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「蛙化現象」とは何だったのか①

自分自身も完全に「克服した」とは言えない状態で、これを書くのもどうだろうか、と悩んだけれど、確実に「変わった」という自信があるので、書き切ることにした。

あれだけ私を苦しめた「蛙化現象」とは何だったのだろう。

自分に自信がないことが原因で、好意を寄せてくれる男性に嫌悪感を抱いてしまう。

誰に相談しても「考えすぎ」「わがまま」「相手がかわいそう」としか返って来なくて。

「私がおかしい」と自分を責めたりして。

でも「自信が持てない」の根底にあったのは「自分が分からない」だったと思う。

「自分が」何を望むのか、「自分が」何をしたいのか、それが分からない。

それはきっと、様々な要因があると思うけれど、私の場合は、小さな頃からの積み重ねや習慣によるもので、もう自分に染み付いてしまっていたのだと思う。

「自分が」こうしたい、という感情がない、分からない、というのはきっと、小さな頃からその感情に蓋をし続けていたからで。

それはきっと、自分じゃない「誰か」の感情や目線を優先させていたからで。

私にとってそれは「母親」だったけれど、きっとそれも人それぞれなんだと思う。

そんなことを続けた結果、自分の感情に鈍感になって、他人に合わせてばかりいるから、自分でこうだと決めて動くこともないし、それに伴う結果が出ないまま過ぎていくから、自分に自信を持つだけの材料が揃わない。

だからいつまでたっても自分に自信が持てない。

そうだったんじゃないかな、と思った。

今回の事で、一番大きな変化をもたらしてくれたのは「母へ書いた手紙」だった。

でも、手紙を書くこと自体ではなく、それに至るまでの自分のこれまでの「嫌な感情」との徹底的な向き合い、そしてその中で出てきた母に対する感情を母と共有し、すれ違っていた部分を埋めることが出来たこと、そこだと思う。

母に認められたくて、母に好きでいて欲しくて、「母がどう思うか」を最優先にしてきた結果、「自分」が分からなくなってしまった。

それはつまり「母を信頼していなかった」ということ。

不完全な自分でも、頼りない自分でも、情けない自分でも「受け入れて貰える」という自信がなかったということ。

でも、そうではないと、気付くことが出来た。

そう思うようになってしまった原因も、子どもの頃の「絶対的」な存在だった他ならぬ母からの言葉だったけれど、

母はどんな状態の私でも愛してくれているし、受け入れてくれている。それは今に始まったことではなく、これまでもずっとそうだったことも分かった。

母が自分の中の「絶対的な安心できる場所」になった。

それがあるだけで、どこへでも行ける気持ちになるし、失敗しても、惨めになっても、誰かに否定されても、自分で自分を否定することだけはないと自信を持って思えるようになれた。

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