伝説の生き物(2024.03.24〜03.30)

『伝説の生き物、入店しました』
店の入り口のガラスの引き戸にセロテープでとめられた白紙に黒マジックの貼り紙にため息をついてサトシは横で得意げな表情で腕を組んでいる店長にぼやく。
「ただのバイトじゃないですか」
「求人を出しても10年、何故だか誰一人面接にすら来なかったこの店に入ったバイトだぞ、伝説の生き物だろう」
アルバイトが伝説の生き物と称されるほどに雇用運に見放された定食屋に何故自分は面接を申し込んだのだろうとサトシは考えた。
親の転勤について引っ越してきた当日、夕飯を準備する気力もない中でたまたま見かけたこの店に入った際にバイト募集の張り紙に興味を惹かれたのだ。選んだミックスフライ定食も美味しかったので賄いに期待したという向きもある。
とは言え、初出勤には何故か常連たちから「祝アルバイト採用」という花が贈られており、その常連や店のスタッフたちから「伝説の生き物」として扱われる部分にやりにくさを感じつつ、見られている意識があるせいか、ミスしたくないとこれまでのアルバイトよりも仕事を覚えるよう心掛けている根が真面目な自分がいる事に疲れも感じていた。
「いや、僕はただの高校生なんで」
ため息をついて引き戸を開けて中へ入る。
味の良さと値段の安さもあって地域に愛されているのは数回の出勤で感じ、伝説の生き物扱いされている事以外は働きやすいと思っているが、どこにでもいるただの高校生である自分が偶然に注目されてしまうのは複雑だった。
「おうデンちゃん、張り紙と記念撮影したかい?」
伝説の生き物から取ってデンちゃんというあだ名をつけた常連客のショウジさんがカウンターで17時からザーサイをつまみに瓶ビールを呑んでいる。
「そんな何でも撮らないっすよ」
初日に花と記念撮影をされたのを思い出しながらショウジさんの注文したネギを山盛りのせたチャーシューを出しながら答える。
「あ、そうそう、デンちゃんこれやるよ」
ショウジさんは横の席に置いていた紙袋をサトシに差し出す。
「え、いいんですか?でも何で?」
受け取って中を見ると焼き菓子の菓子折りの様だった。
「いや、デンちゃんが今年の先月入るって賭けてたの俺だけでな、大分儲けたから還元しておかないとと思ってカミさんに選んでもらった」
アルバイトの採用で賭け事が出来てしまう大人の汚さを垣間見つつ、ここまで自分が見てきた歓迎っぷりを思えば驚くほどのことでは無い気がした。
仕事に疲れて帰ってくる母親が頂き物のお菓子を心底喜んでくれるだろうと割り切って黙って受け取る事にした。
バックヤードに紙袋を置いて戻ったところで高校の野球部の監督の体育教師と副顧問であるサトシの担任のフクナガが店に入ってきた所に鉢合わせた。
「いらっしゃいませ」
「あれ?デンちゃんってオクムラのことだったのか」
驚きながら席に着くフクナガがテーブルの向かいに腰を下ろした監督に紹介する。
「先生、こっちは先月転校してきたうちのクラスのオクムラです。伝説の生き物は彼だったみたいです」
担任の先生に届くまで伝説の生き物の話があだ名のオマケ付きで話が広まっているというのは流石に気まずいものがあると思いつつ、体育教師に頭を下げる。
ご注文決まりましたらお呼びくださいと告げて離れたものの、狭い店内なので二人の会話が八割方聞こえてしまう。
春の大会への弦担ぎに来た様で、伝説の生き物のご利益にあやかるつもりだったがフクナガ先生のクラスにいるならきっと大丈夫だ、チームもまとまっているしきっと勝ち抜けると盛り上がっている。生徒の勝利を願う優しい先生たちだと思うものの、自分に何らかのご利益がある事にされている現実に気が重くなる。
フクナガに呼ばれ、注文を伝票に控えている所へマツキが店に飛び込んでくる。
ガラスの引き戸に体をぶつけた音に店内にいた全員がそちらを見るも、マツキは一切止まる事なく、サトシの元までやってきて、メモとペンごと両手で強引に包み込み、頭突きを喰らいそうになるほどの至近距離で頭を下げてくる。
サトシはヒッと小さい悲鳴を挙げて背を逸せて頭突きを回避する。
勢いよく頭を上げたマツキは半分泣いているような潤んだ目でサトシに言った。
「デンちゃん、内定取れたよ!40社目でようやく!」
サトシを除く全員が一気に沸いた。拍手を受け、マツキは四方に照れくさそうに頭を下げる。
極度の緊張しいだというマツキは第二新卒にも関わらずこれまで39社続けて転職活動で負け続けており、常連の店に現れた伝説の生き物のご利益にあやかろうとサトシに励ましの言葉を貰っていた。
マツキはスーツのポケットからお守りとしてもらったサトシ直筆の伝票に「面接受かりますように」と書き添えたものを取り出し、震える手でこちらに差し出す。
「お守りありがとうございました、返納いたします」
何と返していいか解らないが、視線が集まる中で受け取らないのも気が引けるので両手で受け取るサトシの姿をカウンターの向こうの厨房から店長が眺めながらポツリと呟く。
「お守りかぁ」
「売らないでくださいね」
それを聞いてフクナガが思わず声をあげる。
「野球部の必勝祈願に!」
「ただの生徒でただのバイトです」
「キックバックするけど」
「店長、しつこいです」
断りながら悲しそうな監督と担任を見て、サトシは仕方なくマツキから渡された伝票に「必勝」と書き添えて二人のテーブルに置く。
喜ぶ二人を無視してオーダーを厨房に通し、マツキに水とおしぼりを出して注文を取りながら、周りが勝手に盛り上がっている現状に対して盛り下がった時のことをつい考えてしまう。
何も悪いことはしていないのに、勝手にハシゴを外されては敵わないと思うと、やはり早めに別のバイトを探した方が良いのではという気がしてきてしまう。
「こんばんは〜」
そこへ美大に通っているという金髪の坊主頭が強烈なキヨコがやってくる。
「いらしゃいませ」
カウンターに通し、水とおしぼりを出して出迎えると彼女はニッコリ笑ってこちらに「出来たよ」と報告する。
「何がですか」
合点がいかず尋ねるサトシを他所に、店長がカウンター越しに声を弾ませる。
「お、どんな感じだい?」
「結構自信あるんだよね」
キヨコは応えながら肩に掛けていたアジャスターケースから紙の筒を取り出し、広げてみせる。A2サイズの紙にはデフォルメされた緩いタッチのサトシと思われる男性店員が描かれていた。
店の制服であるTシャツとエプロンをつけた笑顔のサトシは背中に羽が生えており、後光が射している。
「伝説の生き物ことデンちゃんのゆるキャラ版、こんな感じでどう」
「おーいいね、採用!」
「肖像権って本人にあるんですけど」
自分を他所に盛り上がる二人とポスターを覗き込んでキヨコを褒める客たちに置いてけぼりを喰らいながらサトシは大きめの声で主張する。
「まぁまぁ、少年よ神話になれってあるじゃん」
「何の返答にもなってません」
「これ採用されたら私2週間ここでご飯食べさせて貰えるんだよ、デンちゃん頼むよ」
勤めて浅いが一度の来店で10回は金がないと嘆いているキヨコの姿が思い出され、サトシは気後れしてしまい、「今回だけですよ」と承認してしまう。
「じゃあ次は着ぐるみだね、本人のシフト外にもデンちゃんいた方が良いもんね」
「今回だけだと言いましたよね!?」
サトシは本当に別のバイト先を見つけようと思いつつ、10年誰も新人として入ってこなかったこの店に次の志願者がやってこない限りあらゆる手を尽くしてでも辞めさせて貰えないだろうなと想像して先が思いやられた。
高校卒業まで大人しく勤めた方が楽かも知れない、と早くも諦めてしまいたい気持ちに泣きたくなりながらポスターを貼る場所で揉める大人たちを眺めた。
方向性は正しいと思えないものの、何だか羨ましくてサトシは今日何度目かのため息をついた。

この短編はこの日記から連想して書きました。

https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/03/31/212939

またー。

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