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ブラックなトラック

一個前の職場はビックリするほどブラックだった。

わたしの場合、朝4時に出勤して委託分の仕分け。
6時を目安に仕分けが一段落して、委託分の転送に走る。
転送を終えて一旦帰社するのが朝8時ころ。
そこから自分の配達分の伝票を確認し、順路を決めてから商品を集めてトラックに載せていく。

わたしの担当は地場の2郡7町にわたっていた。
少ないときで17~18件。多いときで40件近く。
1件につき1個口~3桁に達するときもある。
そして1個の重さ。めちゃくちゃ軽い物もあるが、40kg超えの物を割り当てられたこともあり、そのときはさすがに持てないので断ったが、25kgの物は平気でつけられていた。また、大きさは様々。元気の出るドリンクケース売りもあれば、建築資材のなが~い巻物もあった。

件数が少なければ10時半ころには準備を終えて出発できる。
しかし、件数が多いとそうもいかない。
11時すぎまで必死こいてトラックの隅から隅まで埋めるように詰め込んでいく。
ちなみに、午前指定とかいうふざけた大人の事情もあり、わたしの場合、3分の1はそれに当たるので毎日焦りまくっていた。

でもね、、、
運行管理者のお気に入りはこんなハードちゃうねんで。
わたしが40件近く配車されて血まなこになっていたとき、ある女子が何気に様子を見にきて『わたし、こんなにつけられたことない…』とか言ったことがあって、あーそゆことかいっと、キレながら仕事してたわ。

やっとのことで荷積みを終えて、やっと出発!
トラックの運転は結構楽しかったな。
2tロングで、少しだけ長めのヤツだけど、なんせ、会社を出てしまえばあとは一人の世界なんですっごく自由で。
まぁ、、でも、大概は毎日時間に追われて休憩もとれずにひたすら走ってたけど。

唯一の救いは、わたしという人間に慣れてきて、信頼してくれてたお客さんとの会話かな。駐車場の管理のお兄さんとか、守衛のお兄さん、リネンのお姉さんたちとか、お店の従業員さんたち。
みんなめちゃくちゃいい人たちだった。

終るのは早くて16時前後。
遅いとき、特に年末なんかは20時に帰ったことも何度かあった。
基本、力仕事なんで体力はついたけど、身体はボロボロだった。


ある朝、すごい雨が降っていた。
つけられた件数も30件近くで、MAXで焦って商品集めをしていた。
商品が置かれている倉庫は3か所ある。
そのうちの1か所に中途半端に多めの商品が置かれていた。
ふっと思い立って、時短のため長台車に商品を目一杯積んで、濡れないように大きなビニールを被せようとして、2枚重ねのパレットに乗って作業をしていた。

そして、足を踏み外した…
恐らくそのとき既に骨折していたんだと思う。
でも、上長にも運行管理者にも怪我したことを言い出せないままわたしは配達に出発した。

人がいてへん。行ってもらわな困る。

物量が多すぎて、どれだけ 無理です と言って他の人に振ってもらおうとしても必ず言われる無慈悲なその言葉を言われ続けてきたため、一大事のそのときですら報告するのにためらい、迷い、諦めた。
結局、当日はお昼過ぎに助けを求めた。
痛すぎて動きが鈍り、終る気が全くしなかったので、センパイに電話して 動けません と報告。
それでも残り5件ほどを取ってもらっただけでやり切った。

翌日、午前中に病院へ行くつもりだったが、上長にも運行管理者にも、何も言ってもらえなかったので4時に出勤した。
いつも通りの仕分け。転送。足を引きずりながら。
さらに、午前中で終わる程度だったがしっかり伝票も割り当てられていた。
『今日は病院行くんやろ?今日は○○郡だけにしといたったから午前中で終わるやろ?』

マジかよ。
全く優しさのカケラも持たないヤカラしかおらんのか。この会社は。

この約1年と数か月後にわたしは会社を退職します。
全2年2か月。よう頑張りました。。。


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