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オンライン読書会で白熱!『コンビニ人間』に見る現代の普通と異質

8月28日と9月11日、二回にわたって読書会(オンライン)が行われました。課題図書となったのは村田沙耶香『コンビニ人間』。8月の読書会で取り上げたところ、思いのほか議論が白熱。通常設けている二時間の枠に収りきらず、急遽延長戦を行うことに。同じテーマで二回もやるのは初めてでしたが、二回目もきっちり二時間使い果たすほどの盛り上がりをみせました。

読書会メンバーも手応えを感じているようで、既に三人が今回の『コンビニ人間』(および今回の読書会)に関する記事を上げています。

三人に続く四人目ということで随分出遅れた感じは否めませんが、私なりのまとめと感想を書いてみます。
(『コンビニ人間』を読んでいる前提で書きます。ネタバレ全開ですので、あしからず。)


ラストにおける主人公・古倉恵子の選択について

主人公の古倉は一度コンビニ人間を辞めたあと、退廃的な生活を経て、コンビニ人間としての再生を決意します。この結末をハッピーエンドとみるか、そうでないととるかで意見が分かれてくるところです。

読書会メンバーは概ね好意的で、「そういう生き方があっても良いと思う」や「コンビニ店員として順応できているのだから何も問題ない」という感想が聞かれました。コンビニ人間として生きる決意をハッピーエンドと捉える見解です。

また少し違った角度からは、「古倉の生きづらさは環境に過剰適応しようとしているところにある」との意見が出ました。古倉は作中を通して周囲の人たちをよく観察しており、その都度自身の異質さを認識しています。つまり、「普通」や「正常」を強く意識し過ぎているが故に、自分が異質であることに気がついてしまう。「普通」の中にいるとされている周囲の人たちは、本当に「普通」なのか。みんな自分は普通だと思い込んでいて、本当は普通の人なんてどこにもいないのではないか。(この意見の全容は前掲van_kさんの記事をごらん下さい。)
この意見を突き詰めると、古倉の選択は何も間違ったものではなく、「コンビニ人間」でも何でも好きなようにすれば良いではないかとの結論になるでしょう。

これに対して、一概にハッピーエンドとはいえないとする意見が出ました。コンビニでバイトをし続けることの「普通でなさ」を、やはり社会は放っておいてくれないのだという見解です。一例として、コンビニのバイトを「誰でもできる仕事」として軽蔑し、人間性まで推し量るような人がいたとのこと。このような人(思い込みや自分の価値観で物事を把握している人)がいる限り、古倉のような人間はいつまでも異質な目を向けられます。(この意見の全容は前掲ひじきさんの記事をごらん下さい。)
物語を通して、古倉は周囲の人たちの反応を良いものに変えることができていません。コンビニ人間に戻るという選択は、結局のところ物語の振り出しに戻っているに過ぎないのです。

私も、ハッピーエンドとはいえない派です。古倉は一度コンビニ人間を辞めているわけですから、心からコンビニ人間でいたいと思ってはいないはずです。古倉にしてみれば、ただハマっただけ。せっかくハマっていた生き方も、周囲からの彼氏やら結婚やらの話題で、簡単に踏みにじられてしまった。白羽との偽装結婚を選んだのも、始めはコンビニ人間としての自我を保つためでした。ところが、白羽が想定以上の社会不適合者であったがために、このプランはご破算になる。古倉がコンビニ人間に戻る決意をしたのは、単なる消去法に過ぎません。「やっぱり自分にはコンビニしかない」と言うと前向きに聞こえますが、それは選択肢があった上での決意であって、古倉には本当にコンビニしか残っていないのです。

白羽という人間について

次に、物語の主要人物の一人である白羽についてです。率直にどう思うかという投げかけに対してメンバーからは、「クズである」、「どうしようもない人間だ」などの意見が目立ちました。中には「いなくなればいいのに」という辛辣なものも。「放っておけば良い」というややマイルドなものもありました。

とはいえ一歩踏み込んだ議論の中では、古倉と白羽はどちらも異質な存在として描かれているけれども、実は白羽の方が「普通」へのイメージがあり、対応もできているとの指摘がありました。その例が、古倉と白羽の元に古倉の妹が訪ねてくるシーンです。古倉は妹がいるにもかかわらず、「いつものように」風呂場で過ごす白羽のところへ餌(食事)を持っていく。あまりの異常行動に泣き出した妹を見て、とっさに「喧嘩中だった」と取りなしたのは白羽だったのです(村田沙耶香『コンビニ人間』文春文庫132ページ)。この指摘は重要で、こう言い換えることができるのではないでしょうか。
白羽は――少なくとも古倉よりは――「普通」がわかる異質な人間なのです。

指摘したメンバーの意見を引用しましょう。決して要約するのが面倒になったわけではありません。(ひじきさん、お借りします。)

安定した仕事に就いて、結婚し子どもを作り、なおかつ趣味を持ち余暇を充実させ、幸せに暮らしている——「普通」をかき集めることで描き出される人間とはこのようなものだと思うが、そんな人が一体どれだけいるのだろう。先ほど、世の中の「普通」を全て兼ね備えている人間は全体の1%にも満たないという話を紹介した。残りの99%の中には、自分がどこか「普通じゃない」ことを自覚しながら生きている人も少なくないことだろう。繰り返しになるが、たった1%しか達成できない「普通」を、僕らは容易に振り払うことができない。
そしてその中には、普通になれないことにコンプレックスを抱き、さらにそれは自分が悪いのではなく世の中が間違っているからだと考え、この世のアレコレに唾を吐き散らす人もいるにちがいない。そのエッセンスを先鋭化させると、白羽になる。

https://note.com/hijiki_mix/n/n1fe6fc0920be

誰しも普通とのギャップで悩んだり、劣等感を抱いたりすることがある。それが最もこじれた形で現れたのが白羽だと言います。感情的にはどうしても反感を覚える人物ですが、精一杯擁護するならばこのような説明になるのかもしれません。

古倉への批判あるいは助言

序盤は主人公・古倉にやや同情的に読んできた私たちですが、ひとつこんな意見が出ました。

「古倉はなぜ正社員になろうとしないのか」「むしろ自分がオーナーになっちゃえば良いのでは」

物語の根幹を支えているのは、「コンビニ人間」としか生きられない主人公像です。そこまでコンビニにフィットしているのだったらコンビニのオーナーにでもなってしまえば良いのでは、というのです。(この意見の全容は前掲urinokoさんの記事をごらん下さい。)

物語を読む限り、古倉は常に受け身でいる人間として描かれています。しゃべり方や持ち物まで、周囲の人たちの影響で変化する。なので自分から社員に、ましてやフランチャイズのオーナーに、などという発想は出てこないでしょう。だが、もし古倉に起業を勧めるような「普通じゃない」人が現れたら。今度こそ本当のハッピーエンドが見られるかもしれません。古倉がフランチャイズのオーナーとして成功を収める『シン・コンビニ人間』、アリですね。

白羽のその後について

最後に、再び話題は白羽になりました。古倉は「コンビニ人間」として再生したのでひとまずは置いておくとして、白羽の今後はどうなるのでしょう。

メンバーの感情としては、知ったことではない、放っておけという感じでしたが、ひとつ問題提起しました。それは「無敵の人」問題です。社会的に孤立していったことで、暴発的に社会を揺るがす凶行に走るケースが後を絶たない昨今。白羽も、このまま放っておくとどう転ぶかわからないように思えるのです。社会におけるバグだとして無視していい話なのか、意見が交わされました。

社会政策に関心の強いメンバーからは、昨年(2021年)孤独・孤立対策担当大臣が置かれたばかりで、対策はまだまだこれからだという話がありました。私からは、こういう時こそ社会保障制度が大事なのではないかと意見しました。白羽の言動を知ってしまうと、感情レベルではどうしたって手助けしたくはありません。しかし社会保障制度は制度であるが故に、感情抜きに粛々と適用されます。良くも悪くも「制度」なのです。

これには異論もありました。社会保障制度を運用するのも結局は人間であって、現場レベルでは感情を排除することはできないというもの。これもまったくその通りで、私自身先日、生活保護の運用を巡る社会派ミステリーを読んだばかりでした。

「制度だから」と一概に切り捨てることがあって良いのか。ルールと運用は常に緊張関係を孕んでいます。こう言っては何ですが、大事なのはバランス感覚ではないでしょうか。

おわりに

以上、二回にわたる議論の様子を超コンパクトにまとめてみました。実際の読書会では『コンビニ人間』そっちのけで何度も別の話題に逸れており、それはそれで楽しかったのですが、まとめる上ではばっさり割愛しました。さらに今回は先行記事が三つあったお陰で、ずいぶん助けられました。是非とも、各記事の方に飛んでいただきたいと思います。

最後に『コンビニ人間』と私自身の話を少し。最初に読んだのは、4年程前で、自身の仕事があまりうまくいっていない時期でした。生きづらさを覚える主人公に共感はしたものの、なんだかんだ仕事ではハマっている部分には、正直うらやましさもあったものです。

『コンビニ人間』にはこんな場面があります。白羽をクビにした後、なかなか次のバイトが決まらないことを嘆く店長と古倉の会話です。

「夜勤はどうですか? 人、集まりそうですか?」
「いやー、駄目だねー。一人面接来たけど、落としちゃったよ。白羽の件もあるしさ、次は使えるやつ雇わないと」
店長は、使える、という言葉をよく使うので、自分が使えるか使えないか考えてしまう。使える道具になりたくて働いているのかもしれない。

村田沙耶香『コンビニ人間』文春文庫85ページ

当時、「使えない」人間だった自分には痛すぎるほどでした。古倉は運良くコンビニ店員としては「使える」人間でしたが、それ以外では「使えない」人間です。白羽だってコンビニ店員としては「使えない」人間でしたが、もしかするとどこかでは「使える」人間になるかもしれません。

いや、そもそも「使える」「使えない」で判断されることの恐ろしさ。仕事ってそういうものだろうと言われたらそれまでですが、使えない時期を味わった(もしかすると今も)私からすると、その危険性を身にしみて感じているだけに、この違和感はいつまでも忘れずにいたいものなのです。

読んでいて気持ちの良い作品ではないですが、考えるべきポイントやシーンが多分に含まれた傑作でしょう。ひとり辛い中読んだ作品を、時を経てわいわい語り合ったのも何かの縁。だから読書は止められません。

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