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和歌から遠く離れて

立ち別れいなばの山の峰におふる松とし聞かば今帰り来む/在原行平

都を離れこれから因幡へ向かう私だが、松が生い茂る因幡にちなんで、都のみなが待っていると聞いたならすぐにでも帰ってこようという意味。いなくなった猫(やペットなど)が戻ってくるようにと、願掛けにも使われる有名な歌である。

この歌の一番の魅力は掛詞。因幡と往なば、松と待つが掛かっている。おまけに因幡は実際に松の景色で有名なところだそうで、二重三重にテクニカルだ。

さらにこの歌は、英語に訳しても掛詞になるらしい。数年前にバズっていたツイートを引用。

日本語でも英語でも、待つと松が掛かっているとか。さすがの作者もここまでは想定していなかっただろう。優れた作品は作者の狙いを超えて、奇跡のような化学反応を引き起こすことがある。

せっかくなので、もうひとつ百人一首の歌。

いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな/伊勢大輔

京都にある宮中に、奈良の八重桜が献上された際、受け取り役を務めた作者が即興で作ったとされる。もともと紫式部が務めるはずだった大役を、新参だった作者(伊勢大輔)に譲ったそうだ。そんな晴舞台でこの歌を即興で披露してみせたというのだから、会場にいた人々の衝撃は相当だったはずだ。

いにしへの奈良は「古都・奈良」という意味で平安時代の当時から既に「いにしへ」のイメージであった。九重は宮中のことを指す。「いにしへ」と「今日」が対応しており、「八重」が「九重」に対応している。古都・奈良の素晴らしい八重桜は、今この京の都において九重(八重をも凌いで)にも薫り立っているよ、と歌っているのだ。八重桜を讃えつつ宮中まで立てる内容は、圧巻の一言。おまけに韻まで踏んでいて、「いにしへ」、「やへ」、「ここのへ」だ。ラッパーも真っ青の即興歌。

即興で作ったり、韻を踏んだり、言葉を掛けたりと、和歌はやはり「歌」であり、「音楽」に近いものがあると思わされる。紙と筆の中だけではここまで生き生きした内容の作品は生まれなかっただろう。現代の私たちが音楽を通して交流を図ることがあるように、和歌もまたコミュニケーションツールのひとつだったというのも頷ける。

最後に、即興で韻を踏んだり言葉を掛けたりしているとんでもない動画があるのでご紹介。和歌からずいぶん遠く離れているが、根底に流れている「歌心」は変わらない。


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