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チリに行く④ 名将編 #31

チリに到着して数日後にはサッカー中心の生活が始まった。

1時間ほどかけて練習場に通い、トレーニングしてまた1時間かけて帰ってくる。空いてる時間は、近所の子供達と一緒に遊んで、リュウイチやトラジが学校から帰ってくると、彼らとその友達との時間を楽しんだ。

Colo-Coloでの練習は、基礎練習、フィジカルトレーニング、ゲームなどと週ごとにやることが決まっており、監督の他、フィジカルトレーナー、アップするためのスタッフや、道具管理のスタッフもいた。毎日ではなかったが、無料で食事も提供された。

当時驚いたのは、練習場にはタオルとシャンプーだけ持っていけば良かったこと。古びたクラブハウスだったが、到着すると練習着一式とスパイクを道具管理のスタッフからもらってそれに着替えトレーニングをする。そして、練習が終われば、それらを預けて帰れば次の日、洗濯したウエアと磨かれたスパイクでまた練習ができた。

当時の日本では芝で毎日サッカーをすることも普通ではなかった上に、それ以外の環境も素晴らしい環境でサッカーをさせてもらえていた。そして何よりも、当時の私がいたカテゴリーを指導していたアルゼンチン人監督が後々ではあるが、とてつもないビッグな監督になっていき、そんな人の下でやっていたんだと思うと本当に幸せだったと思う。その監督の紹介は以下のとうりである。

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ホセ・ペッケルマン

アルゼンチンを率いてワールドユースで3回世界一を獲得、アルゼンチン代表監督やGMという立場でワールドカップを戦い、コロンビア代表の監督としても2回のワールドカップに出場して日本代表とも対戦するなど世界的な名監督。

彼は言葉がわからない私にも声を常にかけてくれた。非常に落ち着いた口調で話をする優しい方だった。彼に言われた言葉の一つは、サッカーをしていく上でも、子どもたちを指導する上でも、私の中では軸となる言葉となった。

また、日本に来た際には京都に案内させていただいたのも今となってはとてもいい思い出となっている。

何もかもこの上ない環境でサッカーができていた事に改めて感謝しなければいけないと、この文章を打ちながら痛感している。

このような環境でサッカーに明け暮れたが、決して楽しい思いばかりではなかった。

続く。

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