【推し活】年に一度の刀愛で
ここ数年、年1で行ってる。
こんばんは!楽しいことの後には、大変なことが。
祖母、大丈夫でした。
血液検査やCT検査など。いろいろ受けたけど、どこも異常なし。強いて言うなら「食べ過ぎ」。
要は、食べたものが消化しきれず、胃から食べ物や胃酸が上がってきたのではないか、ということでした。食べたものが肺に入っていたら、命が危なかった(誤嚥性肺炎)かもしれない。
入院もせず、今はゆっくり家で寝ています。良かった……。
さて、冒頭に戻ります。
今日は久しぶりに、徳川美術館へ出かけてきました!
徳川家康が開いた、江戸幕府。その中でも中心的存在であった御三家のうちのひとつ・尾張徳川家に伝えられた至宝が多く集められた、私設美術館です。
特別展示を、じっくり観る
目的は、夏季特別展示「徳川家康 ー天下人への歩みー」展を観ること。
大河ドラマ「どうする家康」を毎週観ている身として、一度は観ておきたい展示でした!
中は基本撮影禁止なので、心に残ったことなどを。
信仰対象としての家康
上記顔はめパネルの元となった図は、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた悔しさを忘れないよう、絵に残した。というのが定説になっていました。
ですが、音声ガイドを聴いていると、これはどうやら家康を軍神として神格化した図であった、という説があるとのこと!
秘密は、このポーズにあり。「半跏思惟像」のポーズなのではないか、ということなんです。
半跏思惟像、上記の中宮寺や、京都・広隆寺の像が有名ですね。片足を膝に乗せ、頬杖をつくように、考え事をしているような姿。
世の中をどのように救うか考えている、なんて言われることも。
どんなふうに戦を、そして世の中を治めていくか考えている、なんて言われたら、この説もちょっと納得しちゃいそうです。
家康は一時期「徳川」じゃなかった?
この話が、結構意外でした。豊臣秀吉に仕えるようになってから、家康は一時期「羽柴」を名乗っていた、という記録があるのだそうです。
羽柴といえば、秀吉が名乗っていた姓。秀吉は、自分に仕えた家臣に対して「羽柴」の姓を与えることで、自分の力を誇示していたというのです。
先ほどの展示ポスターに載っていた具足についても、同じ理由。
この具足には、秀吉が家紋として使っていた、桐の紋が入っています。桐の紋は、菊の紋と併せて、天皇家を表すもの。
国を治めるNo.2である関白にまで上り詰めた、秀吉ならでは、です。桐の紋、というだけで、この具足は秀吉のものだったのではないか、と勘違いされていたようですが、近年の研究で、この具足は家康のものだったようだ、とわかってきました。
先に紹介した羽柴姓と同様、自分の家臣に対して、桐の紋を入れた具足を贈っていたということ。財力と権力、半端ないですよね……。
やっぱり、推し刀が好き
今回の目的は、推し刀に「会う」ためでもありました。オンラインゲーム「刀剣乱舞ーONLINEー」で登場した「南泉一文字」。
ここ2〜3年くらい、毎年一度は会いに行っている気がします!
刃紋が波打って少し派手目なところが、お気に入り。キャラクターを思い浮かべながら、実物を見ています。
秀吉の息子・秀頼が、江戸幕府を開いた後、つまり、天下人となった家康にこの刀を送ったと言われています。秀吉と家康の力関係が逆転するという、重要な時に立ち会った刀ということで、しみじみと歴史を感じました。
推しのジェラートを食べる
徳川美術館には、喫茶室が常設されています。展示をがっつり観てから、こちらの喫茶室で休憩するのがおすすめ。
公式X(旧Twitter)アカウントでは、毎回スイーツや所蔵刀剣たちへの愛が語られていて、ほっこりします。
今回のお目当ては、イタリアの有名ジェラート・ジョリッティととくびぐみがコラボした、推し刀ジェラート。
濃厚で甘さ控えめの、ダークチョコ味のジェラート。ちょっと量は多めでしたが、おいしくいただきました。
お土産もGET
とくびぐみと百貨店・マルイのコラボグッズが、毎年毎年かわいらしいんです。それぞれの刀剣ごとにイメージの花と動物があしらわれていて、わたしの推し・南泉一文字は牡丹と猫。
展示は見応えばっちり。刀剣だけでなく、家康が身にまとったであろう衣類や、豪華な調度品(蒔絵の入った重箱や湯たんぽ、圧巻です)、家康がさまざまな人に宛てた手紙などなど。
いろんな方面の興味で、楽しく観られる展示ではないかと思います。
残り期間は短いですが(9月18日(月・祝)まで!)、よかったらぜひ、足を運んでみてくださいね。
大河ドラマ「どうする家康」ファンの方には、ドラマの内容の理解がより深まる展示になっているかと思います!
久しぶりに長文を書きました……。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?