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IMFと国際流動性

2020年8月執筆

国際流動性の逼迫

新型コロナ肺炎に起因する世界的な経済活動の停滞に際し、ドル不足に追い込まれながらFRBからのドル供給を受けられない新興国と途上国から期待が集まるのはIMF(国際通貨基金)である。そもそもIMFは国際収支の問題が生じている加盟国や生じる可能性がある加盟国に融資を提供することを中核的な業務としている。

今般の国際流動性の枯渇によってIMFに金融支援を要請したのは100カ国を超える。IMFのクリスタリナ・ゲオルギエワ専務理事は新興国・途上国の資金ニーズは全体で2.5兆ドルに達するという推計を明らかにした。経済活動が世界的に急停止したため途上国は輸出による外貨獲得が途絶し、食品や医療品といった必需品を輸入するための外貨が不足している。

世界食糧計画によれば世界で深刻な飢餓に直面する人は1350万人から2650万人へとほぼ倍増する見込みである。また、急激な資本流出に見舞われ外貨準備が枯渇したために途上国は対外債務の返済もままならないのだ。

このような経済状況に窮して多くの新興国・途上国の政府首脳や財務大臣がIMFにSDR(特別引出権)の配分を求めた。フランスのルメール経済・財務相は5000億ドル規模の新規分配を提案した。ゲオルギエワ専務理事は世界銀行で副総裁や最高経営責任者を勤め、EU(欧州連合)の欧州委員として難民危機への対応に深く関与した人物であるため途上国の実情に通じている。

2020年4月15日のIMF春期会合の開会挨拶でゲオルギエワ専務理事は、ファンダメンタルズが強固な国々には新たな短期流動性ラインで対応し、そのほかの国々についてはSDRの活用を含めて調達ニーズを満たす方法を模索すると述べ、この時点ではSDRへの言及が見られた。

動けなかったIMF


しかし、4月16日に開催された国際通貨金融委員会のコミュニケにはSDRの配分についての記述を見つけることはできない。この委員会は国際通貨及び金融システムに関する問題についてIMF総務会に勧告する役割を強化することを目的として設立された委員会である。委員会における協議を経てSDRの新規配分は議題として取り上げられることはなくなった。パウエルFRB議長の代理として委員会に出席したムニューシン財務長官の反対意見によってSDRの配分は頓挫した。

ムニューシンはウォールストリート出身の財務長官である。親子二代でゴールドマン・サックスで働き、金融マンとして彼は同社の共同経営者を17年間務めた。彼がSDR配分を批判した論拠は制度の問題点を鋭く突くものである。

SDRが新規配分されても最も支援が必要な最貧国に分配されるSDRは全体の3%に過ぎず効果がないというのだ。仮に5000億ドル相当のSDRが発行されても、彼らに手渡されるのは150億ドルの外貨準備である。SDRの発行には加盟国が有する議決権の85%の賛成が必要なのだが、16.51%の議決権があり実質的な拒否権を有する米国の反対によって事態は進展しなかった。

そもそもSDRはIMFへの出資比率(クォータ)に応じて配分される。配分されたSDRはIMFの仲介を受けて、自身の保有SDRと引き換えに他の加盟国の保有するドルやユーロといったハードカレンシーに交換して、国際決済や対外債務の返済に利用できる。つまり、SDRの新規配分によって途上国の外貨準備は自動的に増加し、緊急的な財政刺激や必要な輸入品の購入に充てることができる。

SDRを使用した国はSDRを融通してくれた国に対して金利を支払う。この金利はSDRを構成する通貨バスケット(ドル、ユーロ、元、円、ポンド)の加重平均金利であり、緩和的な金融政策を背景として極めて低い金利で国際流動性を獲得できる。国際金融市場での借入やIMFの緊急融資と比べて少ない負担で外貨を手に入れられる。

ムニューシンの発言はもっともであり、IMFにとって痛いところを突かれた形であった。現行のクォータ配分ではSDRをあまり必要としていない大国にばかり厚く配分されてしまう。第一位の米国は17.45%のクォータを保有しており、そもそも自前でドルをいくらでも発行できる。FRBとのスワップ協定があるユーロ圏諸国、日本もSDRは必要がない。一方で国際流動性を真に必要としている国々はわずかなSDRしか配分されず、その金額は先進国の財政出動の規模と比べると不十分である。

世界金融危機時との違い

途上国・新興国からSDRの配分への期待が高まったのは世界金融危機の後にSDRが大盤振る舞いされたからである。2500億ドル相当のSDRが新規に配分され、約1000 億ドル相当が新興国並びに途上国に渡り、そのうち180 億ドル超は低所得国が受け取った。なお、SDRの金額としては1612億SDRであり、過去に配分されたSDRの4倍強の規模であった。

2009年のSDR配分についてはG20ロンドン・サミットで合意され、国際通貨金融委員会の支持も得ており、国際社会における合意が着々と形成されていた。世界金融危機は100年に一度の危機と認識されていたため、SDR配分が世界経済の成長と雇用の回復を通して世界金融経済危機に対応するものとして歓迎された。ドミニク・ストロスカーンIMF専務理事(当時)は「このSDR 配分は、世界金融危機に対する資金面からの協調的対応の最たる例である」と賞賛した。しかし、新型コロナ肺炎がもたらした危機について世界は足並みを揃えることができなかった。

先に指摘した課題であるクォータの比率については見直し作業が2010年に完了した(第14次クォータ見直し)。ポイントは2つあり、1つめはIMF融資の財源となるクォータを倍増させ約4770億SDR(約6600億ドル)とした点である。IMFの財務基盤が増強されたことになる。もう1つは途上国・新興国のクォータと議決権シェアが見直され、その経済力が過小評価されている国々にクォータが6%以上移し替えられた。しかし、途上国・新興国のシェアはまだ低く、今回のSDR配分構想を覆す隙を与えてしまった。

SDRを機能させるには

世界に「最後の貸し手」が不在であることが改めて明らかになったことからもIMFのさらなる改革が求められる。まず、SDRを経済大国から中低所得国へと再配分することが必要である。現在のようなクォータに応じた配分では国際流動性を真に必要とする国にSDRを供与することは難しい。経常収支の悪化に比例させて配分するといったルールの大胆な変更が求められる。

クォータの見直しは2023年12月15日を目途に第16次クォータ見直しの下で進められている。クォータが十分であるかについて改めて検討されており、また、クォータ計算の新方式についても作業が進められている。途上国・新興国へクォータをどのように手厚く配分するかが注目される。

もう1つはアイケングリーンが提案するような決定権限の委譲である。現在はSDR発行に85%以上の賛成票が必要となるため機動的でないし、そもそも米国が拒否権を有している。なお、米国は自国のクォータを超えない限りはSDRの発行に賛成票を投じるのに議会の承認は必要ない。現状では6490億ドル相当のSDR発行に対しては迅速に賛成票を投じられるが米国は動かなかった。FRBやECBがスワップ協定を締結できるようにIMF理事会にSDR発行の決定権限を与えることによって迅速に流動性を供給する提案を検討すべきである。

現実的な選択肢

歴史を振り返ると途上国が国際流動性に窮する事態は何度も繰り返されている。19世紀後半から20世紀初頭の国際通貨システムであった国際金本位制は為替相場の安定、国際収支の均衡といった観点から円滑に機能したと認識されている。当時の周辺国であるアルゼンチン、インド、南アフリカは経常収支の赤字を計上していたが先進国からの資本移動によってファイナンスできた。ただし、周辺国への資本流入は対外債務の積み上がりをもたらす。一次産品価格が下落し、資本流入が停止すると国際決済、債務返済が出来ない事態に追い込まれた。

国際金本位制の時代から一世紀以上が経過したが「最後の貸し手」はいまだに出現しておらず事態が一夜にして改善することは望むべくもない。新興国は経常収支の黒字を維持して外貨準備を保険として積むことが合理的となる。ただし、個別国ベースで過剰な外貨準備を蓄積することは世界全体としては非効率である。外貨準備を積み上げられない途上国はどうすればいいのだろう。世界経済の周辺部に国際通貨システムの不完全さが顕著に表れている。

参考文献

  • Pham, Sherisse. (2020). “IMF Says Half the World Has Asked for a Bailout.” CNN, April 16.

  • Georgieva, Kristalina. (2020). “Transcript of Press Briefing by Kristalina Georgieva Following a Conference Call of the International Monetary and Financial Committee.” International Monetary Fund, March 27.

  • World Food Programme. (2020). “COVID-19 Will Double Number of People Facing Food Crises Unless Swift Action Is Taken.” April 21.

  • Georgieva, Klistalina. (2020). “Remarks by IMF Managing Director Kristalina Georgieva During an Extraordinary G20 Leaders’ Summit.” International Monetary Fund, March 26.

  • Eichengreen, Barry (2011) . Exorbitant Privilege: The Rise and Fall of the Dollar and the Future of the International Monetary System, OUP Oxford. (小浜裕久監訳『とてつもない特権 君臨する基軸通貨ドルの不安』勁草書房、2012年)

  • 上川孝夫(2015)『国際金融史 国際金本位制から世界金融危機まで』日本経済評論社

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