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温泉はいつからあるのか? 別府温泉とお薬師さまについてのメモ

仕事の関係で、別府の「お薬師さま」について少しリサーチしたのでメモ。わかったことも、わかっていないことも書いておく。


温泉とお薬師さまの関係

別府の共同温泉にはほぼ必ずお薬師さまの像が祀られている。温泉の治癒効果とお薬師さまへの信仰とが重ねられており、入浴する時はお薬師さまに手を合わせる。もちろんこの組み合わせは日本全国にあるのだけど。

いつから共同温泉とお薬師さまはセットになったのか。
別府は人間が今のように利用するはるか前から、窪地に温泉は自然に溜まっていて、湯気も出ているものだから、古代から住民はもとより他のクニにも知られていた。豊後風土記(8世紀前半)には既に記述あり、平安時代には既に柴石温泉で湯治が行われていたとか。

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開湯伝説あれこれ

鉄輪温泉開湯伝説の一つは、踊り念仏の一遍上人(13世紀後半)が、仏教を温泉活用と共にこの地で布教したとするもの。当時、信者に多くいたというハンセン病の痛みを和らげるため、湯治が用いられた、といわれたりするが、史実かはわからない(近くまでは来てたみたいだけど)。高名な僧の名前を借りた、という可能性あり、これは色んなとこでみるパターン。永石温泉は弘法大師が湧かせた(石投げたら出た)と言うし、浜脇温泉(吐呂の湯)には東征時の神武天皇が入ったとか(神武天皇由来の伝説は西日本にはそれこそ無数にある)。

日本書記にも記述ある豊国法師(6世紀ごろ)が、別府の温泉の効能に感謝し薬師如来像を置いた、と言うのもあるが、どうなんだろう。この薬師如来像は平安前期(9,10世紀)の形式だし、多分これを根拠に浜脇薬師祭りは1400年の歴史と言っているのだろうけど、うーむ。六郷満山文化(1300年前)より昔なのかしら。


仏教と温泉

仏教の経典には、仏法の他、土木技術に関する記述も多くあり、当時、温泉を災害・公害として見なしていた別府の農民にとって(地面掘ったら温泉湧いちゃうので作物も育たないし、飲み水確保も一苦労だ。その上、鶴見岳の噴火などで沼地や荒地が多かった)、 仏教者が持つ治水灌漑の知識は、別府に住む人々の暮らしを現実的に救ったのだと思うし、鎌倉期の仏教には温泉の医学的な活用も広く知られている。湯浴みの法典「仏説温室洗浴衆僧経」は8世紀には日本に伝わっており、12世紀には広汎に施浴の思想は広がっている。

別府温泉と浜脇温泉は鎌倉中期に大友頼泰(13世紀後半)が温泉奉行を別府に置いている。神話ではない公文書的なものではこれが初出といっていいのではないか。

また、温泉活用は山伏との関係も深く、六郷満山文化が花開いた8世紀、そのまま別府に下り温泉を活用していたのも想像に難くない。別府の前身・鶴見村は天台宗延暦寺が領家。温泉活用にあかるいのは密教系か、大乗仏教系か。別府の仏教伝来は、宇佐八幡からか、それとも京都からか。


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仏教以前は?

仏教以前、つまりアニミズムや神道はというと、大国主命や少彦名命といった医療にも通じる神さまの開湯伝説があり、道後温泉は別府から海底トンネルつくって温泉通したという。てことは、道後温泉前には既に別府温泉は知られていたということか。

それ以前はというと、ヒンメリやドルマン的な巨石信仰跡があり、今も山中や麓にその名残がある。それは、御許山の巨石信仰にも繋がる原始的な信仰なのだろうが、温泉との関わりはまだわからない。

火男火売(ほのおほのめ)神社は8世紀後半に建立と記載あり。別府温泉の源である鶴見岳の2つの山頂を火之加具土命、火焼速女命の男女二柱の神として祀り、温泉を恵む神としても信仰されている。


立っているお薬師さま

とまれ、今回調べたかったのは、共同温泉にあるお薬師に「立像」があるか、というもの。思い起こしても、共同温泉で、立ってるお薬師さまを見かけたことはない。
別府の郷土史家や、共同温泉めぐりをしているベテランの方々に尋ねてみたのだけど、やはりお薬師さまの立像は見たことがないとのこと。

その後もいくつか探してみたが結局見つけることはできなかった(共同温泉でなく、お寺の中にあるご本尊には立像あったけれど)。 何とか手がかりないかと、お薬師さまを本尊にする「長泉寺」へ直接伺い、ご住職にお話聞いてみたところ、以外なお返事が。

長泉寺薬師湯にある有名な木製のお像は、なんとお薬師さまではなく、阿弥陀さまなんだとか。どうして阿弥陀さまなのか聞くと「先代が何となく置いたのをそのままにしてる」のだとか。ゆ、ゆるい。

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お薬師さま以外にもたくさんいらっしゃる

さらに、別府の共同温泉のお像にも阿弥陀さまはかなりあるらしく、どちらか判別できないものも多いのだとか。
そういえば、お薬師さまの三昧耶形である薬壷を持ってないのがあるなと思っていた。薬壷を最初から持っていないのか、持っていたけど経年で崩れ紛失してしまったのかもわからない。 「共同温泉のお像は、民間信仰に近いものなので、定義の厳密さはあまり求められないんじゃないですかね」と苦笑いのご住職。たしかにそうかもしれないな。その後いくつか共同温泉を巡ったところ、弘法さまの像も沢山いらっしゃった(手に五鈷杵(ごこしょ)を持ってるのでわかる)。

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そう、今回の目的である立像についてだけれども、お薬師さまの像は、古いものほど坐像が多く(平安前期から)、立像は比較的新しい(江戸期)そうだ。そして阿弥陀さまよりお薬師さまの像の方が歴史としては古いのだとか。

としたら、共同温泉のお薬師さまは江戸期以前の古い形式を残しているということか。そういえば、いつもみてる温泉脇のお薬師さま像の来歴って全然知らない。

共同温泉のお像について詳しく書かれてる資料も図書館で色々漁ってみたもののまだ見つけられてない。もう少し調べた方が良いかも知れない。

つづく。

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