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無意味な仕事とは?酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎』をテーマにした読書会レポート

はじめに

毎月それぞれのメンバーが読んだ本を紹介し合っている読書会ですが、今回はテーマ設定型で開催してみました。テーマは「ブルシット・ジョブ」。ブルシット・ジョブとは、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーが書いた著書、あるいは彼が提起した考えのことで、日本語では「クソどうでもいい仕事」と訳されています。それはどういったものなのか。あえて説明するまでもなく、みなさんご自身がよくわかっているのではないでしょうか。その仕事をしている本人ですら無意味であると感じているのに、それも仕事のうちなのだと自ら言い聞かせているような仕事のこと。そう聞くと腐るほど例が挙げられそうですが、実際に膨大な事例を集めた上でこの現象を理論立てて説明し、問題を浮き彫りにしたのが『ブルシット・ジョブ』という本でした。

今回私たちは「ブルシット・ジョブ」をテーマに選んだわけですが、グレーバーの書いた著書は大著であるため流石に課題本として重すぎるということで、彼の著書を翻訳した酒井隆史氏による「講義本」を元に議論することにしました。以下、読書会メンバーそれぞれの感想と、その後の対話を簡潔に記載します。もちろんメンバー全員素人ですが、この問題に対して関心のある人に少しでも参照いただけると幸いです。

課題本はこちら↓

参加メンバーの感想

便宜上、参加メンバー六人を参加者A~Fとさせていただきます。

参加者A
今回「ブルシット・ジョブ」をテーマにしたかったのは、社内にブルシットのような仕事をしている人がいるから。立場的に責任があるので見かけほど楽ではないのかもしれないが、簡単な仕事にもかかわらずストレスを溜めているような。もうひとつ、経営層がブルシット・ジョブを増やすのは、あらゆる物事を数値化、見える化したいからではないか。

参加者B
「ブルシット・ジョブ」と一口に言っても、議論が広範囲にわたっており、思った以上に難しい本だった。一番響いたのは、実生活において価値がある行為(ケアや教育など)ほど、金銭的価値が低く見られているという指摘。その根幹には、誰かにとってのためになる「やりがい」のある仕事ほど無償であるべきというモラルの問題や、0から1を生み出すことこそが「労働」であり、そうでないものは評価されにくい価値観があると書かれていたことにはおおいに納得した。エッセンシャルワーカーが高賃金を得られるようになってほしいと切に願うが、どうしたらそうなるのかわからない。

参加者C
ブルシット・ジョブに興味を持ったときは、自身の業務が忙しく業務が嫌になっていた。だが、(本を)読み始めるころは業務が落ち着いてきて、嫌な感覚が消えていた。管理部門として経理系の業務を行っていて、本を読む限りは(自身の業務も)典型的なブルシット・ジョブに該当しそうなものに思える。だが、自分の感覚としては、あまりそうは感じていない。そもそも、自分が行う業務が何の役に立つのかを、自らがあまり深く考えていないのかもしれない。それと、本の中で特に印象に残ったのは、南の島の先住民とヨーロッパの人とのコミュニケーションの場面だった。

かれらは昼間から寝そべっています。そこにヨーロッパからの旅行者がやってきます。きみたちは昼からそんなに怠けて、ちゃんと働きたまえよ、とかれらはいいます。なんのためにだい、と島の住民は問い返します。こうして昼間からビーチでのんびりできるだろう、と旅行者たち。それはもうおれたちがやってることじゃないか、と島の住民は返します、とこういったオチのつくお話です。

酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)293ページ

努力して余暇を何とか獲得した人たちと、日ごろの生活に余暇を十分に入れている人たちのコミュニケーション。ここがひとつのキーポイントになるのではないか。

参加者D
ブルシット・ジョブがあることによって失業する人が出てくる。効率化を進める中で失業する人が出ると、経済社会全体としては本当に良くなっているのか。解決策のひとつにベーシックインカムが提示されていたが、本当にそれでいいのか議論をしていかないといけない。一部地域での社会実験にとどめるのではなく、社会全体の問題として議論が必要だろう。

参加者E
ブルシット・ジョブは知らなかった。本の内容は議論が多岐にわたる形だったので、一回ではなかなか理解しづらかった。ケインズの予言通りに行けば現在はほとんど働かなくてもよいはず、という視点にはっとなった。また、確かに、現実に役に立つ業務は低く見積もられている。福祉など必要不可欠なものは低賃金労働として扱われている。反対に高収入の業務が果たして本当に社会にとって必要なものなのか。街を歩いたり、(自身の)業務をしたりする中で、「この業務はブルシット・ジョブになるのだろうか」ということを考えるようになった。本を通して、大きく見え方が変わったと思う。

参加者F
既にあらゆる「仕事」は必要なくなっていると思う。基本的に衣食住さえ揃っていれば良いのであって、それ以上は不要。その不要な部分に対して、どこまで重要視するかの問題ではないか。ベーシックインカムの議論は後回しにして、まずは無駄なものを削っていくのが先では。

感想を踏まえての対話(前半):身の回りのブルシット・ジョブ

B→C
自分の仕事が「ブルシット・ジョブ」だとは感じないのはなぜか。それなりに対価を得ていると感じているから、それとも仕事そのものに意義を感じているから?

C
仕事に対してはあまりそこまで考えていない、自分主体で生きていないことからきている考え方かもしれない。ブルシット・ジョブについて何だと考えている人は自分のことをちゃんと考えている人。そもそも、自分のやりたいことをやったところで、貨幣経済の中でお金を稼げる気はしない。

B
みなさんの経験の中でブルシット・ジョブにあたるような業務はあるか。自分の場合だと電話一本で済むような回答も、わざわざ内部で稟議を回して承認を取らないといけないようなことがあった。内容から考えてもあまりに形式的すぎて、そこに無駄な時間や業務が生じている。何でこんな仕事があるのか、情けなくなった。

A
同じような報告書を書かされる。日報・週報・月報など。何回同じこと書かせるんだという気になった。

D
公的機関に対するペーパーベースでの資料提出。せっかく自分たちがペーパーレスにしても、相手方との兼ね合いで変われない部分がある。

F
電子商法の改正でシステムの導入をしない企業が多い。公的な資料のPDF化、電子化はハードルが高い。どうしても人間不信のベースで社会が成り立つので。情報セキュリティの仕事をしているが、それ自体は無駄だと考えている。

E
オンラインでプレゼンする場合でも、相手方がやればいいことをやらされる(資料の印刷など)。電子納品するにしても手続き上の手間があり、それもある種のブルシット・ジョブに当たりそう。

感想を踏まえての対話(後半):『ブルシット・ジョブ』(『ブルシット・ジョブの謎』)が伝えたかったこととは

F
改めてブルシット・ジョブの整理を。『ブルシット・ジョブ』では5類型に整理されている。
①取り巻き(flunkies)
②脅し屋(goons)
③尻ぬぐい(duct tapers)
④書類穴埋め人(box tickers)
⑤タスクマスター(taskmasters)
前半の話からすると、みんなが感じているブルシット・ジョブは④に該当するケースが多そう。③の事例も散見。

A
営業職は②の側面がある。

C
自分は仕事に対して不誠実になってはいないので、精神的には安定しているのかもしれない。(ブルシット・ジョブだとは感じていない。)

F
(どうしたらブルシット・ジョブをなくせるか。)会社・組織というのは新しい人が見ると無駄なルールが多いので、指摘してもらえれば削減できるのかもしれない。

C
素人の考えでは難しいので、経験のある(外部の)人が指摘することが改善につながると思う。

A
改善提案を聞く人が大切になる。

F
となると、TOPマネジメントが大切になってくるのではないか。

D
(個々の企業だけでなく)社会の仕組みや経済学等の効率化の議論もセットでないといけないだろう。

B
結局、本書においてはっきりした結論が出てないから、論点が散らかりやすい。「ブルシット・ジョブ」の論点を大胆に絞るとすれば、ネオリベラリズム、市場至上主義に対する問題提起だと思う。それに対抗する考え方としてコミュニズム的な発想を挙げていた。どれだけ資本主義が進んだ会社でも、社員同士で「そこの物取って」と言われて対価を求める人などいない。この関係性をもう少し社会全体に広げることができたら、今の行きすぎた資本主義に歯止めが掛けられると言いたいのでは。

C
この本は挑発を目的にしている。あえて問題を散らばらせておくことで、「現代社会って何かおかしくない?」と考えさせたいのではないか。そして、現代社会はどうしても貨幣価値に換算してしまう発想がベースにあることが問題なのではないだろうか。数字が絶対になっている考え方をどうにかしたい。今まで賃金が発生しなかったものも、市場化されている感じがあり違和感がある。

B
資本主義である以上、成長し続けるしかない。一度興した会社は失敗するまでやり続けないといけない。そんな中で「会社は潰しても構わない」みたいな価値観が出てくるのもありかもしれない。もちろんそれは極端だが、成長を目指さず維持するだけとか。また、急速に叫ばれ出したSDGsには批判もあるが、現代資本主義に対する重要なアンチテーゼになっていると思う。

C
Co2削減目標については排出量の全体は削減されていない。結局生産数は増えている。資本主義の中で取り組むSDGsには多くの矛盾を孕む。『人新生の資本論』の著者は「SDGsは大衆のアヘンである」と言っていた。

A
アヘンの要素はあるが、考え方を変えるヒントにはなる。

F
今の世の中は社会から死を遠ざけている。本来全てのものは死に向かっていくのが自然だ。会社にしても成長(対称としての老化)があるので、いつかは死ぬと考えることもまた自然ではないか。

おわりに

以上、読書会の内容を非常に簡略化してお届けしました。今回は内容が難い上に自分の読解力にあまり自信がないため、いつも以上にメンバーの意見をねじ曲げてしまっているのではないかと不安でいっぱいです。それでも、普段やっている私たちの読書会のエッセンスだけでも伝えたくて頑張ってみました。本記事を書くにあたって、Aさん、Fさんの議事録を大いに参考にしました(いくつか丸パクリしてます)。本当にありがとうございました。

ここまで読んでくださった方は「ブルシット・ジョブ」に興味のある方に違いないので、是非次の記事にお進みください。非常にためになります。

次回読書会はいつも通り、それぞれが読んだ本を持ち寄って紹介するスタイルに戻ります。ですが、今回みたいに不定期でテーマ型読書会をするのもおもしろいですね。また次回の読書会後記もよろしくお願いいたします。

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