往復書簡 踊り場から愛を込めて

病室からこんにちは。手術前後で書いてます。

直接会ってからかなり間が空いてしまいましたね。会った感想は、お互い異なる色んな経験をしてきても、変わらんところは変わらんってことかな。

最も効率よく人生を謳歌したいならば、やはり、今日を心地よく生き、明日目覚めた時に生を実感するスタンスが今の自分にとっては最適解な気がする。

この前観た映画PERFECT DAYSの主人公がこれを体現していた。主人公は毎朝家を出る時空を見上げてとても晴れやかな表情をする。浮世を生きているような主人公だからできるのか、必要と思わされてる何かを手放してしまえば案外達成できるのか。

海外生活向いてるかの回答ありがとう。可能性の一つだけど、数年後海外にいるかもしれない。多分住むなら大都市だ。楽しめるんじゃないか、上手くやれるんじゃないかという気持ちと、ネガティブに落ちた時の孤独な不安がある。
と言いつつ、周りの人が東京の外に行ってしまったり、ライフステージが変わったりで、東京で誰かがいるから支えられているというのは減ったかもしれない(いややっぱりそうでもないかもしれない)。とにかく、上手くいくかなぁ、何ともならないかなぁの狭間にいる。

この間電話したとき、仕事の変化の話をしましたね。この数年の停滞感とこれからの変化との感じ、重なる部分があるなぁと思いました。環境は違えど、なんかおんなじようなことに直面している。俺らはそういう関係なんだろうということを、改めて思いました。
ここでも、俺は上手くいくかなぁダメかなぁという狭間にいる。なるようにしかならないというマインドを身に付けたい。

手術や入院を通じて知ったことや気づいたことは色々あって最近の日記に書いているけど、手術によって大きく変わったかというと別にそうでもない。手術前にはこんなことを書いてた。

やっと健康のことを考えるようになってきた。今まで考えてこなかったのは、そもそも健康だったからと、将来をどうでもいいと思っていたからだと思う。あと、一時的であれ自分の選択で強い痛みを選ぶより、何も選択せず慢性的な弱い痛みの方がいい。いや、色々理屈をつけてみたけど、ただめんどくさいだけだな。

でも、手術終わってもうすぐ1週間経とうとしている今、元々の考えに戻りそうになってる。まぁそんなもんでしょう。ただ、昔と全く同じということはない。

仕事、日常の雑事から離れて、待っていればご飯は出てきて、本を読んで寝ていれば過ぎていく。退職後の暮らしを先取りしてるよう。
退院する日が決まってる今は終わりがあることを分かっているけど、それがない退職後はどうだろうか。"生きてる"のか"生かされてる"のか。

なんだか、雑感を綴っただけになりましたが、停滞の終わりかけにいて、過去を振り返って、未来を少し考えるそんなタイミングなんだろうとは思う。踊り場から一歩。

最近始めたこと、諦めたことがあれば教えてください。

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