虚無です

どうもどうも

日々Twitterではイキリ散らかした投稿をしてますが
現実は虚無で幼少期からの夢を追っている20代の若者です

なかなか面白い人生を歩んできたのでは?と思ったので
この自己紹介noteを作りました。

後悔、懺悔、希望、赤裸々に書きます。

暇な人だけこっそり読んでください。

じゃあ行きます!!!

幼少期は愛知県の田舎で育ちました。

田んぼばっかです、キャベツの生産数が日本一の田舎です。

駅前以外何もありません、名古屋は最短20分で行けます

あるのは高校のダンス部の思い出くらい。
飯はうまいです、そんな地元です。

そしてヤンキーが多い。久しぶりに友人のお祝いで帰ったのだけど
駅前にはチンピラがたくさんいました。

大阪に出てくる前は大阪は修羅の街だとか聞いてたけど
自分の地元の方がよっぽどヤリラフィーが多かったようです・・・

ヤリラフィーを見るとススキノでトイレに行くのを我慢できなくて
そこらへんでやっていたらヤンキー6人くらいに囲まれたのを思い出します

ヤンキーがいいやつだったので我慢できなかったんやなと言われて殴られずにすみました。
これを機に格闘技も早く身につけないとな思いました。

そんなこんなで幼少期は田舎で育って
大学進学を機に大阪に出てきます。

高校ではダンスの活動をしながら、最後の一年でそこそこ勉強していたので割と有名な大学に入って経営学を勉強していました。

高校生の時に情熱大陸とかカンブリア宮殿に出ている
社長さんを見て、俺も社長になりてえ!!!

そう思って、経営学部に進学しました。

今でもそれは変わりません。
なぜか高校生の自分には社長になりたい!という夢が植え付けられており、学校でも俺は将来社長になる!と親しい友人に言ってました。

将来は大阪や地元に自分のお店を出したいです。
そのために今下積みしています。
お店を出したらぜひきてください。

焼肉屋とかバーとか色々出したいです。でも金がいる。
融資をやるにしても一回銀行から数百万借りているのでしばらくは借りられない。

そして大学の経営学部では具体的なノウハウは一切ありませんでした。
教わったのは酒の飲み方くらい。飲み会のコールくらいかな。

だから大学の授業はたいして役に立たなかったけど自分で本買ったりセミナー行って経営について少しずつ勉強しました。

そして私立の大学だったから周りはボンボン、お嬢様、お金持ちの子供が多かった。
田舎から1人で大阪に出てきて金もない自分にとってはそれがコンプレックスを加速させることになる。これはあとで詳しく話す。

〜〜〜〜〜〜〜〜

あの頃仲良かった友人も今では27歳。
普通科と進学クラスがある高校でした。

大学受験と就活で成功した同期たちは
今は有名企業や大企業で働いています。

まあ、要するに彼らはエリートです。

いい大学に入って、資格をとって、いい企業に行く。
世間一般的にいうハイスペックと呼ばれるものだ。
たまに俺もそういう人生を歩むことができたのになあと思うことがある。

思ってもキリがないし隣の芝生は青く見えるものだ。
彼らもまた俺をみてあんなふうに挑戦すればよかったと内心思っているのかもしれない。
人生の正解はわからない、しかし自分の選んだ道を正解にしたいとは思っている。

俺は大阪で会社をやっている。
数人でやってる零細企業だ。

大学でもエリート街道をいく連中は多かった。
会計士の資格を取ったり、簿記を取ったり弁護士になったり。

周りは華やかなキャリアを手にしている。
東京の誰もが知っている大企業で働いている。

楽しそうだ。別垢のストーリーでは眩しい
順風満帆な人生。このまま彼らは無難に成功していくのだと思う。

それに対して俺はどうだ。

大学を出たものの、就職せずに内定ゼロで大学を卒業。

就職活動をしていたが、行きたい会社には全部落ちた。
ああ、俺も行きたかったなあ、サイバーエージェント

行きたい会社に全部落ちた。
圧倒的に社会不適合者なのかもしれない。

バカやろう!と人事に言いたくなるが
だったら自分でやるしかない、、
それしか選択肢がないのだ。

行きたくない会社で働いてる時間なんて俺にはない。
興味のない会社で働くくらいなら野良で自営業やったがマシ
朝起きれないから、どうせクビになるし。

だからその一年後に会社を設立して、今は4年目である。

地獄みたいな時もあった、眠れない夜など腐るほどあった。
なんで努力してるのに俺だけ空回り?そうやって自分を責める時もある

同じ時期にビジネスを始めた人間はもう資産で1億あるし
俺はなんでこんなに雑魚なんだ?と劣等感に日々苛まれる。
一発当てただけに人間。天狗になってオワコンに

表向きは順調に見えるかもしれませんが
裏では毎日激務したり、正直もうダメだと思ったことが何回もあった。

銀行から金を借りたけど失敗して
全てを溶かしたこともありました。

投資詐欺、株で大損、信用してた人に裏切られたり
立て続けに負の連鎖が起きた。

借金500万over。。全財産2万円くらい
どうすんのこれ。。。
ああ、終わりだ。。

借金100万を超えるのは人生で何回も経験してるが
この時に多額の返済だけが残ったときが一番苦しかった。

俺の人生もここまでか、破産するしかねえか、、
そう思った時もあった。信用してた人に裏切られたり、金もなくなり、メンタルも不安定で、悔しさのあまり感情を抑えきれずに1人で泣いた夜もある。

少し過去の話をしようか。

18歳から大阪に出てきた俺は、大学生だった

金もない、人脈もない、友人もいない。女もいない。
あーー地元にいればもっと楽だったのかな!
そう思った。

まじで知り合いなんてゼロ。
ゼロからのスタートだった。

まあ大阪楽しいしいいか!どうにかなるっしょ!
好きな音楽を聴きながら自分を鼓舞した。

そんなことを思いながらも
まずはアルバイトをやることにした。

時給880円、飲食店で雑用をやっていた。

これだけ働いて給料は8万円か。。。
大阪に出てきて一人暮らしの俺には足りなかった。
借金して凌いだ時もあったな。

それに対して、周りは親の金で海外旅行。
サークルの夏合宿に行ったり、旅行行きまくり、好きな服を買いまくり
楽しみまくっている。さすがは私立大学。

ああ、いいなあ。俺なんて金がなくてサークルの夏合宿を『予定があって
行けないです』と嘘をついて断っているのに。スーパーに水が20円安いからと歩いて買いに行く毎日だった。

ダーツで賭けをして戦うのも100円を賭けて戦っている。
俺は何をしているんだw

正直周りが羨ましくて仕方がなかった。

おれの口座残高は常に5万円以下。
こんな人生終わってるな。でも何をやればいいのかわからない

だから家とバイト先の往復をする人生。先が全く見えない。当時は未来に希望なんてない。未来に希望がないと人は鬱になるのだと思った。

時に怒られながら飲食店で皿洗ったり、客にパスタを運んでた。
クソ汚い裏側を掃除して、吐きそうになりながら働いてこれかよ。。
楢原という上司に嫌われて嫌がらせされるし、なんだよこのデブオヤジ💢

意外と現実はそんなもんだ。
男の人生なんてキラキラできるのは一握り

日本は資本主義。
金を持っているものが当然いい待遇を受ける。
貧乏な俺には風当たりが強くて低賃金労働で搾取されるのも当然だった。

他にもGUやプールの監視員をやった。
プールの監視員では熱中症になって死にかけた

なんだこれ、、時給はいいけど暑すぎるだろ。。。
めっちゃ日焼けしたし、今でも色黒だとたまに言われる。

熱が出てベッドに寝転んでいて体がしんどすぎるが次の日もバイトに行かねばならない。

でも朝起きたら昼だった。
ああ、終わった。バイト飛んでしまったわ。。。

なんでいつもこうなるのか…

気まずくなってそのまま郵送で必要な商売道具を送り返して
バイトを辞めると電話した。

2度といくことはなかった。

ほぼ飛んだような形でその場所から颯爽と消えた。

でも給料が10万くらい振り込まれた。

これを何かに使おう、そう決心した。

さあ、次どうしようかな。。。

そんな時に1人の男と出会うことになる。

同じ大学のカリスマ的な後輩だ。
圧倒的にサイコパス。だが、段違いに金を稼ぐ能力が高い。
年も近いから可愛がってくれた。

こいつと今のタイミングで出会ったのにも何か意味があるはずだ。
そう捉えた。

色々あって、そいつに金払って
中国からアクセサリーを仕入れて転売する
輸入事業を教わった。

タオバオなどのサイトから中国語を翻訳して代行業者を通じて
アパレルを日本に送ってネットショップを作って売り捌いたりもした。

時にはEbay(海外版ヤフオク)のサイトでヨーロッパから家具や家電、カードゲームを仕入れて
海外の商品を日本で販売した。

なんやこれ!めちゃくちゃ楽しいやないか!
1つの商品を売って3万と利益がでる。
価値観崩壊、なんだこりゃ。。。
俺の30時間分の労働ぞ?

そんなこんなで熱中してたら
月50万くらいは大学生の時に稼げた。
めっちゃ端折ったけどそんな感じ。

とりあえずバイトやらんくてよくなったから
そこらへんで個人事業主になっといた。

そこからだ。

しかし、まだまだ俺の夢へは遠すぎる。

多少稼げた程度だし、稼ぐと調子に乗って浪費する。
稼いで散財を繰り返す。性格的にこれは一生治らないかも

稼いでもガードがゆるゆるですぐに金は消えた。

そこからtiktokやインスタが流行り出したので
SNS運用の事業を開始することになった。

業界で強そうな人に声をかけて150万払ってコンサルしてもらった。

インスタやtiktok、ツイッター、Youtubeを自分で伸ばす。

そしたらそのノウハウをコンサルして経営者や個人事業主、会社から金をもらう。もしくは代わりに運用代行してお金をいただく、無理そうな案件は他の同業者にパスして仲介料をもらう。

インスタではフォロワー数
3万8000人のメディアを作り上げた(ラッコで売却済み)

Twitterは2万7000人、1万300人、6500人くらい
Youtubeは2600人、1000人などやっていけた

顔を全く出さないメディアのが多い。

コツコツやってたら伸びてきた。

SNSが伸びると全国各地に友人ができるようになるし
フォロワーと会う機会も生まれる。
noteを書けばファンが課金して買ってくれる。

noteが月に数百万売れた時は脳汁だった。最高だ!

そんなこともあり、全国をたまに飛び回っている。
仕事で東京に行くこともある。

輸入転売の事業より、SNS運用の方が稼げた。

だからそっちをメインの会社にして4年目になる。

去年は最高益を更新して、調子に乗ってタワマンに引っ越したりしたが
思った以上にエグい額の税金がのしかかり、そんなに金はない。

金を稼いだら稼いだでまた別の問題が発生した。
なかなかのハードゲーム

だから再起を誓って今この記事を書いている。

振り出しに戻った。
上がっては下がり
上がっては墜落させられて
上がっては調子に乗ってまたゼロに

まだまだ全然駆け出しだ。

大阪と地元で店を出すにしても
最低でも数千万はかかるし、スタッフを雇ったり継続的にかかるコストを考えると
とにかくもっともっと金が必要になる。

そんなこんなで今は走り抜けている。

20代も残り2−3年ほどしかない。
焦っても仕方がないが内心は焦っている。

若さに下駄を履かせてもらえる年齢でもなくなってきつつある。

例えるなら、年齢を重ねるのが怖いキャバ嬢みたいなもんだ

彼女らにも賞味期限がある。
しかし同様に俺にも賞味期限がある

なぜなら俺の同期はエリート、ハイスペックだからだ

そいつらがどんどん昇進していく。
どんどん社会的立場が強くなっていく。

でも俺は零細企業だ。零細企業に社会的な信用なんてない。
年金もたいしてもらえない。覚悟を決める必要がある。

負けてたまるかよと思う。

人生かけてこっちはやってるし
学歴も捨ててリスクを取って挑戦した。

とにかくコンプレックスなのか知らないが
レールの上を走ってるあいつらにだけは負けたくないし

負けたくないとかそういうレベルじゃなくて
圧倒的に成功して差をつけたい

どうせ人生捨てて挑戦するなら
圧倒的な景色を見てみたい

ともに掴もう。

お互いにとって得になる関係になれたら嬉しい

ゼロから再起するタイミングだからこそ
このnoteを執筆しておいた。

こんな思考回路が捻くれてる俺の雑記だけど
最後まで読んでくれてありがとう


以下投げ銭エリアになります。最後まで読んでくれてありがとうございました!