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常にナーバスでも、前へ進むこと

昔から、自分の実力に自信がない。
コンテンツ自体は好きだけど、実力には自信がない。下手なのは事実かもしれないけれど。
確かに昔よりは成長していると感じるが、すぐに周りを見回してしまう故に、自分に自信を持てない。
常にナーバス(不安、臆病、気が弱い)とも私は言えるかもしれない。
私は自分の好きなものでさえ、自信を持って生きられない。
ふとした時に自分の無力さに涙を浮かべることもある。
そして時々、「辞めてしまおうかな」と、諦めの気持ちが頭をよぎる。

それでも私は、諦めることはないと思う。
それは今までも、これからも変わらないと言える自信だけはある。

なぜなら、「自分に見えるその世界は、たとえ原型が同じだとしても、自分にしかないもの」だから。
得意、不得意。自分だけの解釈、それを受けて変わった自分だっているはずだ。
それは誰にだってあるようで、自分にしか見えないもの、自分しか気づいていないものかもれない。
それは、自分がその作品やものに対して「好き」だと感じているところにも言える。
私が好きだと感じているところは、まだ誰も気づいていない魅力かもしれない。
諦めてしまったら、その自分が持っている好きや景色はどうなるのだろう?
きっと、それは消えてしまう。
私が信じた「好き」だから。出会えた時の衝撃は、本物だから。そして、挫折しかけたのも、楽しいと思えたのも全て思い出で、私にしか見えない記憶。
それだけは紛れもない事実。そんな事実を消したくない。
その思いが、私を突き動かす。だから、諦めようとは思えなかった。

常に自分にナーバスでもいいと思う時がある。
それは自分の自信や実力に満足しない、終わりがないとも言えるから。
そう思うと、少し気持ちが軽くなる。また頑張ろう、進み続けようと思える。
そしていつか、無力さに涙していた自分に、「大丈夫。君は前へ進んでいるから」と、言えたら、胸を張れたら、少しでも自信が持てるかもしれない。そしたら、その時の「無力」の涙が、力強い「希望」の涙へと変わるはずだから。

私は、目標なんかに向かって、長い一本道を進んでいるんだと感じる。
努力とかなんかじゃなくて、「成長」だとか「前進」、前へ進んでいくものだと考えている。
努力というちょっと重苦しいものじゃない。積み重ね、よりも進み続けていく感覚で。

常にナーバスでも、前へ進むこと。
どんなに自信がなくても、下手なのが事実だとしても。
終わりが見えないその道を進み続けていく。足取りがゆっくりでも、少し立ち止まってしまっても大丈夫。
自分が感じた感動や、好きや楽しいという感情を今日も信じていこう。
そう思って、そう言い聞かせ、私はこれからも好きと向き合おうと思う。


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