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夢眠ねむから何を学んだか

去る1月7日、僕の一番の推しのアイドル 夢眠(ゆめみ)ねむがでんぱ組.incを卒業した。
武道館で行われたその卒業公演は、やりたい・好きが詰まった曲と演出、メンバーからの祝福、アイコンの継承、ヲタの不安を振り切るようなダブルアンコールのFuture diver。とあらゆることが詰まり、そして全方位が幸せになる完璧な卒業式だった。

自分はそもそも、アイドルを聴いたことがない、寧ろ嫌いだった。だが気づけば、でんぱ組.incは最も好きなアーティストになっていた。
その理由の大きな一つが夢眠ねむという存在だった。その存在によって、自分のなかの音楽観だけでなく、他の考え方も大きく変わったなという実感がある。

夢眠ねむがアイドル界に起こした変革や、今回の卒業が業界全体にもたらした意味は、様々なメディア(自著のまろやかな狂気を含む)や、彼女から影響を受けた数々のアイドルのブログに載っている。自分にそれを上回ることはもちろん書くことはできない。

だが、夢眠ねむという存在から自分が受け取ったことは何なのか?ということは整理しておかなくてはいけないという思いに駆られている。

こんな心理的なハードルがあって、なかなか筆を取ることができなかったけど、箇条書きでなんとか書いていこうと思う。

好きの肯定

昔の自分を振り返るとでんぱ組を聴く以前は邦ロックばかりを聞いていた。その時、自分の好きを表明することはほとんどなかった。大方の人から理解されない趣味。それを言葉にだすことと否定されるのではと怖かった。そして、たまに自分の好きなものを紹介するときでも自嘲的なエクスキューズを挟みながらでないと話せなかったし、伝わらなかった。気持ちをねじ曲げての表現はいつしか自分の中の気持ち自体もねじ曲げてしまう。そんなことがあった。

でんぱ組.inc初めての武道館のMCで夢眠ねむはこう言った。

「みなさん、ちゃんとひとりひとりが私たちをここに連れてきたっていう自覚がありますかー!?」(https://ototoy.jp/news/75624)

アイドルの文化では好きが可視化される。それは使ったお金であったり、ライブのサイリウムの明かりであったりする。
自分の好きな表現は、他でもない自分を含めたファンの好きという気持ちの集合によってできている。そんなことを感覚的に初めて感じることができた。ならば、自分の中の好きという感情に嘘をのせないようにしようと思うようになった。

好きだよと言わなくても伝わっているとまさか思ってたの?

そして、自分のなかの気持ちに嘘をつかないことだけでなく、それを発信すること。その大切さも伝えてくれていた。
好きを表明することの、対他的、対自的な意味に気づくことができた。

それとともに、好きに思い以外をのせることの大切さにも気づいた。好きがこれからも続くためにも支える必要がある。お金を使わずともエンタメが楽しめてしまうこの時代だからこそ、お金を使うという行為にはより意味合いが籠る。好きに投資するという発想も夢眠ねむから受け取ったメッセージだと思う。

境界人性の完成系

夢眠ねむと僕には共通点がある。それは三重県出身ということだ。三重県出身で他の地方で暮らしたことがある人は、恐らく自分の出自、アイデンティティについて考えた経験があると思う。中部地方、関西地方、東海地方といういくつものカテゴリーに属す。名古屋や大阪といった異なる大都市の影響を受ける。良いとこどりの様にも聞こえるが、実際はそうではない。それぞれの地方や都市の中心の人からすれば、他所者という目線で見られる。どこにでも属しているのにどこも属していない。そんな、倒錯した意識がある。ウチで暮らしを続ける分にはこの意識に思い至ることは少ないと思うが、"ホンモノ"と触れた時には、それが自覚される。夢眠ねむはそんな三重県というそんなアイデンティティをもつことが宿命となっている場所に生まれ、さらに、アイドルとしてもそのような意識を持っている。アイドルというウチの人でありながら、そのアイドルを研究対象として捉えたり、一歩引いたような立場もとっている。
その境界人性をネガティブにとらえるのではなく、上手く昇華させたのが夢眠ねむだ。メタ的な視点で見つけ出した魅力を、様々な表現媒体で、いくつものコミュニティーへ発信していく。天性や一つの与えられたものに任すのではなく、努力で磨いた複数の才、多面的な視点によって築いた唯一無二のポジションは境界人としてのひとつの完成形に感じられた。それが自分にとっても救いのように感じられた。魔法少女にじゃなくても、魔法のような景色は見られるんだね。

文脈を楽しむこと

ハタチ過ぎまで、音楽を聴くことに意味は求めていなかった。カラダで音楽を感じることはあっても、アタマで感じるということはなかった。実は音楽に限らず、意味を取っ払った感覚的な上澄みだけを掬っていたのだなと思うことがある。
夢眠ねむは夢を叶え続けてきた人だ。憧れてきた人との作品を産み出し続けてきた。その作品群の魅力は表面的に作品を聞いていただけでは分からない。ここに至るまでの過程につまった情感に思いを馳せてこそわかる。それを受け取った時に、自分に起こった訳ではないけど、純粋におめでとうと思い、嬉しくなることが何度もあった。そんなことを通じて、文脈を楽しむということを知った。
文脈の重要性に気づいたことはエンタメの楽しみ方を変えただけではない。
学問への関わり方にも影響を与えた。背後になにがあるんだ?と思いを馳せることの知的な快感に気づくことができた。
少し人に優しくなれた。今の言動の裏にはどういう経験があったのか?そう考えることで、自分のなかに沸き起こる瞬間的な情動と向き合うことができるようになった。


創る、見つけ出す、繋げる、広げる。それぞれの高い能力をもって、でんぱ組.incを最高にしてきた夢眠ねむ。次の本屋経営とキャラクタープロデュースではどういう展開をしていくのだろう。新しい活躍の場ではどんな好きがクロスしているのか。夢の続きが楽しみで仕方ない。

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