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パキスタン紀行② カラコルムハイウェイから、桃源郷・フンザへ

前回はこちら

パキスタンの大動脈、カラコルムハイウェイでギルギットからフンザまで移動する。
日本車はかなり多く、ここではタクシーの事を『SUZUKI』と言うらしい(それがスズキ製でなくても)。インドのリクシャー(人力車)みたいなものか。

左に見切れているが「SUZUKI」の文字が。
スズキの車ではないが、タクシーの代名詞になっている。
道中の春の風景。アプリコットやサクラが多く咲き始めていた。

見渡す限りの岩山と、その岩山を材料にして作った家屋や石垣。アプリコットのピンク色の花が咲いている。


パキスタン名物のデコトラがみえてくる。本体は安定のHINO謹製。絵柄は全て手書き。タイでも日本でもあるこの様な装飾は、イスラムの国であっても人気なのだなー。

こちらはHINO製。前に座ることが出来て、走行中そこに人が乗っていることも。
手書きの装飾。トラック専門の絵師がいるのだろう。

休憩中に見かけた子猫。
かわいいけど野性味ある顔立ち。

野性味あふれる猫ちゃん。


インド亜大陸とアジア大陸のぶつかる地点。
今もインド・オーストラリアプレートは67 mm/年で北上していて、約5 mm/年ヒマラヤ山脈を高くしている。
地理の時間で聞いたプレートテクトニクス理論を実際に目の前にするとは。グッとくる。

真ん中に岩が衝突している痕跡が。
インド亜大陸とアジア大陸は今も衝突し続けている。


ナガール村。子連れのヤク。夢にまで見たヤク。ゆっくりと、優しく力強い佇まい。

子育て中のヤク。寒さと高所にすこぶる強い。


フンザ、カリーマーバード。
フンザは中国、アフガニスタンとの国境と接する地域。かつてはフンザ藩王国が治めていたが、イギリスの侵略やパキスタン独立という時代を経て1974年に解体された。
しかし、どうしてこんな辺境の土地までイギリスは来たのか。毛織物などはああるが(お隣はカシミアで有名なカシミール地方があります)、一番の目的は、当時、南方に勢力伸ばしていた帝政ロシアを抑える為だったという。国境の町でもある。

丘の上にあるのがフンザ藩王国のお城。


基本はウルドゥー語だが、村人同士ではワヒー語という文字の無い言語を使う。
高く隆起した山々が長い年月をかけて生み出した谷と河。そして、その地形に沿って家を建て畑を耕す人々。
しかし、こんな風景が現実にあるなんて。

夜明け前のフンザの谷。風の谷のナウシカのモチーフの一つとも言われている。

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