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文豪と旅

僕の中で、文豪といえば「旅館」みたいなイメージがある。

それぞれの作家たちが好んでいた旅館、部屋があり、その場所でいくつもの物語が産声をあげた。

口にせずとも、そんな文豪たちの生活に昔から憧れがあった。

いつもと違う土地に足を運び、創作活動にふける。


ただ、それだけなんだが、僕は「場」の力を借りることで、
ぶつかっていた壁を容易に乗り越えられたり、
それまでにはない、すごいアイデアがふと湧いたりする。

僕にとって、旅は欠かせないもの。

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ありがたいことに、技術の進歩のおかげで
MacBook Pro、iPhone、そしてカメラさえあれば、どこでも仕事できてしまう。

今、この文章も金沢の近江町市場の目の前にあるスタバで書いている。

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外は梅雨明け特有の青空が広がり、
空気を吸うのも憚れるほどの暑さだ。

道の向こう側の景色が歪んで見える陽炎に
本当にここは北陸だろうか、と疑いたくなる。

ああ、話を戻そう。


昔は、パソコンなぞなかったから、文豪たちは、ペンと原稿用紙を持ち込んで、
頭の中でほとばしるアイデアを、貪るようにペンを動かしたのだろう。

時間という概念を横に置いて、頭の中にあるものを1点集中で目の前に向き合う。

そういう彼らの本気の、狂気じみた情動を羨ましく思い、いつか自分も、と思っていた。

残念ながら、今の僕には小説は書けないし、そういう才能もない。

けれど、その代わりに、自分が作っているものを楽しみにしてくれるお客さんたちがいて、
彼らが挑戦していく、その一部を担えるのは嬉しい。

目の前にある仕事は、お客さんと共に作り上げていく仕事。

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お客さんたちが挑戦しようとしている仕事はどれも素晴らしく、今の日本にとって必要なものばかり。

だから、僕はこの限られた命の時間をそこに使う。


その中で、「生む苦しみ」と「生む喜び」の表裏一体の仕事にただただ向き合う。

格好つけて、綺麗事はいえない。

葛藤。どんなに挑戦しても、この言葉が、僕のもとから去っていくことはない。

いや、新しいことに挑み続ける限り、
この言葉の方が寄ってくるのかもしれない。

友人の経営者も言っていた。
不安や葛藤を消すことはできない。
我々は、不安や葛藤を小脇に抱えながら、前に進み続けるしかない、と。

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小説家、室生犀星が愛した川、犀川の川岸を借りた自転車で駆け抜けながら。

夜のひがし茶屋街で、珠玉の鮨を口に運びながら。

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現地の人に勧められた、インスタ映えしそうな特大のパフェ屋を横目に見ながら。
(食べてみたかったけど、1時間待ちだと言われ断念。。)

僕はこの時期にここに来ることとなった機会に感謝しながら、
今日、この街を出ようと思う。

さあ、動き出せ


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