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認められたいという気持ち

幼い頃からずっと、母に自分を認めてもらいたかった。

けれど「等身大の自分では認めてもらえない」ともずっと思っていた。

「母に認めてもらいたい」と思い続けた、つまり、「まだ母から認められていない」と思い続けた結果、私は自分に自信なんて持てない自己肯定感の恐ろしく低い人間になってしまい、それによって色んな事(本当にいっっっろんな事)に悩まされた。

そんな自分は嫌だと、3・4年前から必死で自分に向き合って、何とかほんの少しばかりの自信を手に入れることが出来、母とも人生で初めて本音で話し合う事が出来た。

少しでも変われたと思ってはいるけれど、それは本当にほんの少しで、気を抜くと「昔の嫌いな自分」に戻りそうで怖い、という気持ちも実はある。

だから最低現状維持・調子が良ければアップデートするために、いつもプラスの方向に意識を向けるようにしているし、口から出す言葉にも気を付けるようにしている。


けれど、最近心を乱される出来事があった。

心を乱される時点で「自分」ではなく「他人」が主役になってしまっているのは分かっているのだけれど、どうしても心が揺れてしまった。

やはり、私にはまだ「母」からの言葉の影響力が大きいと思い知らされた。久しぶりに心を乱したのは母の言葉だった。

これまで何度も何度も言われた言葉。それを言われると辛いんだ、と本音で話せた時に伝えた言葉だった。


「どうして?嫌だと伝えたのに、まだそれを言うの?」


あの時、初めて言葉にして伝えた時、理解してくれたのではなかったのか。

1度では伝わらなかったのか。

今、ここでもう一度言うべきなのか。


色んな感情がぐるぐる回って、結局言葉は出なかった。言葉が出なかった事がショックだった。私は、変われたんじゃないのか。


けれど黙ったことで母にも何がしかは伝わったのかも知れない。言葉こそなかったけれど「しまった」という空気を感じた気もした。


でもやっぱり「変われたな」と思ったのは、必要以上に引き摺らなくなったこと。以前なら2・3日は確実に引き摺ってウジウジして泣いていた。

そして、自分を客観視出来るようになったこと。

少し前に今年中に一人暮らしをする、と決めていたけれど「やっぱり必要な事なんだ」と強く感じた。母から逃げるわけではない。母が嫌いだから離れたいわけではない。

好きだから、大切にしたいから、適度な距離を保った方が良いんだ。そう感じた。


そもそも最近は、この年齢になって「母に認めてもらいたい」という気持ちをこんなに強く持っていることがおかしいんだなと思っていた。

「お母さんに認めてもらいたい」

字面だけ見ればなんと子どものような言葉だろう。およそ大人がいう言葉ではない。

けれど私はそうだったのだ。母親から認めて貰えている自信がなかったから、自分の心が安心して戻れる場所がなかったから、他人に否定された時に逃げ場が無くなるのが怖くて、周りに合わせてばかりいた。

本音で話し合った時、ずっと昔から母は私を認めてくれていたんだと知ることが出来たけれど、それは言葉として受け取っただけ。私の記憶には変わらず「認められた」という経験値はない。

だからまた簡単に母からの言葉で揺さぶられてしまうのか。そう気付いた。


幼い子供の承認欲求が対両親であることは間違いない。子供の世界の絶対的存在は間違いなく「親」だからだ。

幼い頃に絶対的存在の親から、自分は無条件に認めてもらえるのだと「実際に経験」し、その事実を「信じられる」ことで、承認欲求の対象が次の段階の「他人」に移るのだと思う。

だから私はずっと対象が母のままだったのだ。本来ならば幼い頃に済ませなければならなかったことを出来ていなかったから。

それは私のせいではないし、誰が悪いわけでもないと思う。母を責める気持ちは一切ない。久しぶりに少し悲しくなったけれど。

出来ていなかったことを、遡って必死でやり直してきた自覚と自信はあるし、その事実が私の自信に繋がったことは間違いない事実。

そのおかげで3・4年前には考えられない程、心穏やかに過ごしているのだから。


でも、きっと、これからも心を乱されることはあるんだと思う。母でなくとも、色んなことが原因で。

でもその度に少し落ち込んで、真剣に考えて、少しずつ強くなるんだと思えた。


今までだって少しずつ少しずつ進めてきたし、これからもそうしていけば良いだけの話だった。一気に変わろうとするから期待した量の結果が付いてこなくて辛いんだ。結果なんてちょっとずつしか付いて来ないことはもう身に染みて分かっている。


「ない」のはダメ。「ある」方がいい。0か100か。

自分と向き合う中で気付いた自分の考え方のクセを思い出した。

でもそうじゃない。

自信がないから全てが上手くいかない、と思って必死で自信を付けたけど、自信を持っていたって怖いものは怖い。笑

そりゃ、自信に関してはある方が良いのは身に染みて分かった。

でも以前の自分は「それがない」ことを言い訳にして何もしていなかったし、「ないもの」にしか意識が向かなかったから「持っているもの」に気付かなかった。

そんな自分には戻りたくないから。


今回心を乱されて、もう一度噛み砕けた気がする。

この気持ちを忘れたくないから、書き留めておいた。


最後に、自分自身の言葉でもう一度決意を新たに。

「それまでの道のりがどれほど間違っていても、いつだって正しいと思う方へ行けるのだ。」

頑張れ、私。

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