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痛み


日本は、根暗な国だ。
これは世界的にそうなのかもしれないが、
根暗による誹謗中傷のせいで、
迷惑を被る人を、
僕は見て見ぬふりができない。

「根暗社会」
と言っても過言ではない。
面と向かって言い合うコミュニケーションを避ける代わりに、そのストレスをSNSで発散する。
というか、発散した風にする。
そこには何もない。解決せず、悪化する。

根暗社会になった原因は、「教育」にある。
特に、学校教育に問題がある。
学校は、みんなと同じ事をさせたがる。
そして、それに従う。
みんなAという価値観を持った人間になる。
Bが現れると、どうなるか、
「いじめ」に発展する。
なぜならば、「みんなと違うから」
みんなと違う、と感じるのは、
みんな同じことをさせられてきたから。
バイアス的にそれが正しいと洗脳されているから。

そして、僕はそれらの影響により、
人の痛み」について鈍感な人間が、世の中に溢れていると感じるようになった。

「痛み」とは。

お腹が痛い、足が痛い、頭が痛い、敗戦が痛い、悔しい感情、寝坊、忘れ物、生活、将来

直接的、間接的含め、全てメンタル的に「痛い」事として、
これらの他人の痛みを理解すること、理解というか、「わかってあげる」ことができていない。

例えば、コンビニ強盗をする人は、すでに生活に困窮していることが容易に想像できる。そして、その時点である種の「痛み」を抱えているとして、強盗犯をコンビニ店員がボコボコにするとしよう。ボコボコにされた犯人は血まみれで、そのまま警察に連行される。

「深夜のコンビニ強盗犯を店員が捕獲し、逮捕へ」という題名で翌日のニューストップ、店員さんが社会的に評価される。

この時、ボコボコにされた強盗犯の「痛み」には誰も目を向けない。血まみれになるまでボコボコにされたら誰もが痛いはずだけど、「犯罪者」は何をされても許される。人間として扱ってもらえない。 ※強盗はダメ絶対

極端な例だけど、そんな感じ。
ようするに、他人事になっちまった。。
寂しい世界。

あとは、人の痛みを「比べる」ということ。
同じ「腹痛」でも種類があるし、死に至るような場合もあるかもしれない。

自分は我慢できる痛みでもその人は我慢できないかもしれない。20万の給料でも余裕な人とそうでない人がいるかもしれない。

「痛み」

僕は人の痛みがわかる人間になりたい。

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