12月30日 繋がり 慣性 差違

「このドキュメンタリーがヤバい!」を観た。去年もこの番組を観てとてもよかったので、楽しみにしていた。気になったものでこの後再放送されるものを予約。
違うと思いたいけど、自分はどうしようもなくファスト映画を求める側の人間なんだよなぁと思う。抗い続けるけども。
来年はもっと色んなものに触れたい。そのためには余裕が必要だが、果たして。

録画した「ふたりのディスタンス」太田夫妻回を見る。初回放送の時に見れなくてずっと見たかった。関係の固定化って、ほんの少しの思い込みから生じるのかもしれない。ほんの少しでまた変わっていくかもしれないと思う一方で、慣性や緩やかに萎んでいく力の方が強いんじゃないかと思っている。それでも抗えるのか、そこにある種の強さがあり、幸せを引き戻す力がある。と言ったもののそれが出来なかったんだよなと思うなど。

昨晩水につけた大豆の半分を炊く。おばあちゃんが炊く豆には真四角の昆布が入っていた気がして真似してみた。適当に味付けした鍋から漂う香りがあまりに美味しくなさそうで、でもこれ以上手の加えようがなくて、諦めつつ完成したことにした。冷めた後、味をみたら、そこまで悪くは無かった。
豆の半分は昔給食に出た、フライビーンズにした。片栗粉をまぶして、しらすと一緒に揚げ焼きにした後、甘辛いタレと絡める。パクパク食べてしまう良い感じに仕上がった。今度、人と家で飲むことがあれば、作って出したいなと思った。

夜、二村組の読書会。気づけば3回目。

帰省していて参加できない予定だったけど、自宅隔離のせいで参加できるようになった。
喉の調子が良くなくて、あんまり喋れないかもと言ったくせに喋り過ぎた。
アイスブレイクのテーマ「モテる人はどういう人か?」について、開始直後はうまく答えられなかったけど、読書会中、燃え殻さんの不器用だけど真っ直ぐでみんな気になって話が弾んでしまうことにモテがあると思った。気になってしまう魅力がモテではないかと思う。

死についての話も盛り上がった。"急に死にたいか、余命宣告のように猶予期間があって死にたいか"の問いに、たまに自分の葬式には誰が来てくれてどういう場になるのかをたまに考えてしまうことを思い出した。自分の葬式がどうなるかなんて見ることはもちろん出来ない、意味のない願望なんだけど気になる。でも、死までの猶予期間があったなら、自分の葬式に来てくれるような人と会えて、話ができるじゃ無いかと思った。だから、自分は、猶予期間があった方がいい。とはいえ、元気な今でも会いに行けばいいんだぞと、そうも思う。
死んでしまったら、人は心は残るのだろうかという問いに、こうやって書いている日記があれば心が残るようにも思って、嬉しくなった。
"自分と似たような人を好きになるのか、違う人を好きになるのか?"俺は自分と似たような人を好きになる、それしかないと思ってた。でも、似ているというのはある種幻想のようにも思い始めてる。細部を削いで、似た部分だけにフォーカスしても、それが向かう先は虚か破綻か。緩やかに似てるとこもあるなーくらいに思って、でも違いを楽しめるくらいが良いのかなぁと思うけどどうだろうか。

最後まで残りたかったけど、喉もあれだし退出。来年も参加したいなと思う。

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