若者たちは、自分よりも主張をせず、意欲も感じないように見え、仕事をどう捉えているのかも自分が慕われているのかも解らなかった。
「課長見てるとプレイングマネージャーって言い換えを生み出した奴が憎いなぁって思いますよ」
「俺を見てると出世したく無いって事か」
こういう事をハッキリ言う節が青柳の世代にはあると津久田は感じており、それが飛び出す度にヒヤヒヤしてきた。
「役職としての課長にはなりたくないなと思いますけど、津久田課長みたいになりたく無い訳じゃ無いですよ」
腑に落ちない津久田が、はぁ、と生返事を返すと青柳は続ける。
「例えばパパ活とか、援助交際って要するに売春ですよね。そんな感じで悪い言葉をぼんやりマシな言い方をしちゃうと『そういうもんか』って世の中がなっちゃうと思うんですよ。プレイングマネージャーも、倍の役割をこなせ!って言ってるだけというか。何で給料は倍じゃないのに何で倍の役割をこなすのが当たり前なんでしょうね」
パパ活と並べられたのもあり、納得を通り越して自分の立場が何か悪きものの様に感じられ、津久田はため息をついた。
言われてみると自身が執行役員クラスの年長者たちに感じる羨ましさは自分たちより少ないタスクしか要求されない時代を経てそこにいて、こちらに多くのタスクを求めてくる所にあるような気がしてくる。
それと同じように青柳のような若手社員についても、自分の若手の頃よりも便利になった故に多くのタスクを自然と求められる傾向にあるのかも知れない。
どんどん昇進というものへの意欲が目減りしていくのも納得がいく。
「じゃあ青柳はやっぱり課長になりたくないのか」
「うーん、まだ社会人ってどんなもんか知らないんで、津久田課長次第かなとは思いますね」
「いきなり責任を負わせるなよ」
業務だけでなく、社会人像としても参考として自身を差し出さねばならないのかと思うと津久田は背中に錘を背負わされた気持ちになる。
青柳はその不服さが滲んだ声色に笑いながら言う。
「勝手に背負わないでくださいよ、こんなこと言われてる時点で大丈夫ですよ」
「大丈夫ってなん」
「わ!待ってください!ちょっと車停めます」
津久田の言葉を遮って青柳が慌てて車を路肩に寄せる。
何事かと青柳の方を見やると、彼は手で鼻を押さえ、ティッシュを探している。
暗がりの中でティッシュ、ティッシュと連呼する彼の手元に目を凝らすと鼻血が出ている様だった。
津久田は足元のカバンからポケットティッシュを取り出し、1枚引き抜いて差し出してやる。
「あ、ありがとうございます。俺、寒暖差とかですぐのぼせるのか鼻血出ちゃうんですよね。暖房効かせ過ぎたかな」
1枚目で鼻と指先の血を拭ったのを確認して、残りのティッシュをそのまま渡してやる。
もう一枚を千切り、鼻に詰める青柳に津久田は尋ねる。
「運転替わろうか」
「いや、全然平気です。鼻血もすぐ止まるんで」
車をゆっくりと再発進させ、青柳が続ける。
「それに俺、鼻血が出た後はなんかいい事起こるんですよね。ジンクスっていうのかな。今日頑張ったご褒美に、俺ら幸運に恵まれるかも知れませんよ」
得意げな青柳の能天気さに津久田は表情が緩むのを感じた。
何だそのジンクス、と言いながら青柳が握ったままのティッシュを捨てさせようと行きに寄ったコンビニで貰ったビニール袋を差し出す。
「あ、それの中のものあげますよ」
そう言われてゴミしか入っていないと思っていた袋を覗くと、オマケ付のキャラメルが一箱入っている。箱を取り出すと、空になった袋に青柳がすかさずティッシュを放り込む。
「何だこれ」
「食べたいなって思って買ったんですけど、オマケは課長にあげますよ。課長、頑張ってるんで」
津久田は社会人になってオマケ付きのキャラメルなんて自分で買ったこともなく、部下の行動原理の理解出来なさに半ば呆れながら、からかい半分とは言え労われていることには違いないのだろうと思い直して箱を開けてみると、自分たちが乗っている社用車によく似た白い自動車が手のひらに転がり出てきた。
「もっとスポーツカーとか消防車とか、そういうのじゃないのかよ」
何者にもなれないと言われている様な無個性な車種に思わず声を漏らすと青柳が笑いながら言ってくる。
「いや、でもお似合いですよ」
「それはバカにしてるだろ」
何を考えているのかよく解らないが、少なくとも慕われてはいるらしい。
そう思うと津久田もつられて笑っていた。

この短編はこの日記から連想して書きました。

https://oka-p.hatenablog.com/entry/2023/12/31/205404

またー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?