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帰省ともくもくの雲

1週間ちょっと石川の実家に帰った。

お隣の家がリフォームされて綺麗になっていた。
前まで無かったのに、町内の至る所に「とびだし注意」という文字と真っ黒な目をした小学生の走っている絵が描かれた看板が置かれていた。
セミはいつもよりよく鳴いていた。
じいちゃんの脚は筋肉が落ちて細くなった気がする。
親戚の子はよく喋ってよく笑って、僕のことを呼び捨てするくらいには成長していた。

僕がいてもいなくても変わるものは変わるだろうし、変わらないものは変わらない。僕がいないことがその変化の要因であるかどうかはわからないし、そう考えることは傲慢さに捉えられるかもしれないし、例えそうであったとしても、この状態から何も変わらない。僕が変えることができたのは、ばあちゃんの作る毎晩の料理がいつもよりちょっと豪華になったことくらい。

そういうことがちょっと寂しい。具体的に何が寂しいのかわからないけど、一人暮らしの仙台に戻る新幹線の窓から、もくもくの入道雲たちを見ていると、なぜか寂しさを感じている自分がいる。

大学でできた友達は自分でも信じられないくらい大好きだし、勉強もバイトもサークルも色々含めて毎日充実しているし楽しい。これが「幸せ」っていうやつなんだろうなって軽率に思っちゃうくらいには幸せだと思う。たぶん今ちょっとだけ感じている寂しさも、彼らに会えばすぐに吹っ飛んでいくと確信している。

僕も変わっていくし、地元も変わっていくし、家族も、友達も何もかも、変わっていないようで、着実に変わっていく。変わっていかないために、変わっていくことも必要になるし、変わっていくことはこの先も変わらないんだろうな、と思う。

何かが僕の知らないところで変わっていく度に、寂しいと感じてしまうのならば、この寂しさとは一生付き合っていかなければならないんだろうな、と思うし、どうせならその寂しさとも仲良くしたいな、と思う。

あのもくもくの雲みたいに、掴めないけど、確かにそこにあって、ただそこにあるだけなのに、綺麗で、ちょっとだけ怖い。

そんなものが僕の胸のなかで浮かんでいたりする。

雲に「もくもく」という形容詞を最初に使った人とは仲良くなれる気がする。

新幹線の窓から見える雲は面白い。新幹線が早いから、次々と色んな角度から雲を見ることになるし、一回トンネルをくぐると、さっき見ていた雲がどれだったかわからなくなる。

その雲はアイスクリームのお城に見えたり、くじらに見えたりする。

その雲は太陽を遮ったり、僕の上で雨を降らせたりする。

私は雲のことを全く知らない、その意味が少しだけわかった気がする。

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