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ここは開拓民の土地だ 羽村『五ノ神まいまいず井戸』

『五ノ神まいまいず井戸』。
自転車で少し行ったところにある、不思議なかたちの井戸。かつて武蔵野台地(特に崖線の上の方)でよくみられたタイプだという。

武蔵野台地は、山からの砂礫と火山灰がどっしり被ってできていて、その層は水を溜めておくことができない。だからその下の水脈に辿り着くまで深く掘らなければならず、その上、砂礫と火山灰は深く掘るとすぐ崩れるときた。その為、スリバチ状に土を取り除いた底に井戸を造らざるを得なかった。

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この井戸については、平安時代の和歌でも武蔵野の枕詞として詠まれている。本格的に入殖が進んだのは江戸時代からだけど、この井戸の形態は平安時代からあるということか。

とにかく昔からここいらは水を確保に苦労していたようで、羽村と同じく江戸期に新田開拓がなされた所沢では、「所沢の火事は水で消さずに土で消す」「嫁を出しても所沢にはやるな」など言われていたそうな。宮古島の洞窟井戸『ガー』を連想したけど、地層も成り立ちも全然違う。けど、大変なのは一緒。

こんな水の少ない痩せた土地だから、最初はさつまいもが主流だったし、米も陸稲(名物の焼だんごはがっしりした噛みごたえ)、小麦も広範囲でつくられてた(それが『武蔵野うどん』に繋がるのね)。
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今では考えられないけど、昔は住みづらい土地だった武蔵野。それを人間は知恵を絞ってなんとかしていったのだ。そう、ここは開拓民の土地だ。

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