見出し画像

クオリティの高い文章を書き続けるための施策(小説以外編)

最近、明らかに感じていることがあります。

「文章のクオリティが下がっている」

読んでくださっている人は、素直なようで、文章や創作のクオリティが下がったと思われる10月あたりから明らかに週間の指標が落ちています。どう質が落ちたかは、先日の「毒」で話した文章の広がりのようなものが一つ。もう一つは、文章自体の中身が明らかになくなっていること。

やはり、書き続けることはかなり大切なようです。毎日書き続けることで、文章を書く感覚が研ぎ澄まされていくようです。10月忙しい時期を利用してイメージの転換を図ったのですが、一定量書くことを放棄する選択が、結果としては失敗だったようです。

もう一つ加えるとすれば、文章の面白さというものもなくなっている気がします。(お前の文章もともとそこまで面白くないよと言われればそこまでなのですが笑)それは明日以降の話で展開しましょう。

年末に向けてラストスパートをかけていきたい所存です。今の私では、いい文章と呼ばれるものが一本かければいい方な気もしますが笑。そのための文章を書く型のお話しです。

文章を書く内容を定める

文章を書くことに沈み込んだ時に、疑問として浮かんでくることがあります。人間が感覚を言葉にしていくとき、「書きたいものが生じたから書く」のか、「書く内容を事前に決めて書く」のかです。

以前までの文章であれば、前者のように書いていくことが質の高い文章を書く上で大切なような気がしています。つまり現実の世界において書くべきものが存在して、それを書いて共有していくことが人の心を打つような気がしています。

一方で、人間が生きている間にする刺激的な体験というのも限られていると考えます。そうなれば、その数少ない刺激的な体験を文章にしていくことは勿論やっていくとして、刺激的な体験を自ら求めていく必要があります。富士急ハイランドにいって「ええじゃないか」に乗るといったように。

それでもなお、日常できる刺激的な体験は数少ないです。となった時に前者の戦略だけをとることは、文章量を確保する上でネックになります。

この時、小説を書くことや芸人さんの芸に近いものがあるのですが、「虚」に身を投じることで、書くべき内容を作ることができると考えています。この「虚」の世界に身を投じた上で、「書きたいものが生じたから書く」のではなくて、「書きたいことを定めて書く」ことが文章の生産を続けるうえでキーになってくると考えます。

では、「虚」に身を投じるとはどういうことでしょうか。答えはシンプルで、小説をひたすら読む。お笑いの構造をひたすら吸収する。他の人とたくさん話すとかになってきます。

こうして、自分で体験する「現」の世界から飛躍し、「虚」の世界を体験することで、「現」の世界で書くべきものが見えてくる感覚があります。

表現力を磨く

過去日本語のレトリックを使って表現力をつけようとしたことがあるのですが、流石私という三日坊主はキレイにやらなくなってしまったようです。

表現力の話をするときに好きな歴史上のエピソードがあります。

夏目漱石の「I LOVE YOU」の訳出です。だいたい、「私はあなたを愛しています。」と訳せばいいところを、「月が綺麗ですね。」と訳せるところ。ここに表現力が凝縮されていると考えます。

無粋ですが、少し解説させてもらうと、「月が綺麗ですね。」は「I」が「YOU」に言う言葉です。日本語で言えば「私」が「あなた」に言う言葉です。

その上でこの「月が綺麗ですね。」という表現は、二つの意味を暗に持っています。

一つは、「月が綺麗(なようにあなたも綺麗)」の意味。夜という情景の中で発せられる言葉であれば、こういった意味の飛躍は考えられます。

もう一つは、「月が綺麗(なことをあなたと楽しんでいます)」という意味。先程述べた状況というものを「私はあなたと楽しんでますよ」と暗に伝えているのです。

日本語は、状況に言葉が依存する言語である分、短い文章で表現できるものがかなりあると考えています。それを磨くことは質の高い文章を息をするように書いていく上でかなり重要だと考えています。

そしてそのためには、『日本語のレトリック』や『理科系の作文技術』で学ぶ必要があるようです。

インプットする

これは何度も言いつづけていることですね。しかしながらまだできてないようです。インプットをすることで、新たな視点を獲得して、より正確に世界を描くことができるようになるようです。

しかしながらこの点においては、少し疑問があって「何を学べばいいのか」ということです。普遍的なものに価値を感じる私ですが、普遍的なものは獲得した瞬間に普遍的でなくなってしまうような気がします。それは、獲得している知見や知識が実は普遍的でなかったからなのでしょう。

ダイヤモンドを宝石として好むわけではありませんので、何を学びたいかというのはこれからの少しテーマなきがしています。下手に様々なことに興味がある分学習して突き詰めることに怯えている節があるようです。ファッションという学問にはまったく興味をしめさないのですがね(笑)。

自分の軸を持つこと

自分の軸を持つことが苦手なようです。となると自分の軸を持たないことで、それを自分の軸にするしかないようです。一見というかかなりヤバい奴になりそうなきがしています。

というよりもうヤバい奴なのかもしれない。自分の軸を持たないで突き詰めていくことができるのか、それともやはり消えるのか。

今の私では後者の方が確率が高いようなきがしています。そこを覆すために生きていくのでしょう。それはもはや軸のようなきがしています。だとしたらその軸も捨てなければいけない。

すべてはなるようにしかならなくて、なるようになるのでしょう。やはりかなりふわついた文章になってしまいましたが、これが私の「書く内容を決めて書くことができる最大限の文章でしょう」

「何のために生まれて、何をしてよろこぶ」あの文章マジで秀逸で、一生こびりついてく気がします。アンパンマンに呪われてる。

よろしければnoteのフォローとスキお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?