見出し画像

試合に勝つということ


今日は天皇杯の準決勝だった。
コロナウイルスの影響で今シーズンの中国リーグは全試合中止になった。
だから、今年の公式戦はこの天皇杯しかない。
絶対に勝たなければいけない試合だった。

しかし、1-2で試合に負けた。
久しぶりに負けて悔しかった。
めちゃくちゃ悔しかった。
勝てば決勝戦だった。
僕は結構引きずるタイプだ。まだ、悔しい。

僕は相手にPKを与えて、失点に絡んでしまった。前半の15分くらいだった。
その前にも失点していたから、前半の給水タイムまでに2点を失う展開。

でも、ゲームの内容的に焦る必要が無いと思っていた。だから、「まだ時間はある」と声を掛けていた。早く点を取り返さないといけないからといって、前半で自滅する必要はなかった。

実際、前半の給水タイムから試合終了までの約70分は、ほぼワンサイドゲームだった。要するに、ずっと攻めていた。

だから、後半1点取り返した時はホンマに逆転できると思っていた。次々に足を攣る相手に対して、僕らは走り勝っていた。決めるだけのチャンスも何度も訪れた。しかし、決められない。

紙面に載るのは結果だけだ。

どれだけボールを支配して明らかにゲームの主導権を握っていても、試合終了時に点を多く取っていたチームの勝ちだ。サッカーというスポーツを語れるほどの人間ではないけど、サッカーはシンプルで、残酷だ。

今日の試合は、ある意味勉強になった。
今、本当に言いたい事は立ち上がりの緩さや決定力の無さではない。

僕らは、育成年代から審判に対して文句を言う事はタブーとされてきた。監督やコーチ、先生達が抗議するからお前らは黙ってプレーしろと。審判には逆らうなと教えられてきた。
正しいか正しくないかは、今は置いて。

そして、今日はある意味その教えに反したゲーム内容だった。
そもそも、レフェリーに対しては抗議しなけれしたほうがいいと思っている。(良い事ではないけどしたほうがいい時もある)
ある程度の呪縛から解放された社会人リーグでは、審判の存在がその試合を左右する。「荒れ試合」は避けたい。

しかし今日は、
あまりにも酷いレフェリーだった。

と言うと、負け惜しみだ、負けた原因はチームにある、って言われがちやけど、これはあきらかに審判のせいだ。まぁ、もちろんチームの悪い部分もあったから、正しくは、審判のミスジャッジも敗因の1つ。

詳細

まず、僕のファールでPKになったシーンで僕はイエローカードを貰わなかった。と言う事は、決定的な得点の阻止ではないのかな、と思った。だから、味方チームの選手がPA内で倒れたシーンが3.4回あった時に、「俺のがファールでなんでこれがファールじゃないんですか?」っ聞いたところ、「見てるから」と一言。

見てるなら、ファールだ。

審判も人間だから、ジャッジにミスはあるけど、「今のは微妙だねぇ」とか言われたり、ちゃんと会話してくれんと、試合にならない。自信を持ってジャッジしてもらわんと、ゲームを成功させられない。あのレフェリーは完全に自信を無くしていた。僕らが言い過ぎたのもあるかもしれないが。

相手FWの選手さえ苦笑いで、「あれはファール」と言うほどだ。どうでもいいけど。

この試合の結果次第でこの先の未来を大きく左右する事に責任を持てない審判に、審判をする資格はない。せめて、明らかに贔屓したり、誤審するなら自信持ってやって欲しい。

今回、自チームがハズレ審判に当たってしまったということは、逆に相手は恩恵を受ける形になった。

中東の笛にも負けず、勝つ日本代表ってやっぱりすげぇと思う。


勝ち、負け、全て含めてそのゲームを成功させるにはどうしたらいいんでしょうか。

審判のせいで負けたなんて言いたくないけど、今後もそんなジャッジを繰り返すなら、今回の僕らと同じ目に遭うチームが出てくるということだ。

起こったことに対して言うのは誰でもできるけど、その後のジャッジを変えてもらうことはできる。だから、今回のジャッジには不服だ。

改めて審判を味方につけるということの大切さに気づいた。


試合に勝つのは、難しい。
そして、サッカーは考えれば考えるほど難しいし、訳わかりません。笑

敗戦から、1日経って冷静に考えてみてもやっぱりあのジャッジは良くなかった。
でも、変えられないことに目を向けるより、変えられることに目を向けて精進していきます。

負けは、負け。


#サッカー
#喜怒哀楽



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?