図面

自分が高校の時に初めて仕事として選んだ職業はCADオペーレターだった。

これから自分がどうなっていくのかは分からなかったけど、正直に行き当たってみて結構責任の薄い仕事だなと思った。

元あった図面のトレース。細かく書き込んであり、熟練の製図を行う技術の凄さを認識していた。
個々の図面には癖があるものの、最初の時点ではCADの機能と表現が違うために全く同じを求められたということが出来ないことを四六時中やらさせている感覚になり少し向かないのかもしれないと思った。

その間にも現場の知識は深まり、多種多様な職種をあわせいろいろな職業の元建物は出来ていくことを知っていく。

その熟練した技術者さんや、それをまとめる監督。
ただ座って図面を書いている自分はそこにいることが少し恥ずかしくなった。

納まりもわからない、施工方法だって知らない、実作業に対する本当の労力も分からない。出来ないことばかりを突き詰めざるを得ない状況で、指示の下図面を修正し、どうにか渡せたことでクレームがつかない。
結果良かったんだろうという実感を持てないままに自分はその答えをいつも教えてもらえなかった。

その状態を認識しながら3年過ごした時に自分は結婚をして子育てをすることになる。自分の仕事を覚えながら、慣れない育児、心理的な孤独を抱えそれでも仕事をしていくことに自分の前の感覚は薄れながらも、どうにか自分も生きていかないといけないので、先輩の仕事を無視して、専門的な分野のそれぞれの納まりの肝を学び取り、それをわかり図面がある程度描けるようになった。

その2年と9ヶ月の、全てで自分は一度破綻した。
故に図面の奥深さを知っていて、その時の現役世代の考えに習い、ケアレスミスの多く知識も深くない自分ではあったが、それでも振り切りながら図面を書く、どうにか建設業の風下にでも置いてもらえていただろうか。

結果のその自分が知った図面に対する考え方で、仕事の貯金をしてその後の人生の収入源を得ることになる。

仕事に対する考え方と子育てはまるで違うが、それを一人の環境で2つを行い、人恋しさを感じている為にPTA活動を熱心に行う。

結果であった人との中で自分は子育てのことを知り、また目上の人にどうにか教えてもらいながらあの中でも入れただろうか。

そうだからか、自分の身勝手な自分の技術を得て仕事をしてく結果、昔は種類で難しさはあったものの、それでも自己判断でかなり負荷の多い仕事を新しい分野のシステムのCADを使い、その物件で仕事ができた。

自分はそこで消耗してしまったために結果この仕事を卒業することになる。
最後に関わった物件が、大事にしてくださった監督、自分の技術のすべてを使う現場。
普通ではもらわないような仕事に花束をもらいここから出ていく。

ありがとう。

とても助かった。ないと人生を見失う場面も数え切れないだろう。
送り出してくれてたと思って無事に人生をおくらせてくれたくれた相方に感謝をして次の仕事に向かう。

まだこれでも自分は至っては居ない。
にせよ自分はこの中途半端な状態で次の仕事を探す。
一人で描き続けることは無理だよ。

自分としてはこうして世間に出てみて、また同じ感覚になり、やっと少しづつ世間に対して慣れてきて、友達とも普通の人間関係を作れるようになった。

向き合うのだ建物と。
到底かないもしない自分以上の大きな存在、知ることもなく、理解も出来ないそんな自分より何倍も大きいどうあっても抗えないそんな仕事に対して提供できるのは図面だけ。

そうやって20年。決して短い時間ではなかった。
けど、故に自分は自分の精神性を見失わず、ブレずに自分らしく生きていくことになる。

感謝こそあれど、自分はその仕事を無事にこなせていただろうか。
いつも答えと実感のない仕事。

自分はいつもそう思い向き合い、今一度別れる。
また出会えたら、次はもう少しまともな自分になって向き合うからね。

図面なんて描けて当たり前。仕事はその先にある。