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「写心で自分を見届ける」喜びや幸せを取りこぼさない生き方

去年のちょうど今頃、
もうすぐ成人式を迎える娘たちとの写真を
人柄写心家TSUGUさんに撮っていただきました。


つぐさんとのお付き合いはもう5年。
これまで、つぐさんには私個人の「写心」を撮っていただいてきたけれど。

その話についてはこちらをどうぞ 

専業主婦の時間が長くて(10年以上!)
お母さんという役割を優先した時間が本当に長かった私だからこそ
 
母でも妻でもない「わたし」を
もっと優先してあげたい
 
「役割から生きる」のではなく
「わたしとして」生きたい

だからこそ
 
他の誰でもない、
役割からも解放された
一人の姿を撮ってもらいながら
 
「家庭」から離れた自分、その時間を
意識的に選びつくりながら

どう生きていきたいのかを
写心を撮ってもらうごとに
見つめ直しては進んできました。


2018年から2022年まで。


写心と共に
 
「お母さんだから」ではなくて
「わたしだから」で選ぶ時間を過ごした5年間。
  
「お母さんだから」
「ちゃんとしなきゃ」って

諦めてきたこと、
我慢してきたこと、
選択肢にさえ入れてこなかったこと。
 
一人で旅行することや
友達とも旅行すること。
 
金額で妥協しないで
本当に欲しいものを
ただ自分の喜びのためだけに
買い与えてあげること。
  
やってみたかったこと
できることで
お仕事すること。
 
 
決して、
いつもいつも順風満帆な道のりではなかったけど
いろんな出会いとチャンスに恵まれて
本当にたくさんの体験をさせていただきました。
  

初めての一人沖縄旅も。


 
子育て&主婦時代に
いや、もしかしたら、人生において、
ずっと我慢してきたことを
たくさん、経験させてあげたな!と思える、5年間。
 


気づけば沖縄は、毎年行く場所になりました。


 
その先で思ったのは

 
それでもやっぱりわたしには
 
大事な娘たちと過ごす
「母親としてのわたし」
「家族の時間」も

かけがえのない時間であり 
大切な役割で
 
自分を犠牲にしたとさえ思っていた
それこそが
 
わたしが人生で望んだものでもあったんだ、
ということ。


お母さんだから、我慢しなきゃ、って
やってきた自分を
もっと労わってあげたいって思ってきたけど
 
 
あぁ、わたしは
お母さんが、家庭の暮らしこそが
「したいこと」だったんだよね、
子どもとの間で
たくさんの喜びや幸せを体験したかったんだ、って
 
 
改めて
深い肚落ちとともに気づいた、
と言えばいいでしょうか。

 
一周回って、元に戻ってきたような
 
でもそれは
 
まったく同じところに帰ってきたのではなくて
 
螺旋階段を、上がった場所のような。
 
そんな感覚が
ふと生まれたのが、昨年でもありました。
 
  
ずっと、
役割を果たすこと
誰かに認められたり
期待に応えることに
自分を使ってきたわたしが
 
たくさんの
好きなこと
やってみたかったこと
時にわがままをさせてもらった先で
 
「わたしだけの欲望のコップ」が
かなり、満たされたから
そう思えるようになったのかも、しれません。

 
いろんな時間を経て

お母さんも
日々の暮らしも
わたしも
どれも切り離せない
大切なわたしなんだよね
 
  

そう、心から思えた時に
 
 
今まで「わたし一人」を託して
撮ってくれたつぐさんにこそ
  
そこに、
この5年で重ねてきた
安心と信頼があったからこそ、
 
大切な娘たちとの姿を
写して欲しいな、と、思ったんですよね。
 
 
約20年。
お母さんとして生きたわたしの時間は
きっと何よりも比重が大きいものなのに
 
そうして生きてきた
「母親の顔をしてるいつものわたし」が
映された写真はほとんどないから。
 
 
きっと、
つぐさんに撮ってもらう写心は
 
わたしにとって
「大切な生きた証」であり
何よりの宝物になるのだろうな、と

そんな思いから迎えた2022年6月26日は
 
今思い返しても
本当に、楽しくて幸せな日だったなと、
心がほっこりほかほかする、
素敵な1日になりました。


いつもの通り、撮影は「笑って」とかないし、
ポージングもなし。

だから、
親子で好きにおしゃべりしながら、
つぐさんともおしゃべりしながら、

久々の親子時間を楽しんで、
その様子を、つぐさんが撮ってくれて。

自然体、そのものの時間。


待ち合わせのカフェで少し涼んでから、由比ヶ浜へ。
つぐさんのこと、親戚のにーちゃんと思ってるかのような、なじみ具合。
親子で並ぶ後ろ姿。こういうショットって、実はとっても貴重!
いつもの,私一人の撮影なら、ワンピースやスカートだけど
この日の撮影は、「いつものわたし」まんまで向かったし、それが、よかった。
実は思い切り身を乗り出して撮ってくれてるつぐさん。
この写真が
こうなる。笑


こういうショット、欲しかった一枚。
娘の手を引いていたわたしは、いつの間にか娘に手を引いてもらうこともある関係になりました。
変顔も厭わない雰囲気が、よかった。^^
ティーンエージャーは何してても楽しそう。自由。笑
自分では決して撮れない、日常的な表情の写心。
我が家の母娘の関係性がよく出てるなぁ、と思った一枚。
何気ない瞬間の親子を映してくれた、大好きな一枚。
こういうショットは、絶対に自分では撮れないけれど、すごく欲しい一枚!だったり、する。

お母さんは
我が子と
誰よりも一番接しているのに

我が子と映る
自然な写真が
一番少ないんじゃないかな。

わたしは、そうでした。


こうして
娘と一緒にいる時の
きっと
日々の中で一番ナチュラルな表情を
のこしてもらえたことが

とっても、とっても! とっても!!
嬉しかったし

子どもを産んだ時に

記念写真としてではなく、
こんな風に飾らず、盛らず
自然な関わりの中の姿を
撮影してもらうことを

カメラマンさんにお願いしていいんだ、
ということを知っていたら。

誕生日や 
七五三や
入学卒業という

記念日としての
決め込んだ撮影ではなくて

日々の何気ない時間を
「大切な人といつもを生きるわたし」を
折に触れて
何度も、何度も、
撮ってもらっただろうなぁって、思う。

そしてそれは

何にも代え難い、
大切な宝物になるだろうなぁ、って。


成人式間近になった今ではもう
一緒に過ごす日ですら、貴重な我が家だからこそ
なおさらそう思ってしまう。


あの日はあの日しかなくて
過ぎたらもう、戻れないし
見ることができないから。
 




女性は役割が多い

「お母さん」という役割がもたらす
日々こなすことの量は
本当に膨大だし

「お母さん」を果たすことで
「わたし」が置き去りになってしまったら

それは残念なことだけど

わたしも、
過去にはそういう時期もあって
そんな時は
幸せなはずの日々が
なんだかとても窮屈で
時には苦しかったけれど。
 

でも
  
  
様々な「こうあるべき」から
自分を解き放って
 

お母さん、という役割でさえも
「わたしとして」
軽やかに
のびのびと
自由に楽しめたら

その人生は、

喜び楽しさが
ますますと溢れるものになる。^^

 
じぶんの、真ん中から湧き出すそれは、
きっと、枯れることは、ない。

「わたし」は切り離せない

どの側面もわたしだから

ということが
 
今なら、すごくすごく、わかる。


 
すべてをわたしとして楽しむ
「わたし」から生まれる
自由で彩り豊かな人生

 
 _________________
それを助けてくれる力が
写真にはあるんじゃないかって
今、この写心たちを見返していて、思うのです。

お母さんという役割が
自分を狭めているようで
切り離してしまいたいわたしがいた時期も、
あったけど。
 

身近な存在といる時、「お母さんのわたし」がこんなにも楽しそうな顔や優しげな顔をするんだ、ということを、子育てが窮屈だったあの時のわたしが知っていたら

「お母さん」という役割に対する思いは
もしかしたら、
もっともっと、違っていたのかもしれない。


お母さんのわたしと共にいる娘たちの表情が
こんなにも楽しそうで可愛いんだって知れていたなら。

もっともっと、
優しさや愛おしさとともに笑顔で関われる時間も
増えていたのかも知れない。


子育てや家事の連続が
終わりがなくて遠い目をしてしまう時に
こんな写真たちが目の前にあったら。

報われなさに侵食されそうになった心には
きっと
愛おしさや、
今しかないこの時を
味わい尽くしたい気持ちが、
滲み出しただろうし
 
そんな風に
今しかない今を生きてる自分と我が子を
きっと、抱きしめたくなっただろう

そんなことさえ、感じてしまう。

どんな時の自分も
自分では見れないし、
 
自然な表情なんて自分では映せないからこそ。


自分では気づけない、
わたしという存在の
様々な側面を
写心を通して見つめながら
生きることで

私たちの人生は

自分がその時思っているよりも

実はうんと幸せで
たくさんの喜びがそこにあるのだということを
 
見失うことなく
抱きしめながら
生きていけるんじゃないかな。


この5年、

「ただ、わたし」を取り戻したくて
一人のわたしを撮ってもらう度に
写心に映ったじぶん、を見つめては

ひとつひとつ
「自分が思い込んでいる部分だけではないわたし」を
確かめてきたけれど
 
それは
 
お母さんとしての自分に対しても
言えることなんだ、って

この撮影を体験して、感じることができたから


記念写真としてではなく
日常を生きるわたしの証を映す写真として
自分では見れない姿を
カメラマンさんに撮ってもらいながら
 
 
「わたしがわたしを見届けてあげる生き方」をしてみると
いいのかも知れない

 
そう、思う。

そうしたらきっと
幸せの取りこぼしは
うんとうんと、減るはず。

自分では見れない自分のその姿に、なんとも言えない愛おしさを感じることができるのは、写心の素敵な力。

つぐさん、改めて

ほんとにほんとにありがとうございました^^


つぐさんの100人撮影は

撮ってもらう人の数だけの

撮ってもらう理由とストーリーがあるし

それは

それぞれで、きっといい


「つぐさんに、撮ってもらいたい」

その気持ち一つあれば
きっとそれが
一番の理由だと思うな。^^


撮ってもらいたい、その気持ちを、写心に。

 
つぐさんの100人撮影については
こちらからどうぞ。


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