初投稿

本日は2023年1月27日。
以前は文章を書く時は、ScrapBoxというWikiツールを使っていた。メモの様なであったが、気軽に思いついたことを書けるので、便利であった。

しかしながら、その「思いついたこと」というのは大衆的でなく、例えば今電車に乗っているが、電車というのはピアノと似ているな、と急に思いついて書きだす様なものであるから。この表現は書けば書くほど自分の思想として固定化していき、人と話すときに自然とそのサビが顔を表す。「思う」ことや「考える」ことは、その行動自体が固定化されていくので、良いのであるが、なんと言っても、ふっと思いついた思想は0時3分8秒の逗子のビーチで起こった波の様な物であり、すぐには残らない。大事な事は津波の様にビーチを超えて大地に侵略してくるが、小さな波でも「すごい発明だ!」と感じ、忘れないように書き起こしてしまう。

書き起こすのは良い事であるが、例えば宇宙と繋がるなんてバカなことを思いついて、それを真剣に考察して、書き出してしまったら、これはおしまいである。その考察が普段の生活で出てしまうから。宇宙と繋がると言う事は、すなわち人に外へ向かう感覚の事を大まかに指している。例えば飲みの席で、雰囲気やノリに耐えられず自分の世界に入り込み、ぼおっとしてしまう事は宇宙と繋がっていない。宇宙から独立した自分なかに宇宙を作っているのである。しかし、無理をしてでもその場のノリに合わせたり、サッと気を利かせた発言や行動をする事は、宇宙と繋がっている。この感覚はすごく大事であり、使い分ける必要があるが、基本的には宇宙とコネクションを継続させるのがベターである。実はこの行為は「考える」のではなく、「感じる」という行為に近いから。何故なら、私たちは宇宙を知らないので。例えば、バスでナイフを持って暴れ回っている人がいたと。周りには怯えている人や、対抗する人、悲鳴をあげる人、警察へ連絡する人、様々な人がいる。この状況、確かに現象は起こっている。ただ、それぞれがどんな気持ちでどんな行動をどんなタイミングでするのか、はて分かるか?予測はできたとしても、思考をする事はできないのでは無いのか?仮に思考したとしようか。ナイフを持ってきている男がキミの方へ向かってきた。男がナイフを振り上げた。ナイフの刃がキラリと光りこちらへ向かってきた。キミは思考しようとした。「さぁ、どうしよう。この場合は、アソコで学んだあのアレのフレームワークが使えて、この場合は、、、、、、」キミはスッと身体を横にずらし、男を薙ぎ倒し、「助けてください!!」と叫んだ。これが「思考≒自分の宇宙」から脱却し、宇宙へ繋がった瞬間であった。

以上の文章は宇宙と繋がっていない。つまり、ベターじゃ無い。この様な文章をScrapBoxでは書いてきた。noteという媒体、この媒体は素晴らしい物であると思う。ビジネス、経済、アート、豆知識、科学、美容、哲学、様々な分野において有意義な書き込みがされている。これは、比較的宇宙とコネクトし、ある程度宇宙の一部が自分の内部に概念化された状態である人が多いのであろうかと推測する。

さらに、概念化されていることを他者に伝えることも素晴らしいと思うが、何より「物質化、もしくは現象化された言葉」は宇宙と接続できる中間でもあるから、最も持ちうべき道具である。大衆美という言葉と、ビジネスにおけるマネジメントという言葉について、この半年間くらい研究をしていた。まだまだ荒削りではあるものの、大衆美とは、多くの人が知っているもの、当たり前とされているもの、普通なもの。これらは珍しさは無いものの、見慣れている・経験済みであるということから、その当たり前の向こう側にあるさらに美しい事柄や挑戦に接続する事ができるという意味が込められている。例えば「モーター」という技術が大衆化されたことにより、「電車」の開発ができ、「電車」が大衆化されたことにより、「駅」が大衆化され、「駅」が大衆化されることで、「駅弁」が大衆化され、「駅弁」が大衆化されたことに気がついた賢人が地方創生に力を入れて「その街」を大衆化させてゆく。私たちは多くのことに「見慣れている」ので、その先の行動ができる。普段はその大衆美に気づく事はないものの、自らが対象と対峙した時、対象が持つ本来の美に気づくとができる。ペットショップで犬を飼う時は、その感覚がわかりやすいのではないか?違うか…笑。話が逸れたが、マネジメントはまだ研究始めたてのホヤホヤなので浅いにも程があると思うが、マネジメントは一言で言うと「ウザイくらいな迄に見える化させること」であろう。国がどの様に国民を管理しているか?ということを考えた時、私が今車と接触せずに歩道を歩いていることに着目した。これは先ほどの大衆美の法則により何も考えなくとも歩行者は歩道を歩くと言うルールの中で生きている、と言えるだろう。アルバイトをした経験のある人はいるだろうか。従業員室に行けば何だか事細かな文字や表が書かれて紙がペタペタと壁に貼ってある。厨房に行くと、タブレット端末が置いてあり、注文が入ると端末から音が鳴り、それをみたシェフが料理を作り始める。お客様は高速に入れ替わる。その度に料理を注文しては、皿を厨房裏に返却し、洗い、また料理を運ぶ土台となる。そんな無機質で単純な運動。しかし私たちはなぜか、宇宙の中に浮遊している離散的な人間集団の中に放り込まれたにも関わらず、見事にその人間集団の中で確固たる活動をしているではないか!そしてその単純運動により発生した指標は従業員室の壁に貼ってあった紙に書き込まれ、その紙の周りに従業員皆で集まり、反省をしているではないか!そしてその反省により、明日の単純な運動が変化しているではないか!そう、マネジメントは、物質化された象徴を作る事なのである。その象徴は、シェア・利用することで、宇宙にプロットされた私たちを活性化させる効果がある。

さぁ、話がズレてしまったが、今後のnoteの方針は私が長々と説明してきた落ち葉から一つの閃光群に向かっている。それは「大衆的なモノ、すなわち人間が長い間かけて築き上げてきた文明や文化に対する考察や、誰かにとってクリティカルに役立つ様なものを、物質化(文字化)させることで、それを見た客観的な自分への貢献や将来の誰かへの貢献になれば良いかと考える。」

そしてそれは大衆的で無くてはならない。例えば私がここまで書いてきた文章は、誰にとってもわかりやすいものではない。しかしながら、誰かにとっては有用な情報概念であるはずである。例えば、片思いしている相手が実は自分の事も好きな時に、相手が「hegdhsggdev❤️!!」と言ってきたらどうだろうか?仮にそれが愛しているという概念を意味していたとしても、大衆的ではないので伝わらない。つまり、重要な事はいかに大衆的に大衆的なモノを書き、その中で人と関わり合い、大衆的なモノを発展させて行くか、という点にある。

私達は歴史を知っている。情報革命・知識革命により、私達は沢山の情報を得られる様になった。それらは、私達の生活に文化の延長線上だけに留まらず、意図的にその歴史をピンポイントで活かせる時代に生きている。

私たちが得た最も大きなモノの一つ。それは、未来に残る情報を意図させる事ができることである。

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