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無名選手がどのようにしてB1リーガーになれたのか 山本柊輔ver 〈小学生編〉

こんにちは。

先日YouTubeチャンネルを開設してみた山本柊輔です。

好きなYoutuberは、メンタリストDaiGoです。

このnoteでは、

無名選手は何をすれば

B1リーガーになれるのか?

について僕の経験談を含めながらざっくばらんに書いていきます。

今回はまず自分がどのようにしてBリーガーになれたのかについての考察〈小学生編〉です。

「どの年代の話を読みたいですか?」と

先日Twitterでアンケートを取ったところ、

思った以上の大接戦になったので、

とりあえず順番に全部書いていくことになった次第です。笑


無名選手がどのようにしてB1リーガーになれたのか 山本柊輔ver 〈小学生編〉

まず僕の小学校時代について簡単に紹介します。

僕は4兄弟の次男です。

他の兄弟3人はサッカーをやっています

サッカー王国静岡に生まれた僕は、

小学校1年生の最初サッカー部に入りましたが、

熱血で人1倍負けず嫌いな兄大輔から厳しく叱責され、

『サッカーつまんない』

と言って早々にサッカーを辞めました(笑)

そして、たまたまミニバスをやっていた体育館の横を通りかかり『やってみたい』となったそうです。

兄大輔は当時を振り返り、
『ファインプレーだった』と今でも誇らしげです。
(やれやれ…)

そんな感じで、
山本柊輔バスケットボール
は出会いました。

さて、
ミニバス時代の僕がどんな選手だったかというと

鈍足ちびっ子バスケ大好き少年(泣き虫)

という感じですかね。笑

当時の発育測定の記録です。

小学校6年生で140cm、33kg。うん、小さいな。

50mは8秒台で走れたか怪しいところ。

でも長距離はずっと得意で、

持久走大会は3〜5年生1位でした。

身体の成長が遅く、

6年生の時には膝蓋骨分離症で両膝を痛めて、

まともに走れない時期もありました。

簡単に小学校時代の自分のことをまとめます。

〈性格〉
・超真面目
・負けず嫌い(相手チームをとにかくライバル視)
・泣き虫 (試合で負けると毎回号泣)
・人見知り
・バスケが大好き
・練習が大好き
〈成績〉
・最高成績 県大会5位(春・秋)
〈プレースタイル〉
・正統派ポイントガード
・アシストが大好き
・ドリブルで相手を切り崩す
(ボールを持つと速い)

ざっくり言うとこんな感じです。

本当に真面目な少年で、勝利に駆られていました。

最後の県大会で負けた後

『人生おわた…』みたいになって、

1週間抜け殻で過ごしたのを今でも覚えています。笑


そんな小学校時代の僕ですが、

当時のスキルやフィジカルのレベルを見れば、

明らかにプロバスケ選手になれる何かを持っていた選手というわけではありません。

ですが、

自分の中でこれをやっていたのが良かったのではないか

という小学校時代の取組みがありました。

今回はそれを紹介します。

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① 【天才君】

天才君とは、

僕の試合の『良い所』だけを切り取って

編集したハイライト映像の事です。

これは小学校6年生の頃から

毎試合後、母が作ってくれるようになりました。

家でご飯を食べる時に

毎回この天才君をテレビで見ていた僕は、

良いプレーを何度も振り返る

ということが習慣化されていきました。

その結果、

良いプレーを何度も振り返る

頭の中に良いイメージが残る

また良いプレーができるようになる

という流れが自分の中にでき、

バスケの上達が加速したのを覚えています。

この天才君は、

中学高校大学プロになってからもずっと続けていて、

いつも僕の成長を助けてくれているなと

実感しています。

良いプレーができれば嬉しい。

バスケをするのが楽しくなる。

だからもっと練習できる。

当たり前のことですが、

常にそう思い続けるのは、

中々簡単なことではありません。

【天才君】は、

地道な努力を続け、

バスケを楽しみながら上達するために、

無くてはならないものでした。

バスケが上手くなりたい人、

子どもにバスケを上達して欲しい人は、

是非試してみて欲しいと思います。

ちなみに天才君という名前は、

スラムダンクの天才バスケットマン桜木花道から

来ています。

(小3で桜木花道に憧れて坊主になり、
そこから高校2年までずっと坊主キャラでした)

スラムダンクで好きな試合はインターハイ予選の陵南戦です。

魚住の覚悟、仙道覚醒、メガネ君のラストショット、天才桜木…泣けます。

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②タケオ君

僕が小学校4年生の時です。

当時所属していたミニバスとは別の場所で、

知り合いのコーチがやっている週一回の練習に参加していました。

そこで出会ったのがタケオ君です。

タケオ君は当時6年生で、市内で有名な選手でした。

僕は当時何の特徴もないバスケ少年でしたが、

タケオ君のドリブルに魅せられて

とにかく彼のドリブルを真似するようになりました。

インサイドアウトでディフェンスを揺さぶり、

そこからのクロスオーバーで相手を抜き去る。

タケオ君のシグネチャームーブ(得意な技)が僕の最初の武器になりました。

実家のホームビデオに、

『どれが1番引っかかる?』と言って

畳の部屋でひたすら開発した技の動きをする

という動画があり、

夏場で暑かったからか上半身裸でボールも持たずに

ひたすらインサイドアウトをし続けてました。

もう変態です。

ドリブルが好きで得意になった僕は、

益々ドリブルを練習するようになり、

家の中、朝のランニング、時間がある時、

ひたすらドリブルをついて生活するようになりました。

椅子の下を股抜きしたり、

階段をドリブルして上がったり、

壁に向かってビハインドパスをしていました。

(普通の家では怒られるかもしれませんが、

山本家では食事の時間以外自由にボールを使って

家の中で遊んでいました。両親に感謝。)

『どれくらいドリブルの練習をしたらそんなにハンドリングが良くなるんですか?』

とよく質問されますが、

僕は自分のバスケ人生の中で、

ドリブルが上手くなりたいと思ってひたすら練習した記憶がありません。

バスケの試合を見て上手い人のプレーに魅せられた僕は、

どんどんその人のプレーを真似するようになり、

気付いたら『ボールハンドリング』というプロバスケ選手として

今の僕の1番の武器を手に入れていたという感じです。

僕のバスケの技は、

ほとんどが誰かの真似から生まれたものです。

真似して、真似して、真似して、真似して、

試合で試してみて、うまくいったりいかなかったり、

でも成功したときのプレーを天才君で振り返る度に、

『おぉ、これはうまいな』と自画自賛して(笑)

『よし、次はこれをやってみよう!』と練習に向かう。

そうやってバスケが上手くなってきたと思います。

今はYouTubeやSNSで上手い選手のプレーをいくらでも見ることができます。

真似して → 振り返る

これは上達の為に間違いない方法です。

是非試してみてください。

〈僕の真似の歴史)
小学 タケオ君
中学 豊田ヒロユキさん(鷲津中学)
高校 中村寛大さん(藤枝明誠高校)
   富樫勇樹
NBA選手(ジノビリ、トニーパーカー、レイジョンロンド、デリックローズ、クリスポール…etc)
他にも数多くの選手の真似をしてきました。
その時々で自分が真似したいと思える選手を真似したら良いと思います。


無名選手がどのようにしてB1リーガーになれたのか 山本柊輔ver 〈小学生編〉

最後まで読んで頂きありがとうございました!

日本のバスケを一緒に盛り上げていきましょう。

ではでは〜!

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