見出し画像

歴史と文化はその街に遺る。人の意志によって 「小坂鉱山」その後

秋田県小坂町。
かつて鉱山で大いに栄えたこの街には、日本最古の芝居小屋が残り、近代建築や鉄道、発電所などが東北でもいち早く取り入れられた。当時は30,000人の人口を擁し秋田県第2位の規模だったという。



鉱山がみつかったのは江戸末期。ある一人の住民による。それが東洋一の鉱山町まで発展していくにはそう時間はかからなかった。金銀が大量にみつかり明治期には銅や亜鉛も採掘された。お抱え外国人も多数この小さな街に来て、当時の最新の発掘技術をここに残していった。立派な教会が今も残っているのは、彼らの文化や信仰までも移植されたからだ。



しかし、日本のあらゆる鉱山町がそうであるように、鉱脈が尽き採掘物に経済価値がなくなると、その街もまた形を変えざるを得ない。
現在、小坂鉱山は「都市型鉱山」として、電化製品からレアメタルを精製するリサイクル施設として稼働している。とは言え、人口は1/10に減少してしまった。 


それでも、芝居小屋『康楽館』は一座が常駐しシーズン中は大衆演劇を毎日披露している。鉱山事務所として使用されていた建築物は観光施設に、鉱物運搬の為に敷かれた鉄道はミュージアムとして運用されている。 


この近くでは、大湯の環状列石に似た遺跡も発掘されている。ここは十和田湖にも近い山奥の盆地、昔から人は住んでいたのだろう。虫送りもあったみたいだ(人形道祖神の変形みたいなもの)。太古より人の営みが続いていた地だ。


僕がこの地に住んだのは4年間だけだけれど、沢山の思い出がある。友人たちと山車をひいた七夕祭は、かつての移住者たちが故郷の祭りを懐かしみこの地で興したものだ。


廃線になった線路を歩く。今より10倍の住民がいて、当時では珍しい電気が煌々と光り輝いていた夜景をイメージしてみる。
芝居小屋は鉱山労働者の癒しの場であった。街は最新文明文化に溢れ、住民はきっと誇らしかったはずだ。
街の中にその面影が遺るのは、単にノスタルジーだけではないように思う。文明は影を潜めても、歴史と文化はその街に遺る。人の意志によって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?