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100人Zoom-29人目…のーとさん-

来年度より教員になられる、北海道の大学四回生さんでした。

教育に興味がある!教育を変えたい!という同い年には何人か知っているのですが、さすがに来年から教員になるのーとさん。
「こういう教育にしたい」という明確なビジョンがありました。

在学中から「現役教員と教員志望の学生の交流」をテーマに、
u&tという会を設立。

大学の教職課程じゃ教わることのない、現役教員からの情報共有、学生の疑問を解消する場として、めちゃくちゃいい場だなぁと。

どの分野でもそうですが、自分の進みたい道に一足早く到達している大人から話を聞くのが一番早いし、効率的ですよね。

のーとさんの目指す教育のテーマは


「1人も取り残さない教育の実現」
「自律した学習者を育てる」




だそうです。ここでは義務教育を考えます。

1人も取り残さない。そう聞くとやっぱり不登校だとか落ちこぼれだとか、そういうワードが出てくるかと思います。

でもそれを生み出してしまっているのは紛れもなく今の教育のシステム。
子供が悪いわけでも、教員が悪いわけでもないと思うのです。

子供はその型にはまらざるを得ない環境にあるし、
教員も結局は評価や成績をつけるために差別化を図らざるを得ません。

その結果どうなるか?
今のシステムにそぐわない子は不登校になり、
勉強が嫌いになれば落ちこぼれます。

不登校はただその環境が合わなかったというだけの話。
落ちこぼれるというのは、勉強という狭い枠組みの中で「できなかった」というだけの話。

それなのにやりたいことを見つけろって言われる。
子供ってみんながみんなそんな器用じゃありません。ていうか人間ってそんな器用に生きられる生き物じゃないです。

それで能力が「ある」「ない」を判断するのはあまりに残酷じゃないでしょうか。
学校以外にも色んなコミュニティはあるし、
勉強以外にも能力を発揮できる舞台は無数にあります。

・・・

のーとさんはまず「学校で付けた知識は役立つか??」というシンプルな疑問を持っています。

そして勉強を教えるのではなくて「学び方を子供と一緒に考える」ことが必要と。

確かにそうですよぉ~。

大学まで行ったって教育という観点では20歳前半でほとんどの人が学習を終了するんですから、人生100年時代ではそこから先においてどうやって学ぶかを知ってないと社会でやっていけません。

でもほとんどの人が大学を出たら途端に学習を終える。この現状はまずい。

今の教育では学び方を教えてもらってないですよね。
アクティブラーニングとかいったって、結局は教員や指導要領に基づいてあらかじめ設定された答えに誘導されながら進めていく。

授業受けてたらわかるんですよね、「こういう答えを書いて話し合って、発表すれば評価高いんでしょ?成績つくんでしょ?」って。

こんなのアクティブでもなんでもなくて、それだったらちょっとでも興味持った本読んでる方がよっぽど能動的でアクティブ。

アクティブラーニングっていう横文字だけを切り取ってやってるだけ。


のーとさんがおっしゃっていたのは、
「見えてる部分しか参考にしていない」ということ。

例えば福祉国家として世界幸福度ランク1位に何度も輝いているフィンランドの教育。これも確かにすごい魅力的で理想的な教育がなされているように思う。

でも真似しようとしているのは見える部分だけ。
目的とか本質とかすっ飛ばして、「フィンランドがやってるんだからいい」
という決め方なんだそうです。

確かにフィンランドがやってたらよさそうだけど、そもそもフィンランドと日本では子供の数も違うし国土の環境も、教育にかかっているお金も国民性も違う。それを比較しないで無条件に取り入れるのは乱暴ですよね。

のーとさん曰く「教師や大人の体験談と経験だけで教育が進められていて、そこにエビデンスがない」と。

そろそろ形だけの義務教育は終わりを迎えるべきだと個人的に思います。

・・・

で。学び方を子供と一緒に考えるって難しいですね。
あぁそこの具体的なビジョンみたいなの聞くの忘れたぁぁ。
#質問力がまだまだ課題です

でも知識提供型の教育が古い、時代遅れだとされるのなら、
残る選択肢は教員が知識提供しない。つまり「一緒に考えていく」ぐらいではないでしょうか。

教員 ーーーーーーー→ 子供
知識

これが古いのだとしたら



教員 ーーーーーーー 子供
知識

かな?とも思ったけどこれはさすがに無理あるので、もう残るは一緒に作り上げていくしかないのかなと。
全然ふんわりした考えですが、教育についてより深ーーーく考えた日でした。
ありがとうございました。




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