#藤田敏八
ロマンポルノ無能助監督日記・第22回[トンさんの海女モノと1980年の総括は城戸賞逸す!そのワケは?]
『少女娼婦けものみち』『朝はダメよ!』以降、1980年後半、24歳の助監督3年生としては、面白い仕事にはありつけなかった。
5月末からは、「トンさん」と呼ばれる藤浦敦(あつし)監督の『若後家海女うずく』に就いたが、このトンでも無い監督・トンさんのことを、知らない人にどう説明したら良いのか・・・
夏は海女モノ、秋は温泉モノの年に2本しか撮らない人(だのに、僕は、運悪くこの年もう一本就く羽目となる
ロマンポルノ無能助監督日記・第18回[映画って“持つ”もの?加藤彰監督・荒井晴彦脚本『宇能鴻一郎のあつく湿って』でキスシーンやっちゃった]
助監督1年半仕事して、改めて思う。助監督は監督修行への学びの道なのか?
仕事しながら「映画を勉強している」、ということか。
そもそも「映画を学ぶ」とは、どういうことなのか?
先輩助監督のなかで、「学校で映画を勉強した」という人は稀だった。
『炎の舞』のチーフ中川好久さんが、唯一、日大芸術学部出身だったと思う。
実は僕も、日大芸術学部映画学科・監督コースを受験し、合格していた。
筆記は良くて、面接