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泣きながら書いた手紙

便箋と封筒を買ったものの、書き出しから躓いてしまったので、とりあえずパソコンに打ち込んで整えてから清書しようと決めた。

まずはどうしてこの手紙を書こうと思ったのかの経緯と「普通」に「素直」に話が出来るようになって「違和感」を無くしたいからだ、ということを書いたと思う。

何度も何度も言い訳がましくなってしまったり、この言い方は傷付けてしまう、と書き直したりしたけれど、どんな書き方をしたって結果傷付けてしまうのだからと、最終的には書きたいように書いた。

何度も何度も画面が滲んで見えなくなった。

「本当はあのときこうして欲しかったんだよ」

「あのときこう言われてすごく悲しかったんだよ」

「何かをしないと好きでいてもらえないって思ってたんだよ」

「お母さんに認めてほしかったんだよ」

自分のこれまでの振り返りをしたときに、同時にいくつも出てきた母への想い。

それを文字にすることで、その時の感情が身体の中で駆け巡った。

ぼろぼろ涙がこぼれて止まらなくて、書けなくなったりもした。

手が震えて、何度も打ち間違った。

それでも気付けば、書き切っていた。

今でも写真に写るのが苦手なのは、お母さんに「笑うと歯茎が出て可愛くない」って言われたからだよ。

小学生の頃、友人のお母さんの事を「変わってる」って言われた時、じゃあその子とは遊ばない方が良いのかな、って思って悲しかったんだよ。

高校をお姉ちゃんと一緒の所にしたのは、それより下だと残念がるかなと思ったからだよ。

四大じゃなくて短大からの入学になったとき、日本語禁止クラスに申し込んだのは、短大のトップにいたら四大に行けてなくても認めてくれるかなと思ったからだよ。

就職活動を120社も受験して頑張ったのは、大学を出て就職できなかったら、悲しむと思ったからだよ。

「お姉ちゃんみたいに公務員やったら安定してるのに」って言われる度に「もう大人で自分で仕事だって選べるのに」って悲しかったんだよ。

「いつ結婚するの」って言われる度に「私が知りたいよ」って泣きそうだったんだよ。

ここに全部は書けないけれど、本当に色んなことを書いた。

書き出している内に、子どもの頃の「絶対的な存在」だった親からの言葉の影響力の大きさを、改めて感じた。

愛されてきたことは分かっているのに。

暴力を振るわれたとか、存在を否定されたとか、そんなんじゃないのに。

母からの何気ない言葉一つで、私の人格は作られているんだと思った。

子ども心に悲しかった一言や、ショックだった一言は確かに自分の中に残っていて、それが今まで尾を引いて、素直になれなかったんだ。

素直に気持ちを伝えたら、拒否されるんじゃないかって思って。

でも、同時に大人になって振り返ってみると

「きっとこういう気持ちで言ってくれたんだろうな」

「優しさで言ってくれたんだろうな」

「私が受け取った意味とは違った意味で言っていたのかも知れないな」

と思うことも出来た。

本当の所は母に聞かなければ分からないけれど、今、当時と同じ言葉を言われてもそこまでトラウマにはならない自信があった。

「母が絶対的な世界」に生きていた「子どもの頃の自分」に対して言われたからこその影響力なんだと感じた。

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