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武蔵野の(推し)富士塚

富士塚とは?

江戸時代に富士講が武蔵野の地に広まり、「富士塚」がつくられるようになりました。富士塚とはミニチュアの富士山。数m程度のものから10mを越すものまであり、富士山からはこばれてきた溶岩が積まれることもあります。

富士山まで旅することが叶わない、子どもや女性、お年寄りなどが、この富士塚に登ることで本物の富士山に登ったのと同じご利益が得られると言われました。

現在でも武蔵野には多くの富士塚が残っています。皆さんの住む地域にもまだ残っているかも知れません。ここでは、武蔵野の富士塚をいくつかご紹介いたします。
※上記写真は、荒幡富士(埼玉県所沢市)。

田子山富士 埼玉県志木市

高さは約8.7m、直径約30mの丸みのある方形をした富士塚。富士信仰の主要な石造物や胎内、つづら折りの登山道、合目石、塚表面の黒ぼく石(溶岩)など、富士塚の典型的な要素を備えており、当時の引又宿の経済力と近在の人々の富士山信仰への思い入れをうかがい知ることが出来ます。


扶桑教富士塚 東京都世田谷区

地元では「松原のお富士さん」として知られている富士塚。黒ぼく石(溶岩)で覆われ、「胎内」と呼ばれる穴もつくられています。昭和20年(1945年)5月の東京大空襲によりすべて焼失してしまいましたが、平成29年(2017年)7月9日に復興されています。


中里富士 東京都清瀬市

文政8年(1825年)に丸嘉講武州田無組中里講社の人たちによって築かれた富士塚。登山道がきれいなつづら折りになっています。今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されており、富士山をかたどって積み上げられた麦わらに火を付ける「お焚き上げ」もみることが出来ます。
文政8年(1825年)に丸嘉講武州田無組中里講社の人たちによって築かれた富士塚。登山道がきれいなつづら折りになっています。今日でも富士登山や火の花祭りなどの講行事が継続されており、富士山をかたどって積み上げられた麦わらに火を付ける「お焚き上げ」もみることが出来ます。


安松神社の富士塚 埼玉県所沢市

角川武蔵野ミュージアムから2kmほどの場所にある富士塚。歴史は古く、発掘を提案した人もいましたが、手付かずのまま保存されています。安松神社の境内は柳瀬川のハケの上にあるため、天気が良いときは富士山を望むことが出来ます。


浅間山 東京都府中市

前山、中山、堂山の3つからなる山で、標高は79m。堂山の頂上には浅間神社があり、この山全体が自然地形を活かした富士塚となっています。天気がよければ、山頂付近から本物の富士山を眺めることが出来ます。


中里富士(大泉富士) 東京都練馬区

八坂神社の隣に丸吉講によって築かれた、高さ12m、径30mの富士塚。丸吉講は天保2年(1831年)に開かれ、そこからわずか2年足らずで入間郡、多摩郡、豊島郡、新座郡の4郡に加入戸数4000軒の信者を集めるなど、人気の講でした。


久米川の富士塚 東京都東村山市

熊野神社境内の北東隅にある周囲の円墳状の富士塚。日立講中の人たちよって明治21年(1888年)に築かれました。戦前は7月に登山し、お山で請けた神札を講中に配るなどしていました。


以上、
ほかにもたくさんの富士塚がこの地に残っています。みなさんの近くにある富士塚はいかがでしょうか?

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