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いい気分/普通の時間/少しの焦り

ここ最近いいことが続いている気がしています。
自分の体調の変化をずっと同じか変わらないもしくはどんどん年齢に応じて悪くなるものだと思っていたのですが、40歳になり、新しい薬を試してみて体調がよくなったり、そのままリハビリのつもりで、日常生活を送る。

通院治療という状態が、自分の生活の中に訪れるとも思わず、仕事を一生を通して定年するまでお休みすることはないものかと思っていました。

治療のために休むという贅沢な時間にも取れるけど、選択的に休暇を取ることは持病を持って生活する人には必要なことなのかもしれないと思い始めました。
ただ、このまま何も変わらない日常を過ごしていくことを望んでいるわけではないので、当然人に会い仕事をしていきたい意欲はあります。
それが今この休暇の時間に対して起こる少しの焦りですね。

息子が大学を決めて、進学していきます。
あの子が小さいときからその選択をさせてあげたかったので、親としては本当にそう選んでくれてよかったと思い、これからはその先に続く苦労を経験しながら本人の選ぶ人生を送っていくのでしょうと思います。
努力は得意なので、ただ休むを忘れないように過ごしてほしいなと思います。ゆっくりする時間があって初めて頑張れるのだと自分も今実感として感じているので、その姿で息子も何かを感じてほしいなと思います。

少し公開してしまった日記はあまりに感情的だったので一旦お蔵入りして、今の日記に書き直して、本当にあの子のことだと自分のこと以上に嬉しいもんだから困るな。子供が居る生活を先入観なしに選択できて、若いながらに患いながらでも選べたことは自分にとって実りになる。
いま現時点ではこの選択。子供を作って育てる。子供と暮らす生活を選んで良かった。お母さんがもう少し無理の効く人なら二人だろうけど。
それも今では過去のこと。昔のことを悩んでも仕方ない。

今こう選択してきた自分に彼女といた時間は今までの5分の1くらい。

自分がほとんど選んで責任を持って育ててきたんだから、ほとんど産んでくれた人だよな、と思う。寂しいけど、血というつながり以外はほとんどない。そんな人になってしまったあの子のお母さん。

時間をどう過ごして生きていくのかは正直人次第ではあるけど、自分は若さゆえに責任を強く感じて、自分の身体を痛めながら無理をして生活してきて子供を大きくした、今静養という時間を取れることでその時間を癒やしているその選択後に次の選択になる。

こうしていていいんだよ。
多分なんとなくそう思う、不可思議なことが少し悩ませたけど、結果大風呂敷の収束よ、生きることを選べたのよ。
無事こういう休息まで時間を使えて、そのさなかに見守ってくれてありがとう。もう少しこうしたあとにまた頑張るよ。

今日は少し風が強いけど、いい風。