ゲート(2024.04.07〜04.13)

古びた事務机の透明なゴムマットに挟まれた記入例を参考に申請用紙に必要事項を記入する客の不安げなボールペンの筆跡を目で追いながら、サクタは提示させたIDと記入された情報に相違がないか確認しつつ、尋ねる。
「外に出るのは初めてですか?」
客である中年の男は不安そうに顔をあげ、恥ずかしそうに頷いて答える。
「実はそうなんだ。こんなおっさんになって初めてなんて、恥ずかしいが」
気候の蒸し暑さではなく、慣れない事への不安からか薄らと額と鼻に汗が滲んでいる。
「いえ、外に一切興味もなく人生を終える方も沢山いらっしゃいますし、年齢なんて関係ないですよ」
サクタはホッとした表情で男が差し出す用紙とボールペンを受け取り、入れ違いにIDを返却する。
「ご了承頂いた上で記入していただいておりますが、お客様は初回とのことで、最後にもう一度ご説明させて頂きますね」
サクタは男に視線を向けさせるように手のひらで用紙を指す。
「まず入場料はIDと紐付けられた口座の方から次月に引き落としとなります。次に外出許可は24時間となります。許可された時間を超過した場合は罰金刑となりますのでお気をつけ下さい。現在は保護期間内となりますので、狩りの対象と出来ますのは40歳以上のみ、2体までとなります。また姿を見られた場合は必ず仕留めて頂くようにお願いいたします。加えて生死を問わずに獲物を持ち帰ることは出来ません。最後に、万が一お客許に危害が及んだ場合におきましても我々は一切責任を負いかねますことをご了承願います。以上、何かご質問はありますでしょうか」
ハンカチで額を拭いながら聞いていた男は無言で首を横に振った。
サクタはニコリと笑い、背後にある簡素な踏切状のゲートを稼働させ、バーを上げる。
バーの向こうは真っ暗な闇で、先の方に微かにネオンが見えている。
「それでは、いってらっしゃいませ」
男を送り出し、ゲートを下ろす。
途中で不安げにこちらを振り返ったものの、笑顔で会釈するサクタに釣られて頭を下げ、男はそろそろとネオンの方へと向かっていった。
「やっぱり保護期間中はビギナーさんが増えるんだなぁ」
外出申請用紙をスキャンし、パンチで左隅に穴を開けてバインダーに閉じながら呟く。
人間界へ通じるゲートを管理する会社に就職して丸3年が経とうとしていた。
人間界で神、魔物、妖精、妖怪、禁忌、呪いなど多種多様な呼び方をされる存在である自分たちにとって人間は嗜好品の一種だった。
魂または肉体を食糧として得るか、単に獲物として狩ることに楽しみを見出すのかは客の好みによるが、サクタは興味が薄いせいでその違いが解らない。
偉そうに説明しながら自分自身はゲートの向こうへ行ったことも無かった。
ゲートは境界沿いに無数に存在し、それぞれ人間界の別の場所と繋がっている。
客との馴れ合いでルール違反に目を瞑る者が出ることを防ぐ為、数年で別のゲートに転勤となるので来年には新しいゲートに異動になるかも知れない。
「すいませーん、6名で予約していたクマモトです」
若い、溌剌とした男の集団が机の前までやってくる。
「いらっしゃいませ、クマモト様ですね。事前申請頂いた内容と照合いたしますので皆様IDのご提示をお願いいたします」
事前に提出されたデータとIDを照らし合わせて全員に記載漏れや虚偽申告が無いことを確認する。
「向こうって今寒いですかね?」
「俺ら別に寒いも暑いも関係ないだろ」
サクタに尋ねる男に対して別の一人が言う。
男は呆れた顔で「服装が合ってなかったら悪目立ちするだろうが」と釘を刺す。
サクタはIDを返却しながら半袖も厚着もなく、比較的軽装の男たちを見渡して答える。
「向こうは春という季節ですので、皆さんくらいの格好で問題ないかと思いますよ」
ゲートを上げ、意気揚々と人間界へ向かっていく男達を見送ってからその場で伸びをする。そこへ同僚のフルハタがやってくる。
「サクタさん、お疲れ様でーす。交代します」
「フルハタさん、お願いします」
お互いぺこりと頭を下げ、サクタは椅子をフルハタに譲り、申請書を閉じたバインダーを棚に戻す。
フルハタは日誌に目を通しながらサクタに話しかける。
「何か日報に書いた以外の申し送り事項ありますか?」
「そうですね、制限まであと1時間のお客様が1人いらっしゃいますので気に留めておいて欲しい、くらいですかね。マニワ様という方です」
「はーい」
サクタが言いながらゲートの方に視線を向けると、そのマニワがフラフラとこちらへ戻ってくる。顔色が悪い。
「戻ってきましたが、様子が変ですね」
上がったゲートの目の前に倒れ込むように膝をついて体を震わせるマニワにフルハタが駆け寄る。
「大丈夫ですか?どうされました?」
声をかけるフルハタにマニワが体以上に震わせた声で「ニンニクが・・・」と呟く。
「あちゃー、食べた人間がニンニクを摂取していたんですね」
人間の肉体を食べた場合、その人間が摂取していた食材でアレルギーを起こす場合が稀にある。事前に検査を受ければわかるものの、義務化されている訳ではないのでマニワの様に体調を崩す利用者もいる。
「フルハタさん、薬をお出ししてください」
サクタはそう声をかけ、自分はフルハタに肩を貸し、椅子に座らせる。
グッタリとした体の重みを受けてパイプ椅子がだらしない音を立てる。
「薬を飲めばすぐに楽になりますので、それまでここで休んでいってください」
頷くマニワをそのままに、追記しておこうと手を伸ばした日報にナイフが突き刺さる。
飛んできた方向を見やると、人間の老夫がこちらを睨みつけている。
「お客様、尾けられてしまいましたね」
聖職者や霊媒師、そういう類の職業であったり特殊な才能に恵まれた人間がこちらの世界へ入ってくることはたまに起こりうる。
恐らく人間を狩ったマニワを男は尾行してここまでやってきたのだろう。
「お前たち、何者なんだ」
男は鋭い目つきのまま、こちらに新たにナイフを向ける。
「何者と言われても特に答えは無いので、化け物でも妖怪でもお好きに呼んで貰ったらいいですよ」
サクタは日報からナイフを抜き取って、証拠品としてビニール袋に入れる。
「報告書を書く手間が増えてしまったので残業ですね」
「え、別に俺が書いておきますよ」
フルハタが薬の瓶と水の入ったグラスを持って戻ってくる。
「いいんですか、助かります。じゃあ対処だけ僕がやっておきますね」
フルハタは間延びした声で「お願いしまーす」と返してマニワに薬を飲ませる。
サクタは男の方を向き直る。
男は呪文の様なものを何か唱えている。
「ここまで来れる様になっても、そう言う無根拠なものが効果があると思われているのは何というか、少し切ないものがありますね。人間の限界と言いますか」
サクタは両手を胸の前で広げ、一本締めの様に一度拍手をする。
パチン、という音と共にゲートの向こうの男が糸が切れた様にその場に倒れ込む。
サクタの手によって魂を叩き潰された男は侵入の証拠として提出される為、このまま人間界では死体すら見つからない最期を迎えてしまった。
「お疲れ様でした」
倒れた男ではなく、業務を引き継ぐフルハタにそう声をかけてサクタは男にシートを掛けてからタイムカードを押した。

この短編はこの日記から連想して書きました。
https://oka-p.hatenablog.com/entry/2024/04/14/222128

またー。

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