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CY8ERを解散騒動で知る

タイトル通りだ。

BPM15Q解散後、CY...なんとかという形で苺りなはむの意思が継がれたまでは覚えているが実際に曲を聴いたことはなかった。

それを解散騒動という一種の「バズりネタ」によって先日知ることになる。

辿り着いたのが圧倒的エネルギーを感じさせる一時間13分の1カメワンカットミュージックビデオ。


(ここから先は「伝えたいこと」を別タブで流しながらこの記事と引用先の記事などを流し読みするくらいがちょうどいいと思う。)


そして概要欄の

CY8ERは2021年1月10日
日本武道館で夢を叶えて解散します。

という一言。

元々知らなかったのだから失うものなんかないのに。

この喪失感はなんなんだろう?今まで聴こうともしなかったくせに今更興味が沸くのは何故だろう?

洲央さんの記事と同じようにwikiからCY8ERのコンセプト及び、代表苺りなはむの意思を引用しようと思う。

「大人たちの事情」に振り回されない、完全なセルフプロデュースにより商業的に成功し、新たなカルチャーを作り出すことを目指して活動している[1]。

そうだ、確かBPM15Qもこのコンセプトを中心に活動していた。「大人たちの事情に振り回されたくない」という考え自体馬鹿々々しい。本人等も大人だろう。お金が発生し仕事としてやる以上「子供のまま」ではいられない。詳しくはないが特にアイドル業界なんて大人たちの事情だらけだと思う。この上なく非現実的なコンセプトだと思う。





なのにカッコいい。


いや、だからカッコいいのか。

頑張ることは決して正義ではなく、「頑張っているからかっこいい」という思考は成功に繋がらないと思う。それでも難しいこと、新しいことを成し遂げる為にはそのくらいのマゾ精神は必要なのではないか。何かを成し遂げるためには「逆境に立ち向かう俺かっこいい」くらい酔いしれないとやっていけない世の中なのかもしれない。

洲央さんの言葉を頂戴するとCY8ERは言わば敗者復活戦なのだ。夢を叶えるというクソゲーのリトライ。アイドルとして必要不可欠とも思われた「若さ」という武器を持たずした無謀なリトライ。そんな状態からの武道館というボスの討伐。普通じゃない。

しかし「伝えたいこと」のコメント欄では「(日本武道館は)現状背伸びした箱」なんて風にも言われている。本当の意味でのゴールではないのかもしれないということだ。

冒頭でも話したように自分はCY8ERを知らない。日本武道館が背伸びなのかなんて分かりようもない。

それでも前述したような「ボスの討伐」だけで片づけられる程ことは単純じゃないんだろう。人生そんな明快じゃない。もっとぐちゃぐちゃしてるし本当の意味でのリスタートもゴールも存在しない。色々難しいし複雑だ。

ただし願わくば、CY8ERというグループが残したその複雑な「人生」を少しでも理解したかった。今からでも遅くはなくとも、やはり「今アツい」推しと「解散した」推しとでは温度差がありすぎる。寂しさがありすぎる。

勿論、ずっと推し続けたコミュニティやコンテンツが解散したり廃れたりする悲しさは驚異的だ。それでも、にわかのまま経験しえなかった過去に比べれば温かみや情熱がそこにはある。そんな熱に憧れる。

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