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復興基金から読むユーロの行方

2020年8月執筆

欧州復興基金の誕生

「連邦がそれらの州の債務を引き受け、連邦の債務と同様の措置を取ることが、健全な政策と実質的な正義にかなう方策となると確信する」

連邦をEU(欧州連合)に、州を国に入れ替えると現在のEUが直面している課題を言い当てる言葉に変わる。米国の初代財務長官であったアレグザンダー・ハミルトンが州債務を連邦が引き受けることを米国議会へ答申した報告書の中の文言である。

特別欧州理事会は2020年7月21日に欧州復興基金(以下、復興基金)の設立という歴史的な合意を決着させた。復興基金の正式名は「次世代のEU」(NextGenerationEU)であり、次世代のEU市民が共存していくために求められる変革の一歩を踏み出したと評価できる。今後、詳細について修正が行われて欧州議会で同意を得る必要があるが、復興基金が誕生する意義をEU統合の文脈において考えたい。

基金の中身

復興基金を発足させた目的は新型コロナ肺炎によって落ち込んだ経済活動の回復を後押しすることである。欧州委員会が債券を発行して資金を調達し、その資金は経済状況への影響が大きかった国々へ配分される。フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は「基金はEU諸国全ての地位を平等にするだろう」と期待をあらわにした。

復興基金の規模は7,500億ユーロであり、その内訳は補助金が3,900億ユーロ、融資が3,600億ユーロからなる。配分された資金は経済危機からの復興を目的とした加盟各国における財政支出に使われる。ただし、「次世代のEU」の名の通り資金使途としてグリーン経済やデジタル化といった今後の有望分野が想定されていて、景気回復とともに経済構造の転換につなげる狙いもある。

ドイツのメルケル首相とフランスのマクロン大統領によって復興基金は提案されたが、EU域内における南北対立のせいで難産であった。それでも、供与された資金が適切に使われていない場合に加盟国が欧州理事会でその問題を提起できる仕組みが組み込まれていること、今回の危機に対応するための一度きりの措置であることからなんとか合意に達した。

小さな一歩

復興基金を評価するポイントは補助金が盛り込まれたことである。EUレベルで調達した資金が返済義務のない補助金として配分されることはEU域内において所得の再配分が実施されることになる。「財政同盟」に向かう小さな一歩を踏み出したと評価できよう。

そもそもEUはEU運営条約125条(非救済条項)によって加盟国間での財政支援をしなくてもよいことになっている。その方針の転換が確かなものとなったのは2012年10月に欧州安定メカニズム(European Stability Mechanism, ESM)が常設機関として設置されたときである。

ESMは資金規模が7,000億ユーロであり、危機国の国債を購入したり、銀行への資本注入を実施することによって支援を行う。資金のうち600億ユーロについては参加国がほぼGDP比に近いシェアで払い込む。また、短期から中長期(1年から30年)のESM債券を発行して資金調達できる。

ESMの資金利用には政府債務の削減計画を提出する必要があり、あくまでも借入であるので返済する必要がある。ESMによって可能になったEU加盟国間での財政支援は大きな一歩であり、今回の復興基金による補助金配分は財政同盟に小さな一歩を踏み出した動きと理解できる。

財政同盟の必要性

域内において所得移転を行う財政同盟は共通通貨ユーロが存続するために必要な機構である。ユーロ加盟国は共通通貨を導入することによって経済ショックに対する調整手段を放棄する。それは為替相場の変動と金融政策である。

ユーロ圏諸国にとって特に問題になっているのは一時的な需要ショックではなく競争力の継続的な乖離である。競争力が劣後する場合、為替相場を切り下げて対処することができるが共通通貨を導入しているとそれができない。また、輸入品へ関税をかけることによって競争条件を有利にしたくてもEU単一市場ではできないのである。

ユーロ導入国にはこうした調整手段がなくなる。そこで一国内における地方交付税交付金のように財政資金を周縁国へ再配分したり、失業給付といった社会保障によって所得を移転することによって国家間の格差を埋め合わせる必要がある。こうした財政移転を行うためには国家間の共通予算を確保して財政移転の機能を果たす財政同盟が求められる。

北部諸国の論理

一時的な需要ショックであれば共通予算から不況に陥った国に対して財政移転をすることによってショックを緩和することができる。あくまでも不況時における一時的な措置であれば経済が好調な国々からの反発も少ないはずである。

しかし、競争力の格差拡大が継続する状況においては財政移転は望ましくないと反発を買う。ユーロ圏内における競争力格差を縮小するべく賃金や価格を抑え込み、それでもだめなら住み慣れた土地を離れて高成長の国へ働きに出よという話になる。生産要素市場の柔軟性を高めなくては共通通貨圏にとどまれないという最適通貨圏の論理である。

経済構造に柔軟性を欠く場合、共通予算がなければ苦境にある国の政府債務残高は増加していく。もし、財政同盟による所得移転があればその移転は永続的となり、好調な国々からは経済不振にある国への支払いに対する反発が強まる。

こうした北部諸国からの反対によって復興基金の協議が難航したのである。当初案では補助金額は5,000億ユーロであったがスウェーデン、デンマーク、オーストリア、オランダの「倹約四カ国」にフィンランドが加わって反対した。救済される南欧諸国が構造改革に取り組むのか不信感があったためである。

フランスのマクロン大統領は激高してテーブルをたたき、欧州復興を危機にさらしていると「倹約四カ国」の首脳を非難したとされる。このように財政同盟によって欧州の連帯を求める考え方と南欧諸国に手を差し伸べない自己責任原則の思想がEU域内で対立している。ただし、復興基金についてはギリシャ支援をあれほど渋ったドイツが提案側に回ったことが救いであった。

マクロンが進める欧州の連帯

通貨同盟における財政移転については1977年の「マクドウガル報告」においてすでに言及がある。各国予算を同盟レベルに集中することによって負の経済ショックを受けた国々に資金移転でき、それにより通貨同盟の社会的コストを減らせる。集権的な予算対応ができないなら各国政府が財政赤字を増やすことを認めるべきという話になる。

欧州の連帯に背く潮流は欧州債務危機の際に顕著となった。ドイツ国内の世論がギリシャ支援に猛反対し、ギリシャに対して苛烈な経済の構造改革を迫ったのである。アジア通貨危機においてIMF(国際通貨基金)が金融支援の条件として構造改革を押しつけたことを彷彿とさせる。ユーロ圏においてドイツと南欧諸国との対立の構図が出現し、ギリシャやイタリアには反EU的なポピュリズム政権が誕生した。財政赤字が膨らむ国々に自己責任を求める北部諸国の自己本位が目に余るようになった。

この流れに一席を投じたのは2017年にフランス大統領に就任したマクロンである。親EU路線のマクロンは同年9月26日にパリで行われた「ヨーロッパのためのイニシアティブ」演説(ソルボンヌ演説)において、ドイツを念頭にEU統合の一層の深化を呼びかけた。演説にはユーロ圏共通予算とユーロ圏財務相会議の導入が盛り込まれている。2018年6月にはドイツのメルケル首相との間で2021年にユーロ圏共通予算を創設するという合意に至った。

財政同盟の展望

2018年12月の欧州理事会においてユーロ圏共通予算の導入は認められた。ただし、予算規模は少額となり地域間格差の解消に使途を限定せずに競争力強化に用いられるものになる見込みである。マクロンによる呼びかけが矮小化された感があり、財政移転の機運が停滞していたところに今般の復興基金の話が持ち上がり、欧州の連帯について議論が息を吹き返したといったところである。

ただし、国家予算を同盟レベルへと集権化する動きには南北に深い断層があるため険しい道のりが待っている。通貨統合の研究で有名なデ・グラウエは、徴税と歳出の分野において国家主権を欧州政府と欧州議会へ大規模に移転することが求められるため政治同盟が必要であるが、欧州にこの方向へ進む意思はないと断じている。予算の同盟レベルへの集中度は低いレベルにとどまるしかないという悲観論である。

しかし、ユーロ圏の結束のために大きな財政同盟はそもそも必要なのだろうか。田中(2016)が提唱するように、財政移転を加盟国間の格差が一定の範囲に収まるまでの期限付きの措置にすることや了解が得られる国々で先行して財政同盟へと歩みを進めるというのが現実的と考えられる。通貨統合の便益を北部諸国が独占していてはユーロが瓦解して便益を失うことになりかねない。同盟内において便益を分かち合うことで南欧諸国を同盟内にとどまらせることが賢明である。マクロンの再選がどうなるか、ドイツでのメルケル後がどうなるかが気になるところである。

安全資産の誕生

復興基金の設置はユーロにとって何を意味するのか。欧州委員会が発行する債券(以下、共通債)という安全資産が登場し、それは国際通貨ユーロの準備通貨としての側面を強化するというのが答えである。EUにおいてなにか起こると南欧諸国でデフォルト懸念が頭をもたげ国債が売り込まれることも牽制でき、国債市場を安定させることにもつながる。

共通債の発行によるこうした効果をDe Grawe(2020)は「保護メカニズム」と呼ぶ。財政出動のために各国政府が国債を発行している場合、経済ショックが起こると格付けの低い国債から格付けの高い国債へと質への逃避が発生して資本移動は不安定化する。一方、同盟レベルで共通債を発行すれば資本の不安定な動きへの牽制となる。なお、欧州安定メカニズムが発行する債券が最上位の格付けを得ていることから復興基金の債券も高い格付けを得られるものと見込まれる。

共通債は財政同盟の要の一つとなりうるものであるが、加盟国への暗黙の保険を含むという問題がある。債券の共同発行に対して諸国が集合的に責任を持つため、暗黙の保険に頼り過大な債務を発行するインセンティブが生まれる。財政規律の高い国々から強い抵抗を生み出してしまうことは容易に予想される。モラルハザードのリスクが解消されない限りこうした国々は共通債の発行を認めないだろう。復興基金は時限的な措置であるので「倹約四カ国」も渋々と首を縦に振ったわけである。

ハミルトンによる国債改革

現在のEUと同じような共通債の発行が230年前の米国において行われている。当時の米国は独立戦争からまだ間がなく13州がゆるやかに連邦を形成していた。独立戦争が残した公債は膨大なものであり、連邦が5,400万ドル、13州は2,500万ドルにのぼった。この規模はGDPの42%に相当し、公債が償還されるのかについて懸念があった。その証拠に、米国の公債は欧州市場で大幅に割り引きされて取引されていた。
 米国議会から公債処理について諮問されたハミルトンは1790年1月に『公的信用に関する第一報告書』を議会へ提出した。ハミルトンの計画は、連邦政府が各州の債務を引き受けて政府の公債へ統合するというものであった。引き受けのための原資は政府が新たに国債を発行して調達する。連邦政府の権限を強めることを目指す連邦主義者ハミルトンの面目躍如といったところである。

この計画は南部諸州からの強い反対にあった。ヴァージニアやノースカロライナなどは州債務の償還をほとんど終えていたので政府に救いの手を延べてもらう必要はなかった。一方、マサチューセッツやサウスカロライナが莫大な債務に苦しんでいた。重債務を負った州を連邦政府が支援するのは償還を済ませた州が割を食うという考え方が反対意見の根底にあった。

しかし、英国からの独立を勝ち取った利益を享受するには費用を分担する必要があるという論理が勝り、公債の統合は一度は否決されたものの議会から承認を得た。連帯の思想が勝利したのである。ただし、ハミルトンは首都問題について地元のニューヨークからワシントンへの移転を認めたことで公債処理を認めさせるという政治的な譲歩をしている。

州債務を連邦政府が肩代わりしたことで債券価格は上昇した。連邦政府には憲法によって輸入関税の徴収権が独占的に与えられていたこともあり、償還の可能性が高まったと投資家から評価されたのだ。このことは財政黒字を計上するドイツ等を背景として発行される共通債が南欧諸国の国債より信用力が高い現在の状況と重なる。

財政統合とユーロ

ユーロ建ての安全資産がさらに追加されることから国際通貨ユーロの準備通貨としての存在感は増す。1999年のユーロ誕生から世界の外貨準備に占めるユーロの比率がどう推移してきたかを図に示した。誕生してからしばらくはユーロ比率は上昇していたが、2000年代半ばから下落に転じてからは欧州債務危機の混乱もあり低迷した。危機が終息して2010年代後半からは勢いを盛り返してきて準備通貨としての地位はかつてない水準まで高まっている。図では対ドルのユーロ相場が低迷しているが、これはユーロ安というよりはむしろドル高と捉えるべきである。米国の金融市場への資金流入が継続してドルの実効相場は1985年のプラザ合意前の水準にある。

復興基金が発行する共通債は信用力が高いため年金基金や投資信託のポートフォリオに組み入れられるだけでない。現在、各国の中央銀行では過剰なドル準備の保有を修正すべくポートフォリオを分散させる動きが見られる。新たな安全資産の登場は資産分散を考慮する契機となるかもしれない。もちろん、世界最大の米国債市場にはまだまだ及ぶべくはないが、財政統合の流れは準備通貨としてのユーロの魅力を高める方向へ作用する。

参考文献

  • Chernow, Ron (2004). Alexander Hamilton, Penguin Books. (井上廣美訳『アレグザンダー・ハミルトン伝(中)』、日経BP、2005年)

  • De Grauwe (2020). Economics of Monetary Union, 13 th edition, Oxford University Press

  • Von der Leyen on European Council conclusions: NextGenerationEU is a signal of solidarity and willingness to reform, 23 July 2020, European Commision

  • 田中素香(2016)『ユーロ危機とギリシャ反乱』岩波書店

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