見出し画像

いい人。〜ひかりの四柱推命 今利由季さん〜

世界に一つ、あなたについてのエッセイをお届けするshutter。
ご依頼者様と対談、感じたことを綴らせていただく企画です。

今回ご紹介するのは、もう出会って3年の月日が経ち、私の友人の一人でもある、今利由季さんをご紹介します。

現在の由季さんのプロフィール写真。


今回の対談にあたり、「ひかりの四柱推命鑑定師」としてか、私からみた由季ちゃん、どちらで書く?と聞いたら

「四柱推命じゃなくて、私かな。」そう言ってくれたので、友人としての由季ちゃんについての私の言葉を、今日は綴らせていただきます。

この記事を書くにあたり、過去のSNSを遡って写真を集めていたら、出会ってからの3年の間に、私たちはちょくちょく会っていて、お互いの変化と心のうちを見つめあってきた、大切な人の一人なのだなぁと、改めて感じた次第です。

SNS上で知っていた由季ちゃんと初めて対面したのは、ボディメイクのグループレッスン。

お隣同士でペアになり、ヒップアップのためのエクササイズを一緒にして。

その後、それぞれに撮影をしてもらっていた、人柄写心家の丸山嘉嗣さんの2020年新年会の席で、同じテーブルで隣同士になったのが距離が縮まったきっかけ。

そう、なぜか、お隣同士になったんですよね、2回とも。

由季ちゃんは2列目右から4番目。私は前列左から2番目。

以来のお付き合いです。


由季ちゃんがどんな人か、ということを、まずは。

独身時代には、ピースボートに乗って世界を一周した経験の持ち主。
カンボジアにも旅行に行って、彼の地で自転車に乗って田舎道を友達と走った、その時の爽快感や楽しさを教えてくれました。
海外に出た先で、現金が足りなくなって、空港のカウンター前で「帰れない・・・」と顔面蒼白になったことも。
そんな時も、周りの人がいつも助けの手を差し伸べてくれて、苦難も超えてきているし、(この時はたまたま居合わせた他のツアーの団体さんが、一人100円ずつ、由季ちゃんにくれて無事帰国できたそう!)

自分として行きたい道を選びながらも、「誰かの力の中で生きてきたこと」を忘れずにいるのが由季ちゃんだなぁと、私はいつも感じています。

人生を、楽しみ面白がることを大切にしていて、なんと、イグアナを飼っていたことも。ペットショップで目が合ってしまって、もう逃れられなかったそうで、一時期をともに過ごした相棒。
これは、大阪で一人暮らしをしていた当時のこと。
東京の実家へ夜行バスで帰るときには、カゴにイグアナを入れて同伴帰省したら、なんとバスの中でイグアナが脱走。(由季ちゃんが寝ている間に脱走し、起きたら隣の人の膝の上に鎮座していたという。)

そんな出来事もとても楽しそうに嬉しそうに教えてくれたのが、前回のshutterでのお話でした。

まだこの時は髪も黒かった由季ちゃん。


結婚後は、二人の男の子を授かり、子育てをしながら産後ドゥーラというお仕事をされていた由季ちゃん。

ごはん作りが大好きで、産後のお母さんを対象に、ごはん作りはじめ家事のサポートをする産後ドゥーラのお仕事をしていた時に、訪問先の手相定師のご自宅に四柱推命の講師の方から送られたお花があった、というのが、四柱推命との出会い。

それまでも気になっていた四柱推命。
この出会いの帰りに、自分の星を本格的に調べてみようと思ったそうで、車を運転しながら本格的にスマホで調べているところを、白バイに捕まったという歴史をお持ちです。笑

そこから、四柱推命の沼にハマってしまい、自らも鑑定師へ。
産後ドゥーラとしてお勤めもされながら、愛され四柱推命鑑定師としての活動もスタート。
私が出会ったのは、鑑定師として活動されて、しばらく経った時。

2020年年明け。二人とも今と全然違う!

四柱推命だけではなく、宇宙からのメッセージも伝える、「アカシックリーディング」なるものも取得、一人一人に必要な言葉を伝えるメッセンジャーのような人でもあります。

さまざまな人の鑑定を通して、次第に「一人の四柱推命鑑定師」として生きて行く方へと人生の舵が切られ、愛され四柱推命鑑定師から独立、ヘアスタイルも金髪になって「ひかりの四柱推命」と独自のブランドを立ち上げ、新たなるスタートを切ったのが2021年。
現在は、個人鑑定だけではなく、オンラインサロンもオープン。

毎月の運勢を伝えたり、今日がどんな日かを教えてくれたり。さらには鑑定師養成もスタート。お弟子さんが生まれています。

2022年年明けには、SNS上のネームを本名から鑑定師名「壬萃(じんすい)」に変更。

鑑定師の使命とミッションを引き受け生きて行くことの覚悟と共に、新たなるスタートを切られた、それが今利由季ちゃんです。

初めましての対面以来、私たちはベッタリではないけれど、おりに触れて会う機会を持っていて。

私が由季ちゃんの鑑定を受けたり
由季ちゃんが私のサービスを受けてくれたり

由季ちゃんが私の家のごはん会に来てくれたり
私が由季ちゃんのおうちのごはんをいただきに出かけたり。

初めてのよもぎ蒸しを体験した日。

時には、大衆焼き鳥屋さんで飲んでしゃべったり。私は飲めないけれど、ゆきちゃんの飲みっぷりは、なかなか、かっこいい。

そうして私たちはいつも、穏やかに楽しく柔らかく
その時々のこと、感じてることを話すのだけれど

今ふと思い返してみると
私と由季ちゃんのその時間には

いつもひだまりがあるなぁと

私たちが会う時は大概晴れで、ポカポカとした陽の光が差し込んでいる、そんな記憶がほとんどで

二人で過ごす時間、そこにも、ひだまりのようなあたたかさがあったことが、知らない間に刻まれていたのだということに気づいている今です。

それは、どうしてか。

いうまでもなく、それは、由季ちゃんの、お人柄のあたたかさ。

そう、私からみた彼女は、あたたかなひだまりみたいなひと。


でも、不思議なことに、そんな彼女が自分のことをぽろりとこぼす時の言葉は、最後に

「結局、いい人なんだよなぁ。」

なのです。

決して、否定して言っているわけではないのだろうけれど、どこかちょっと、ほんの少し残念そう、噛み締めるように、微かな、本当に微かなため息の吐息とともに 、しみじみ、言う。

「結局、いい人なんだよなぁ。」と。

多分この言葉は、私が由季ちゃんと会うときに、幾度となく聞いている言葉。
ぽつりと。

いい人、かぁ。

由季ちゃんのその言葉を聞くたびに、私は思う。
いい人、って、どう言ういい人なのかなぁ、と。

いい人。

これはおそらく
隠れた前置きの単語によって、意味はいくらでも変わってしまう言葉じゃないかと思う。

器量のいい人。
タイミングがいい人。
金運がいい人。(由季ちゃんは金運爆上げセッションもしています)
どうでもいい人。
都合がいい人。
気がいい人。
要領がいい人。
愛想がいい人。
センスがいい人。
感じがいい人。
面倒見がいい人。
人当たりがいい人。

いい人、も色々である。
いい人って、いい人なんだかよくない人なんだか。
由季ちゃんは自分をどんな「いい人」だと思っていたんだろう。

今回のshutterにあたっての対談、その後の撮影と、私と彼女はたくさんの話をしたけれど。

温泉に入った後のお蕎麦屋さんで対談した時の一枚。

感じたままに書くことを許されているこのshutterだからこそ。
彼女がいつもぽつりと呟く、この「いい人」と言うことについて、分析検証をしてみたいと、思います。
あくまでも、私が見て、感じてきた、ゆきちゃんという人の、側面のお話。

塩梅がいい人。

「いい人・由季ちゃん」でまず私が思うのは、これである。
塩梅がいい人。

産後ドゥーラとして、さまざまなご家庭に行って、そこにあるものでご飯を作ってきた彼女は、日々のごはんと食べることを大事にしているし、ゆきちゃんが作ったごはんを美味しそうに食べてくれることが、一つの喜びの人。

私とゆきちゃんも、お互いの家のキッチンに立って、一緒にお料理したり、みんなでご飯をいただいたりしているけれども、兎にも角にも、塩梅のいい人である。

2021年1月の時の二人。我が家にて。

私の料理は、この性格の通り、かなり「詰めが甘い」方だと思う。元々薄味の家で育ったからか、塩味で引き締める、という妙技は持ち合わせておらず、よく言えば「優しい味」ではあるけれど、言い方を変えれば「締まりのない味」になりやすい。

でも、由季ちゃんのごはんは、ちゃんと味に締まりがある。塩加減がとてもいい。いつだったか、私の家で一緒に料理をした時には、ゆきちゃんが私の和物の味の最後の調節をしてくれて、キリッとしまった塩味で大人のおつまみのような和物にしてくれたことが、忘れられない。

その時に、私にも教えてくれたものです。「塩加減が大事よね。」と。

むぅ、さすがである。

さささっと、簡単そうに、手際良くサクサクとお料理を作るその姿は、味付けの塩梅の「いい人」だけにおさまらず、「手際もいい人」だし、お台所に立つ、立ち回りもその手慣れた手つきも美しい「姿勢のいい人」でもあるし、

ごはん作りの雰囲気、味付け、仕草。そのさまざまの塩梅が、とってもいい人 であります。

そしてそこから、溢れてる。

ごはんを、作ることといただくことをこよなく愛している、っていうこと、
「私が作ったごはんを食べてくれる人が、愛おしい」ということが。

食べ物には作った人の心が醸されるものです。

そうしていただく由季ちゃんのごはんは、やっぱり、美味しくてほっとする。
思わず溢れてしまう「あぁ、美味しい。」の一言。

間合いのいい人。

個人的には、彼女のこの魅力が、鑑定の時にもよく作用しているのだろうなぁと、思ったりしている、間合いの良さ。

ゆきちゃんと話したことがある人なら、もしかしたらわかるかもしれません。

彼女は、自分以外の人が話した言葉、投げかけた言葉に対して、息つく間も無く自分の言葉を投げ返す人ではありません。

必ずと言っていいほど、一呼吸、ほんの少しひっそりと飲み込んでから、返事をくれる。

まるで相手の言葉を受け取り、その意味を汲んで咀嚼し、相手を傷つけたりすることなく、自分の気持ちや意見を伝えるための言葉の選別の時間があるように。

「そうなんだね。」と。

相手のための言葉選びができる人だなぁと

これまで受けた鑑定然り、いろんな対話の時間を思い返しても、思う。

そうなんだね、あなたの思いは、それなんだね。
うん。なるほどね。

そんな間合いののちに
ゆきちゃんの言葉を返す。

私からみている彼女は
相手のための言葉を選べる人で
相手を、心地よく送り出すことができる人。
きてくれてありがとう、またね〜〜、と。

そんな、優しい間合いがあるから、由季ちゃんの前では急かされることがないし、ゆっくりとして、なんなら私は、寝てしまう。笑
間合いがいい人。

ご自身との関係が「いい」人。


じっくり、丁寧に、ご自身を見つめている人だな

それが私がこの数年見つめてきた由季ちゃんの印象。

こんなことがあって、私はこんな風に思ったんだよね。だから、こうしようと思ったから、こうしたんだ。そしたら、こういう結果に、なりましたとさ。

そんな話を、おりに触れてしてくれる由季ちゃん。
出来事から、何を感じたのか。どうしたいって思ったのか。相手の人はどういう心の動きがあった(と予想される)のか。
そう言った、自分と、自分だけではない、関わる人の視点も考えた上で

私の気持ちはここにあるんだよね

それを、丁寧にいつも確かめてるなぁと思う。
そう、とても丁寧に。

私は、こういう気持ちが心の中であったんだな、ってわかって。
だから、こういう対応をしたよ
だから、これをやろうと思ったんだよね。

もちろん、私は彼女のいつもいつでもをみているわけではないけれど、私に教えてくれた彼女の言葉たちは、そんな丁寧さに溢れていて、

自分との対話をじっくりしている人、という印象が確かにある。

だから、ご自分との関係がとても「いい」のだろうなあと、思う。
関係が「いい」というと、何やら彼女はすごく完璧な人、みたいに受け取る人ももしかしたらいるかもしれないけれど、決してそうではなくて。

彼女は、自分の中の不完全性も、いつも見つめて、「でも、これが今の私でもあるし。」と受け止めていて。

とはいえ、なんでだろうなぁ〜〜〜(しみじみ。)

なかなか脱することができない、言動の癖なんかもわかっていて、そんな自分にちょっと呆れたりしながらも、でも「そこさえ私の面白み」のようにしている節がある。笑

そうそう、彼女は、自分の中のできないことや超えられないことを、悲劇にすることはなくて、ほんと、そうなんだよねぇ〜って言いながら、そんな自分のことも、多少厄介ながらも根気よく愛する子のように接しているように、見えるのです。

だからかなぁ、と思う。

由季ちゃんの周りにはユニークな人が多いし
(ご実家の二階に由季ちゃんのお友達ご家族が住んでいたりする。)

また、そうしたさまざまな関係性の話は、いつ聞いてもあたたかさに包まれている。

お父さんはお酒が好きで、タバコがやめられなくて、ふらふら歩いて転ぶし・・・なんて言いながらも、そのお父さんへの「好き」が伝わってくるし、

兎にも角にも

完璧ではない人たちのその不完全性さにこそ「それもが私でありあなた」という目線があって、由季ちゃんが語る世界はいつも面白みとあたたかさに溢れています。

自分との関係が「いい」からこそ、きっと周りとの関係も「いい」し
いろんなご自身に居場所を与えているからこそ、周りの人もいることが許されている、そんな循環で作られる彼女の世界はきっとあたたかい。
作ってくれるごはんの、ほっとする雰囲気のように。

でも、私も、嫌なことは嫌って、ちゃんと毅然として伝えるよ。
それはそれで、自分を守ることも私は選べる。

そういうことを、言葉にして一つ一つ伝えてくれるところに、私は由季ちゃんの自分自身に対する誠実さを感じては、丁寧に自分を確かめ、関わっているなぁと感じずにはおれないのです。

と、あっという間にshutterの5000字を過ぎてしまいましたが

とはいえやっぱり由季ちゃんはひかりの四柱推命の「壬萃」さんでもあります。

もう、一昨年になるでしょうか、由季ちゃんに見てもらった、私と家族の四柱推命。
そこには持って生まれた本質と、運気の流れがあり、一つ一つを由季ちゃんの言葉で、丁寧に一言一言を選びながら伝えてくれました。

あの日由季ちゃんが教えてくれたことは、私という存在をより認めるためには大切な言葉たちであり、我が子や夫の本質を知ったことで、彼彼女たちとより家族として心地よく生きていくための「心地よい距離感」を私は知ることができました。

そして、

人には持って生まれた本質があり、私は私であるし、私でしかないし、私にしかない運気の流れ、リズムがあって、それに抗うことなく、「あぁ、そうですよね、これが私ですよねぇ」といい意味で降参して生きていくのが一番なんだと、動かぬ証拠のようなその四柱推命の鑑定の前に、「ぐぅ。」と半ば喜びのような音が出たことが忘れられません。

我が家のリビングの私の本棚には、いつでも取り出せるところに由季ちゃんの鑑定結果が置いてあって、ふとした時に取り出しては、あぁ今はこんな時の流れの中を私は生きているのねと、確かめる。

私のところに鑑定に来る人って、もうわかってる人がほとんどなんだよね。
だから、そうなんだよねーって、諦めっていうか、降参するっていうか。
もう、みんなわかってるんだよね。自分は自分だって。それが授かったもので、その自分で生きていくんだ。って。
それを確かめに来るんだろうね、きっと。

そう教えてくれた言葉とともに。

人間は、複雑怪奇にするのが結構好きで
もっと自分がこうだったら、ああだったら
そんなことを願うし

自分にあるもの、授かったものの「欠乏」を見つける方が上手だったりするけれど。

でも、もう全てが授かっているものならば。

由季ちゃんがいつも対話をするときに、一言一言を確かめ、静かに受け取ってくれるように

私は私を一つ一つ受け入れて自分と共存していくだけなのだろうなぁと思う。

あらゆる要素を内包する、その真ん中に立つことこそが
私が私の人生の主人公として生きていくことであり

あらゆる自分を駆使して人生を創造していくことこそが
私らしく生きるということだと。

そう思わせてくれた彼女に、ひだまりのようなあたたかさを感じながら、出会えたことに感謝しているのであります。

うん、やっぱり、間違いなく、いい人。


いい人なんだよなぁ。


いつもそうぽつりと呟いていた由季ちゃんですが。

つい最近、彼女が公開した彼女のポートレート。

photo by 並木いくまさん


この写真を見れば明らか。

かっこ「いい人」じゃないか〜〜〜〜。


人生を、日々を、誰かとの関係を
いつもちょっと俯瞰しながら、面白みと旨みを味わう視点を持ちながら

そこで感じる自分というものを、
いつもいつも
丁寧に丁寧に
一つ一つ味わっている

ご自身の、一つ一つを確かめ大切にする人だからこそ
きっと、誰もの
持って生まれた要素をも
大切に、一つ一つとして見れる人なのだろうなぁ。


あなたに授けられた、一つ一つ、その全てを受け入れまるごと愛せるほどに、あなたの人生はあなたらしく彩られてゆく、と。

またいつか、私人生の波に乗り遅れているような
ちょっと気になる時が来たとしたら

その時は由季ちゃんに鑑定をお願いしたい

そう思っています。

私、あそゆかからみた
ひだまりの人、今利由季ちゃんを今回はひたひたと、綴らせていただきました。

由季ちゃん、また今度、ごはん食べさせて。笑

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

いい人って、どんないい人?

あなたの周りの
あなたにとっての「いい人」を
因数分解するように
どんな「いい」があるかを見てみると
新たな深みと発見が、ありそうです。

四柱推命鑑定含め今利由季ちゃんについては
こちらのリンクツリーからどうぞ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?