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『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』ものとは何か

ありあまる時間を使って映画を観ました(絶賛ニート中)。

映画は娯楽だけれども、クリエイティブな部分でも勉強になる。
だから比較的、罪悪感なく楽しい時間が過ごせて良い。

私は映画が好きだと思う。
でもこの監督がどーのこーのとかのウンチクはさっぱり。
ほんとは、「1980年代の映画はさ〜」だとか言いたいけれど。

なので、別に映画の構成や演出などは詳しく書きません。新しい作品でもないし。
ただ、タイトルに惹かれてこの映画を観た人が多いと思うので、そのあたりに関して私なりの解釈を書いておきます(時間がありあまっているから)。

※もちろんネタバレなので注意


一緒に映画を観る人がいないので、観終わると他の人の感想や考察を読むタイプの私。
ものすごくうるさくて、ありえないほど近いものは結局何だったのだろうか。これだ! という答えはすぐに出てこず、自分の中で熟考しないまま、いろいろな人のコメントを読んでいく(他力本願)。

一番目についたのは、「家族」だった。
中でも「母親」という存在のことだと書いている人が多かったな。
なるほどね、うるさいもんね、近いもんね、そういうことだよね、うんうん。と納得しかけたけれど、なんか引っかかる……もっともっとー! と思ってさらにサイトをはしごすることにした(まだまだ他力本願)。

そして、これは納得と思ったのが、「意味が母親だったとしたら、調査探検ノートのタイトルにするのはおかしい」という旨のものだった。
たしかにおかしい。あのノートには、これまで会ってきた人たちのことが書かれている。家族のこと、ましてや母親のことを書いたものではない(父親らしき絵はピクトグラムで描かれているけど)。

これは家族や母親のことではないっぽいぞ……
ここでようやく自分の思考が動き始める。遅すぎる起動。

でも、主人公の子が耳を塞ぐ描写があるのはパパとママが話しかけていたときだけなので、家族も含まれているのではなかろうか。
なので私なりの答えは、ものすごくうるさくてありえないほど近いものとは、「人とのつながり」や「自分を取り巻く世界」で落ち着いた。
これならノートのタイトルになっても意味は通る。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い。だけど生きているかぎり避けられないもの。

そして、家族はその中でもとびきりうるさくて近いから、耳を塞がずにはいられなかったのかもしれない。
びっくり! 感動! するような答えでもないけど、考え甲斐があったな。


仕事に追われて楽しむことすら雑になっていたけど、物事をしみじみと、ゆっくりと丁寧に味わう感覚を取り戻していきたい。

余談ですが、一緒に映画を観て、楽しく感想を言い合えるようなカップルに憧れています。永遠に。

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